我が名はコンデミット、魔法の鏡なり

朝倉亜空

第1話

 もう、ずいぶんとコンデミットは言葉を発していなかった。最後に話をしたのは何年前、何十年前か何百年前か、いや、何千年前だったかもしれない。何を話したのかもまったく覚えていない。ただ、ひたすら何も言わず、周りの景色を自身の光沢あるなめらかな身体に映していただけ。誰も何も聞いてこない、故に答えることもない。いつの頃からか、人間はただ自分の前に立ち、自分の身体に映る、その人間自身の顔を眺めるだけだったり、少し前髪を指でいじったり、ポーズをとってニッコリ笑ってみたりするだけになった。

 鏡には何でも映る。それ故、鏡は何でも知っているのにもかかわらず、だ。

 雨上がりの水たまりにはきれいな青空が映し出される。

 好意を寄せている男の子に自分の想いを伝えられずに、人知れず流れ出た少女の涙が、夕暮れ時の部屋の小窓に映される。

 水であれガラスであれ、ものを映せばそれは鏡と同じとなる。そして、鏡の世界はその裏側ですべて繋がっている。だから、コンデミットは大空の青さも、ひとり悲しく少女が泣いていたことも知っているのだ。

 およそ一千年前の頃、ある種の人間たち、具体的には特権階級に属する者たちからコンデミットたち一族はよくものを尋ねられた。彼らこそ魔法の鏡、モナイ一族である。

 モナイ一族に話をしてもらうのには、一つのやり方があった。別段、難しいことではなく、ただ始めに、彼らの名前を呼びかけるだけである。

「コンデミット、解熱に 効く薬草はどこに生えているの」

「ミブール山の頂に生えてございます。特に寒い朝には見つけやすいでしょう」

「ファージマン、この街で起こった、面白い話を聞かせてくれ」

「うーん、決して他人には口外なさらないように。実は先日……」

「チャミバル、さあ、おしえておくれ、世界で一番美しいのはだーれ。そりゃ、もちろん……」

「はい奥様、それはもちろん、隣国の美しき姫、フローラ様で、誰の異存もございませんでしょう」

「壊れてんのかいッ、バカ鏡がァ!!」

 正直に本当のことを言っただけなのに、哀れ魔法の鏡チャミバル・モナイは、怒りに猛った女のグーパン一発で無残にも粉々に砕け死んでしまった。

 世の中のすべてを知るモナイ一族は、訊かれたことにはすべて答えてしまう。嘘はつけないのだ。人間とはなんとも身勝手で、ものを尋ねておきながら、正回答を与えられると、急に機嫌が悪くなったり、時に激昂のあまり、鏡に当たり散らし、ある鏡はグーパンで砕け殺され、また別の鏡は床に叩きつけられて割り殺されていくのであった。そのように、一枚また一枚とモナイ一族は数を減らしてゆき、今、おそらくはコンデミットがその最後の一枚となっていた。

 コンデミットが現代まで生き残っていたことはまさに奇跡としか言いようがなかった。とある古びた骨董品屋の片隅に、商材としておかれていたのだ。それを、個人経営の小さな喫茶店のマスターが見初め、前近代的西洋風の古風な雰囲気が漂うミステリアスな造形美に魅了され、少々値が張っても構わないから買って、店に飾ろうと考えた。

「300円でいいよ。そんな古汚いもの」店の親父はあっさりと言った。

 コンデミットは悲しかった。全知の鏡が……、仮にも、全知の魔法鏡なのに、……さんびゃく……。コンデミットのプライドのほうがパッリーンと割れた。

 それでもともかく、これでコンデミットの喫茶店内でのインテリアとしての第二の人生が始まったのだ。

 何百年経とうが、人間のすることはあまり変わらない。コンデミットに映る自分の姿をただ見ているだけだったり、ちょいちょいと前髪の先っちょを指で摘まんでみたり、腕を組んだ姿勢でニコッと笑ってみたり、そして、やはり相変わらずに、誰もコンデミットに話しかけるものはいなかった。

 そんなある日、コンデミットの真正面のテーブル席に一組の男女のカップルが腰を下ろした。何気に険悪な雰囲気だった。その二人の会話はコンデミットに聞こえていた。どうやら、別れ話らしい。別れたがっているのは女の方。男はそれを食い止めようとしている。

「い、いや、ルミちゃんを疑っている訳じゃないんだ。ただ、最近、僕によそよそしいというか、冷たいっていうか……。それに、同僚のコウジには、なんか馴れ馴れしく近づいて、笑顔で嬉しそうだし、まさか、僕に隠れて……」

「あーーッ、またその話! ミチオって本ッ当うじうじして気持ち悪ーい。わたし何にもやましい事なんてないって言ってるでしょ! あんたのそのネチョネチョグジュグジュがたまんないから別れましょって言ってんの。コウちゃんのことは無関係! 付き合ってもないし。何さ、勝手に疑われて、勘繰られて、気分悪いわ。わたし帰る! もう、これっきりにして!」ルミと呼ばれた女は一気にまくし立て、スッと席を立ちあがった。コンデミットの鏡面に、剣幕顔の女が写っていた。

「ま、待って、ルミちゃん! ごめん!」言うなり、ミチオという名の男は周りの視線を気にする余裕もなく、ルミの足元に土下座した。「僕が悪かったよ。謝るよ、本当にごめんなさい! だから……」

「嫌だぁー、ちょっと止めてよ。そんな風に座り込んでみっともない。あんた、わたしが誰にも知られたくない秘密があるって思ってるんでしょ。言ってごらんなさいよ。知ってることがあるなら、堂々と、全部、言ってごらんなさいよ!」  

「ではまず、コウジ様とは関係を持っていないとは真っ赤な嘘でございます」堂々とした、よく通る声だ。

 それは、歓喜したコンデミットの声だった。なんとなんと、久々に、発言の機会を得たのだ! しかも、フルネームでお呼びがかかったとあれば、張り切らずにはおられなかったのも無理はない。「ここ2ヶ月ほど毎週末の夜はミチオ様とのお約束はドタキャン、もしくは急な用事が出来たと適当なことをおっしゃられ、コウジ様のお部屋でお過ごしになっておられます。このことは、惨めなミジオにバレないようにしなきゃね、などと、よくおっしゃられておられますが、ミジオとはどうやらミチオ様のことのようでございます……」

「え……、何? 誰よ。誰か隠れてるの? 何デタラメ言ってんのよぅ!」突然、何者かによる自分の秘密の暴露が始まり、ルミは目を丸く見開いたまま、固まってしまった。

「いいえ、デタラメなどではございませんですよ。ルミ様の他人には知られたくない秘密を、わたくしめが今から堂々とすべてお話しさせて頂くのでございます。」

「ちょっと! 止めなさい! 誰だか知らないけど、だっ、黙りなさい!」

「ご無理でございます。一度受けたご命令ですから。では、次の秘密をお話しさせていただきます。これは他人に知られると恥ずかしい、ルミ様ならずとも、誰でも隠していたくなる。ルミ様は見かけによらず……」」

「イイイイヤアアアァーー!」

 とある街中の小さな喫茶店で、ある一人の人間の隠し持っていたすべての秘密がすっかりあらわにされるのに、ゆうに5時間は費やされたのである。時折聞かれていた女性の悲鳴は、途中からは嗚咽に代わっていた。


{{嫌だぁー、ちょっと止めてよ。そんな風に座り込んでみっともない。}}

 座り、コンデミット・モナイ……。

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