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 河村さんが“美音さんのお墓”が出来たと連絡を受けたのは3年前だったという。

「ちょうど店をオープンしようとしていたときだったからバタバタで、それからも忙しかったから、気付いたら随分時間が経ってしまった」

「……河村さん」

 そんなことを何気ないように話す河村さんの瞳(め)が哀しげに見えた。

「にしても、今日も全く暑いな」

「そうですね」

 歩く道のりは熱に悲鳴をあげている。陽炎だ。この辺りは山や田んぼもあって、濃い夏の匂いがした。木の元を通れば、シャンシャンと蝉がうるさく鳴いている。足元では幼い野草が必死に太陽に向かっていた。ここは普段、全く意識もしない生命(いのち)が濃厚に感じられる場所だと、そう思う。

 墓地に着いたとき、河村さんに「ここで少し待っていてくれ」と言われた。私もそのつもりだったので、中には入らずに、木陰がかかるベンチに腰かけて待つことにする。

 河村さんが遠くの陽炎に消えていく姿を見届けてから、ぼんやりと空を眺めた。今日はなんとも鮮やかな日だ。真っ青な空。真っ白で重厚感のある入道雲。光を全面に浴びた生命たちが力強く芽を伸ばしている。

 そんな夏の中に消えていった河村さん。いつもは頼りになる彼の広い背中が、すぐに夏に呑まれてしまった。

 しばらくして、なんだかもどかしくなった私は、近くの自販機でお茶を2つ買った。河村さんはもう戻ってくる頃だろうか。そしたら、お疲れ様でした、と声を掛けて、この冷たいお茶を渡そう、とそう思った。

 けれど、河村さんはそれからも戻る気配がなかった。もう1時間近く経っている。この炎天下だ。墓地のなかは陽を防げるところもなさそうだし、もしかして、どこかで倒れているのではないだろうか。そんなことを思い始めると居ても立ってもいられなかった。

 私はすっかりぬるくなってしまったお茶を抱えて、なかを捜索するした。広い墓地だったけれど、道は一本でそこを早足で進んだ。

(あっ……)

 その進む先、木陰の元でぐったりと首を落として座り込んでいる河村さんを見つけた。私は慌てて、そこに駆け寄る。

「河村さんっ、ちょっと大丈夫ですかっ?」

 けれど、河村さんは、私の声に反応しない。肩を叩いたり、揺すったりして、私は声を掛け続ける。

「河村さんっ、河村さんっ、大丈夫ですかっ。これ、とりあえず飲んで下さいっ、ほらっ」

 と、下から顔を覗いたところで、私は気付いてしまう。思わず力が抜けた。

「……河村さん」

 泣いている。ぼたぼた……と、苦しく息をするように彼の瞳(め)から溢れている涙。それが落ちた地面が、まだらに黒い模様になっている。

 私は脱力したまま、そこでへたり込んでしまう。

 シャンシャン、と蝉が鳴く。ドクドク、と鳴っていた心臓が徐々に速度を遅めて、猛烈な蝉の声に呑まれた。

 首筋を汗が伝う。本当に今日は全く暑い。

「ねえ、河村さん、とりあえず、これ、飲んで下さい。熱中症と脱水症状で倒れちゃいますよ」

 沈んでいる彼の前にペットボトルを置くと、申し訳なさそうに彼の手が伸びて、それを握った。

「ごめんなさい。ぬるくなっちゃったんですけど、今はそれで我慢してくださいね」

 私は彼の顔が見えないように少し背を向けて、また、濃厚な夏の空を見上げる。それが分かってか、彼はようやく渡したペットボトルのお茶を飲み始めた。

「あの入道雲……大きいですね。あっ、そうだ、帰りにコンビニでソフトクリーム食べましょ。もちろん、河村さんの奢りで。こんな炎天下で女の子待たせたんだから、ちゃんとお詫びしてくださいよ」

「……、まだ……」

「え?」

「……まだ、行ってないんだ。美音のところに……」

「そう、ですか」

 きっとそうだろうと思った。

「嘘だったんだ……」

 私は、はて? と首を傾げる。

「忙しいとか言って……、ここには“来られなかった”んじゃない。“来たくなかった”んだ」

 そうやって震えながら必死に話す河村さんの姿に、私はどんどん胸が苦しくなる。泣いてしまいそうになる。

「本当は、3年前に連絡をもらったときも、今までも、何度もここに来ようとしたんだ。でも、無理だった。だけど、今日はお前がいて、誰かに“見張られて”いれば、後戻りできないし、ちゃんと受け入れられると思ったんだ」

 河村さんのまるでか弱い姿に私は、心が震えた。苦しくて、逃げ出したくて、けれど私は、もう、ほどけそうな自分の心を、また強く結ぶ。

「でも、俺は、まだ……」

 彼はまだ、美音さんを待っている。

「別に、いいんじゃないですか」

 私はそう、あっけらかんに応えた。驚いたようにして、河村さんが私を見る。

「だって、ここには美音さんはいない。そうでしょ?」

 美音さんは、あの日、失踪してから見つかっていない。今もどこに居るかなんて、誰も知らない。

 このお墓はきっと美音さんのお母さんたちが“ケジメ”として作ったものだ。前に進むために。美音さんが居る場所じゃない。

「だから、ここで苦しまなくてもいいんですよ。だから、河村さんは……」

 だから、河村さんは、これからも、ずっと、いつまでも、美音さんを待ち続けていいんですよ。

 私が言葉に詰まっていると、……ふぅ、と彼が小さく息を吐いた。

「お前は、本当に……。なんで、お前が泣いてるんだよ」

 私は言われてから、自分が泣いていることに驚いて気付く。けれど、気付いてしまったら、もう止められなかった。鼻の奥が急激に熱くなって、ヒクヒクなって、嗚咽が出てきて、息を吸っても吐いてもポンプみたいに涙が止まらなかった。最悪だ。きっと今、もの凄く不細工に違いない。ああ、もう私って、どうしていつも肝心なとこでこうなんだ。

「う……、河村さんのバカ……」

 はいはい、といつものように素っ気ない態度で河村さんが応える。

「……アホ、……ナルシスト」

「なんだよそれ」

「へ、変態、ロリコン……」

「もう、いい加減にしとけ」

 河村さんは、ぽん、ぽん、と私の頭を叩きながら、凄く優しい顔で微(わ)笑(ら)った。


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