26.田辺さん①

 なんでいないんだ。

 あっれー、帰ったのかしら? と思いながらも俺は家の周りをグルッと一周する。


「うおっ、びっくりした」


 俺は一周する間もなく人を見つけた。


 そこに居たのは制服姿で黒いカバンを肩に背負っている、俺と同級生くらいの女子だった。


 彼女は丸眼鏡を掛けていて、身長は同級生の女子たちや七海に比べても小さいであろう背丈であった。

 うん、たぶんこの人が田辺果歩たなべ かほで間違いないと思う。


 この顔、確か英語の授業で見たことあるから合ってるはず。

 とりあえず、挨拶でもしとくか。


「えっーと、こんにちは」


「こんにちは」


 会話が途切れてしまうとお互いに気まずくなってしまうので、俺はなるべく会話が途切れないように心がける。


「あのー、うちに来たのはなぜ?」


「え、……単語帳を受け取るためですけど」


 で、ですよねー。

 っていうかこの惨事招いたの俺じゃん。それなのに、なんで俺はこんなに偉そうなの?


 これじゃあまるで礼儀作法を知らないクソ人間じゃないですか。


「あ、うん。ていうか田辺た なべ さん? の単語帳勝手に持って帰ってしまってごめんなさい」


「……大丈夫です」


 そこで俺は大事なことに気がつく。


 あ、ってか英単語帳家に置いてきちゃった。

 テンパリすぎでしょ俺!? なにやってんだよ。


「あの申し訳ないんだけど、英単語帳家に置いてきちゃったから取ってきてもいい?」


 そう田辺に告げると、彼女は掌で口を覆いながら少し笑ったあと、「うん、取りに行ってきてください」と言った。


 あらまー、この人こんなに可愛らしい人だったけ?

 まあ、俺一回しかこの人と話したことないからわかんないけど。


 そして俺が家に急いで戻ろうとすると、咄嗟に田辺は少し声を荒らげた。


「あの! ……家に私が入ってもいいのでしょうか?」


 うわー、やっぱりか。正直、ワンチャンあるかなとは思ってたけど……。


 この場合は俺の聞き間違いではないかと確かめるためにも、彼女の意志をもう一度ちゃんと聞くのが一番いいだろう。


「え、逆に俺の家に入りたいんですか?」


 言った瞬間、俺はミスったと思った。

 この言い方は流石にないよなー。


 ナルシストが「俺の家本当は入りたいんでしょ? 知ってるよ。素直になりなよ」と煽ってるみたいで心底気持ち悪い。


 でも、意外にも、田辺は俺の言い草を特に気にした様子はなかった。


「いや、あのー」とだけ言い、自分の肩に掛けているカバンを一瞥してまた俺のほうに向き直る。

 今のはどういう意味だろうか。


 まあ素直に聞いてみるか。

 いや、でも待てよ。素直に言えないから今もわざわざ口に出すことはせずに視線だけで俺に訴えようとしたのではないだろうか。


 とすれば、俺が彼女の意図を汲んであげるのがせめてもの礼儀ってものだ。

 しかしながら、すぐに答えが出そうもない。


 うーん、どうしたものか。


 ……まあ、何が理由かは知らんが、田辺が俺の家に入りたいということだけは伝わった。

 ならば彼女の願いを聞いてあげるのが紳士というものではないだろうか。


「あ、うん。じゃあ家入る?」


 と次の瞬間、彼女はあからさまに顔をぱぁーっとお日様のように明るくさせた。


「え、何この子。めちゃかわー」と一瞬でも思ってしまった俺をお許しください。


 これで晴れて彼女を家に入れることは決定したわけだが、これ犯罪じゃなーい?

