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 *


 須王くんとデートをする当日。目が覚めてカーテンを開けると、祝福されたような快晴の朝だった。

 外は汗ばむくらいに太陽に照らされていて、見上げた空は、真っ白な雲が映える綺麗な青色だ。須王くんからは動きやすい格好で来てくれと言われたけれど、どこに行くかは事前に知らされてなかった。

 待ち合わせ場所に車で現れた須王くん。私は彼のスーツ姿しか見たことがなかったから、ラフなシャツを着た彼になんだか緊張してしまう。車に乗ると、お待たせしました、と須王くんが声を掛けてくれた。

「そういえば、長谷川さんの私服ってあんまり見たことないから、なんか変な感じします」

「私も、私もね、今、同じこと思ってた」

 2人でくすくす、と笑う。緊張していたけれど、なんだか穏やかな雰囲気だ。

「あの、長谷川さん、今日、凄く可愛いです」

「え」

「あ、いや、普段が可愛くないとかじゃなくて、普段よりも一層、いや、普段とはまた違った可愛さ……、すみません、何言ってんだろ」

 耳を赤くしている須王くんが可愛すぎる。そんな彼を見て、また口元がほころんだ。

「ありがとう。私、可愛いなんて久しぶりに言われたから、なんかビックリして。嬉しいよ」

 私の応えに須王くんは、参ったなあ、というように頭を掻いた。

 そうして着いたのは、訪れるのも数年ぶりの遊園地だった。久々に見る観覧車にテンションが、ぐん、と上がる。

「わあ、遊園地とか凄く久しぶり。観覧車、こんなに大きかったっけ」

 あっはっは、と須王くんが笑う。

「良かった。遊園地とか子供っぽいって思われたらどうしようかと思ってました。長谷川さんは、絶叫系は大丈夫ですか?」

「任せてっ」

 遊園地なんて学生以来かもしれない。定番のゴーカートやジェットコースター、上下するバールーン。家族連れや若い学生カップルが多いなか、自分の歳も忘れてしまうくらいにはしゃいだ。巨大な迷路では、須王くんを驚かせようと隠れたら、まんまと逸(はぐ)れてしまって泣きそうになった。そして、ようやく巡り会えたときには、まるでドラマのシーンのように駆け寄って互いに再会を喜んだ。

 須王くんは本当に純粋で、真っ直ぐで、優しい。こんな男性(ひと)に好かれて、お付き合いが出来るなんて、私はなんとも幸せ者である。世間も認める理想の彼氏。これからいくら待っても彼以上の男性はいないだろう。私のチャンスは歳と共にどんどん減っていくし、ここで決めれば、きっと幸せな将来を手に入れられる。と、私は自分に言い聴かせていた。


 陽が段々と落ちてきて、辺りが優しいオレンジ色に包まれ始めた頃、私たちは観覧車に乗った。遠ざかっていく地上をぼんやりと見つめる。沢山の家族連れや、恋人、友人同士、皆が楽しそうに笑っている。ここは、そういう場所だ。けれど私は、今日ずっと胸の奥の方がポッカリとしている気分だった。だから、その穴を埋めるように、沢山、沢山、笑った。もちろん、それは須王くんといて、楽しくて、自然に出た笑顔だ。けれど、笑えば笑うほど胸の奥の穴が大きくなっていくみたいだった。原因は既に分かりきったことだ。

 私は小さく息を吐く。かなり重症だ。アラサーで将来不安定な女子にも、乙女心はちゃんとあるらしい。

「長谷川さん? 大丈夫ですか?」

 魂が浮遊していた私は、須王くんの声にハッとして我に返った。

「あっ、ごめん。うん、大丈夫。えっと、眺めが凄く綺麗で、ぼーっとしちゃった」

 あはは……、と苦(わ)笑(ら)う私に須王くんが心配そうな目を向ける。

「今日、沢山歩きましたからね。さすがにちょっと疲れましたよね。降りたらカフェで少し休みましょう」

「うん、ありがとう」

 ああ、須王くんって本当、とことん良い人なんだ。そんな彼に好意を持たれて、私は何を思い悩んでいるのだろう。だって、もしも遊園地(ここ)に一緒に来たのが河村さんなら、今も「アラサーには遊園地は辛かったよな」とか、「いい歳して、よくそこまではしゃげるな」とか、そんな憎まれ口を微笑みながら言われているに違いない。そして、私は意地になって頬を膨らませながら言い返すんだ。大きなお世話です……って、また私は何を考えてるんだろう。急に現れた妄想劇に項垂れる。

 そうして、観覧車がちょうどてっぺんに上ったときに、須王くんがまた口を開いた。

「長谷川さん、この前のお話、考えてくれましたか」

 そんな突然の“窮地”に私の体がギクン、とする。見つめる須王くんの純粋な目に、私は審査されているみたいだ。ここで何を迷うことがあるのか。YES、その答えに間違いはない。これまで、不安で苦しくて悔しい思いをしてきた。神様がようやくくれた、きっとこれが最初で最後のチャンス。ずっと求めていたものが、もうすぐ目の前にあるというのに、それなのに、私の唇は上手く動かなかった。

 けれど、私は数秒の間のあと、“覚悟して”再び口を開こうとした。そして、

「ちょっと待った」

 と、須王くんが私の前に手を出した。

「長谷川さん、やっぱり、答えは観覧車を降りてからにして下さい。まだ、下まで半分あるし。今は楽しみましょ」

 そう言って、微笑む須王くん。鼻の奥の方がツン、として痛くなる。必死に堪えようとして鼻をすすると、ズルッと情けない音が鳴った。私は今、きっとこの須王くんの言葉に救われた。

 ああ、どうして、私の好きな人が彼じゃないんだろう。


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