  大丈夫? めっちゃ心配なんですけど。


 こんな純粋無垢な子を言わば魔界に招き入れるとか俺は明日捕まるのではなかろうか。


 それはそうとして、家にはオカンという番人がいるうえに、俺の部屋は色々とやばい状態になっている。

 マジでどうしましょう。


 でも、これ以上田辺を家の前で待たせるわけにも行かないしなー。


 これこそ本物の「究極の選択」というものではないだろうか。


 あと今日天気予報で雨って言ってたし、その証拠に今めっちゃ空曇ってていつ雨が降り出してもおかしくない状況。


 万が一にも俺が家に一回戻っている間に雨でも降り出した日には田辺に合わせる顔がない。


 ここはいっちょ俺が勇気を振り絞って田辺を俺の部屋に入れるしかないか。


 あとはどうやって家の番人オカンに気づかれないように家に入るかだが。


 何せ家の玄関の扉は開き戸で把手とってがバーハンドル型だからいちいち音が立ってしまうのだ。

 俺はそう考えつつも彼女を見てみると、不思議そうに田辺は俺の顔を眺めている。


 やべ、三人ならまだしも田辺と俺の二人しかいない状況下の中、俺は自分の世界にどっぷり浸かりすぎてしまっていた。


 これこそ『彼女』が出来ない男の典型だな。


 くっ、もうこうなったら強引にでも田辺を家に入れてオカンにバレてしまうのは諦めるしかないのか。


 俺はとりあえず家の扉の前まで行き、田辺を手招きする。

 すると、田辺も俺に続いて扉の前まで来た。


「よし。後は扉を開けるだけなんだけど、家にオカ――母親が居るんだよね。それで……」


「バレたくないと?」


 思いの外、先読みされていた。


「……察しが良くて助かる」


 うわー、偉そうだなこいつ。


 なーにが『察しが良くて助かる』だよ。あんたキモイよー。どこぞの王様気分じゃい。


「それでバレないで入れる策でもあるんですか?」


 田辺さん? 意外と協力的ですね。俺の勘違いかもしれないが、田辺の顔を見るとなんだか目の奥に闘士の炎が燃えたぎっているように見えますね。


 見た目に反して勝負事とか好きなタイプなのかな。


「策はない。だから強引に入るしかない。それにチャンスは一度きりだ」


 彼女は一瞬右上に視線を上げたあと、納得したように頷いた。


「このタイプのドアだと何回も音が鳴りますし、ドアを何回も開けるとそのときのドアが閉じる音で不審がられるからですね」


 流石です。


「うん、そゆこと。俺、遊びに行くとき以外滅多に外でないし、それに遊びに行くとき毎回オカ――母親に報告しなきゃいけないんだよね。それで今日は遊びに行く報告してないからさ」


「……なるほどー……」


 幸いなのかはわからんが、家の玄関は人が玄関の近くに来ると玄関の明かりが点灯する。そしてドアにはぼやけ気味ではっきりと中の様子が見えるわけではないが、透明な部分があるからその明かりは外にまで見えるのだ。

 これは重要な手掛かりになる。


 すると、丁度玄関が明るく点灯した。


「なんか玄関が明るく光ってますね。これは日方ひ かた くんの親が一階に降りてきたということですか?」


 スゲーなこいつ。エスパーか何かかな。

 いや、普通に考えればわかるか。


「うん、だから今行ったら危険だと思うからもう少し待ってくれるか?」


 そう彼女に伝えると、彼女はこちらを向いて間髪入れずに答える。


「わかりました。全然大丈夫です」


 今思ったけど、この人眼鏡取ったら割と可愛くなるタイプなのでは。


 そんなことを考えていると、田辺は国語の教科書をカバンから取り出して何やら教科書を読み始める。


 スゲーなこいつの度胸。よく二人で居るのに遠慮しないで教科書読み始められるよね。


 でも、正直こっちのほうが俺的にはお互い気を遣っていないのがわかるので居心地がよくて助かる。

 やっぱり勉強好きなのかな。


「勉強好きなの?」


 俺は思わず聞いてしまっていた。


 やべー、本とか読んでるときに話しかけられたから俺あんまいい気分しない派なのに。


 自分のされたら嫌なことを人にしてしまうとか最低すぎる。


「いいえ、別にそんなに好きではない―よ」


 彼女は教科書から視線を外してこちらを見ることもなくさらりと答える。


 一瞬「やべっ」と思ったが、声のトーン的に別に怒っているわけではなさそうだ。良かったー。

 そしてそう俺が思っていると、玄関の点灯がふと消えた。


「電気、消えましたね」


 彼女はまたもや国語の教科書から視線を離すことなく俺に言う。


 それにしても、俺と田辺の仲が微妙なのもあってか、会話がタメ口と敬語どちらも混ざっててぎこちないったらありゃしない。


「うん」


 どうしよっかな。ここでずっと待っててもしょうがないし、もう行くかな。


 階段を降りてくる音は外にまで多少は聞こえるけど、階段を駆け上がる音は外にまで聞こえないんだよなー。

 もういいや。


 俺は意を決して田辺に告げる。


「たぶん、こんだけ待ったら母親も二階に行ってるだろから、もう家入ろっか」


 田辺も異存はないのか、「わかった」とだけ言った。


 俺はこの時「今まで敬語だった人がいきなりタメ口になったときってぎゃんかわだよね」とか超どうでもいいことを思っていた。


「俺がとりあえずドアを開けるから、そしたらすぐに家の中に入って。それでなるべく静かに俺はドアを閉めるから」


 たぶんそれでもドアを閉めた振動伝わっちゃうけどね! と俺は心の中で付け足しておいた。


「じゃあドア開けるね。 せーの」


 俺はついにゆっくりとなるべく音を立てないようにドアを開いた。


 そして俺が先に家に足を踏み入れ、田辺も俺に続いて家に入った。


 そのあとすぐに、玄関の明かりがカチャッという音を立てて再び点灯する。


 俺は玄関の明かりが付いたのに続いて、なるべく音をたてぬようにドアをゆっくりと閉める。


 俺はドアを閉めるときのドア自体の音は最小限に抑えられたものの、どうしてもドアが閉まるときの振動だけは抑えられなかった。


 昔、音を立てないように家に入ろうとなぜか躍起になって練習していた時期があったが、やはりドアが閉まるときの振動の音だけはいくら頑張っても無音にはできなかった。

 よし。ここまでは順調かな?


 いや、正直割と微妙な気がする。


 玄関の明かりの点灯に関してはハエが通っただけでも明かりが付いたりするのでたぶんセーフ。

 なんなら何も通っていないのに勝手に点灯したりもする。


 うわ、何それこわーい。幽霊?


 せめてそれが自分らに悪運をもたらす幽霊ではなく、自分らを守ってくれる守護霊であることを願おう。


 そんなことを思っていると、俺の思惑が功を奏したのか、親が下に降りてくるなりドアのほうに顔を出したりすることはなかった。


 お、これバレないで俺の部屋まで田辺を誘導できるのでは?

 俺と田辺は音を立てないように細心の注意を払い靴を脱ぐ。


 それにしても玄関ちょっと臭いなー。


 せめて消臭剤でも振りまいてから家に入れるべきだったな。

 と言っても時すでに遅し。


 俺はささっと靴を脱いで一度家に上がり、普段は絶対にやらないが今日ばかりは見物人がいるので、踵を揃えて脱いだ靴のつま先側が玄関扉のほうに向くようにした。


 すると「総司そう じ ー、どこか行ってたのー」と親から声が掛かる。


 そりゃそうだ。これだけドアが開け閉めされてたら気づかないわけがない。


 田辺もその声を聞きびくりと一度震え、靴を脱ごうと屈んでいた体勢から上目遣いで俺のほうを見る。

 おい、それやめろ。


 うーん、もうでもここで逃げて外にもう一度飛び出したところでもっと親に「何してるのー」としつこいぐらいに問い質されかねない。


 ここまで来たのだからやはりもう強引に突破するしかないな。

 まだこちらの顔を見られていないのが不幸中の幸いだろう。


 それにしても、たぶんさっきの声は二階から聞こえてきた声だろう。


 俺は田辺のほうを向いて「このまま行くぞ」と小さい声で伝える。

 そして俺たちは静かになるべく音を立てないように俺の自室に向かう。


 言わば忍者のような差し足抜き足である。


「頼むからオカン下に降りてこないでくれ」と祈りながら。


 そしてついに俺たちは何の危なげな場面もなく俺の自室前に到着した。


 俺と田辺はその場で立ち止まり、田辺は俺のほうを不思議そうに見ている。

 おそらく、俺がなぜ部屋のドアノブを開けないか至極疑問に思っているのだろう。


 もう一度だけ田辺を本当に俺の部屋に入れていいか少し考えてみよう。

 俺も田辺のほうに顔を向ける。


「一瞬待ってくれ」


 すると田辺は無言で顎を引く形で軽く頷く。


 俺は正面よりもやや下を向きながら思案する。

 本当はここで自室を一時間ぐらいかけて片付けたいところだが、田辺を自室の前で一時間も待たせたら、せっかくここまでしてきたことが全て台無しになってしまう。


 背に腹は代えられないよな。


 あとは田辺が俺の部屋に入った時に飛び込んでくる数々の光景に対してどう思うかに懸けるしかないか。


「なんとなくだけど、田辺さんそういう文化に理解示してくれそうな雰囲気あるし」と自分に言い聞かせる。

 よし、覚悟を決めろ日方総司ひ かた そう じ


 俺は正面を見据えながら自室のドアのレバーハンドルに手を掛ける。


 そして下に圧力をかけてドアを押す。

 すると、自室の断片的な一風景が俺たちの前に顔を覗かせた。


 ここまではいたって普通の部屋に見えるから何の問題もない。


 俺は田辺に先に俺の部屋に入るよう促すために、手を低い位置で部屋の前に指し示す。


 タンッタッタッタンッ!


 やべ、オカンが下に降りてきた。


 俺はすぐさま部屋の中に入り、田辺を手招きする。


 すると、田辺もオカンの存在に気づいたのか直ちに俺の部屋の中に入る。


 そして俺は田辺が俺の部屋の中に入ったのとほぼ同時に扉を閉める。


 危ねー。本気で焦ったわ。


「危なかったな」


「……」


 俺はすぐ隣にいる田辺に向けて話しかけたつもりだったが、その田辺は俺の部屋の壁やら本棚やらに視線を巡らすのみで俺にすぐに返事を返すことはなかった。

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二作目連載作品

『いじめられていた私がJKデビューをしたら同じクラスの男の子から告白された件。でも、ごめんね。』

https://kakuyomu.jp/works/16817330654542983839


↑こちらも是非ともよろしくお願いいたします。








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