巨人の進撃
14
スラム街の西、古いトンネル。
ベルは、暗いトンネルの中へと入って行った。……手に持つのは、メアリーからもらった懐中時計と、……数枚の紙。
例の店の主人に聞いた通り、トンネルは下水道管路につながっていた。
今は使われていないトンネルだ。立ち入らないようなところであるはずだが……頻繁に人が出入りしている形跡がある。
ピチョン、と、水が一滴垂れ落ちる音さえ大きく響き、長い余韻を残していく。
そんなところで、足音を立てずに歩くことなど不可能である。
下水道管路から、旧い監獄へは直接つながっている。取り立てて慎重に歩いているわけでもない彼の足音はそこまで遠慮なく響き、――侵入者の存在は、即刻、彼らに悟られてしまう。
「お前ッ、なにもんだ!」
スラム街の孤児らを攫い、この監獄に閉じ込め、そしてその子らを各地の変態金持ちに売りつける――という、極悪非道な商売を行っているクズども。あくどい冒険者パーティ、『蜘蛛のレグレッチ』。
そのうち三人のメンバーが、ベルの前に立ちふさがった。
「何者か、か……。まあ、あれだな。通りすがりの″小説家″だ」
「はあ? 小説家? 何言ってんだお前!」
「ああ、やっぱり知られてないんだなこの魔法職。俺以外にはいないのかな」
「なにをぶつぶつ言ってんだ、この野郎! ココは一般人が入って来るようなところじゃねえんだぞ。さっさと回れ右して帰れ」
「いや。ここに用があって来たんだ」
「なにィ?」
「ちょっと手癖の悪い猫娘が、奥にいる筈だ。……いや、彼女以外にも子供たちが大勢いるんだろうな。ともかく、子供たちを解放させたい」
「てめえ、なんでそのことを……!」
「本当は俺じゃなくて、領主の息子が警備隊を連れてここに来るはずだったんだけどな。なんか、どうにもあいつは俺の知ってるような正義感のある青年じゃなかったみたいだ」
「領主の息子だァ? な、なんだ、アイツ、俺たちを売ったのか? 約束が違うぞ……!」
「ん? 約束?」
「――ちッ!」
「落ち着け。こいつが何者かはよくわからんが……だが、見る限り、一人のようだぞ」
「ああ。小説家だかなんだか知らねえが、三人まとめてかかりゃなんでもねえ。まずは引っ捕らえて、あとで詳しく話しを聞き出せばいい」
前に出て声を荒げていた男に対し、もう二人の男は落ち着いた様子で言う。
彼らは五人組のパーティだ。だが、どうやら武器を持っている様子もないベルに対し、″勇者″と″魔術師″の二人を呼んで来るまでもなく、三人で余裕だと判断したようだ。
――確かに、彼ら三人に対してベル一人では為すすべはない。
元々、ベルは一切の昇級をせずにいた身。
以前は一応″初級魔法使い″の職を持ってはいたので、魔法を扱えないこともないが、それも初歩中の初歩程度のものに限られる。戦闘に仕えるような代物ではない。
そして″小説家″のスキルも、ただ『小説を書く』ということだけだ。
戦闘の役に立つようなスキルではない。
だからこそ『太陽のキャノウプス』を脱退させられたわけである。
だから、今、丸腰の男相手に三人の冒険者が立ち塞がっているという状況なわけである。
「お前が何者か知らねえが、俺らはそれなりに名の知れた冒険者パーティなんだぜ。個々の秘密を知ってやがるなら、お前を逃がすわけにはいかねえ。生かして捕らえるが、多少は痛い目を……って、お前、聞いてんのか!」
さっさと襲い掛かればよいものを、わざわざ威勢を張る男。
……そんな男を気にも留めず、ベルはというと、首から提げた小さな懐中時計を操作していた。
この魔法具の扱い方は、さきほど、例の店の主人から聞いた。
カチカチ、と、懐中時計の上部のネジを回す。
設定は、五分。
これは召喚の時間。
時間によって消費魔力は異なる。初めて使うので、どれほどの時間でどれほどの魔力を消費するのかは分からなかったので、ひとまず短めの時間に設定した。
『彼』の強靭さを考慮すれば、この程度の時間でも充分だろうと思われた。
(えっと、こっちの左側のスイッチを押すと……おっ)
ネジを挟むように左右にスイッチがある。その左を押すと、懐中時計の背と言うべきか、時計盤の裏側から細い光が放たれた。
「ライト付きの懐中時計か……。なんか普通に便利だな」
ぽつりと呟くベル。
「だからさっきからお前は何してんだよッ! ……もういい、さっさととっ捕まえんぞ、容赦しねえから覚悟しとけやあ!」
それぞれ武器を構え、駆け出してくる三人の男たち……には目もくれず、懐中時計をいじり続ける。
スイッチを押して点灯したライトを、もう片方の手に持っていた紙の束に向けた。
数枚の紙。
細かに文字が書き連ねられている。
さきほどスキルで書いた、小説だ。
――『巨人になったビゲル』。
この魔法具は、上位職″賢者″が扱うためのもの。
ベルは″賢者″にはなれなかったが、しかし職級はそれと同じである。
ならば、この魔法具を扱うことができるはず、と踏んだ。
スキルによって書いた小説が、召喚の媒体となり得るのかどうかはまったく確信のない賭けだった。
賭け事をしたことはないので、自分が掛けに強いかどうかは分からなかったが、……どうやら、強い方であったらしい。
召喚魔法具である懐中時計。そこから迸る一条の光が、物語を照らす。文字の一つ一つが、ぱあっと輝き……そして、浮かび上がった。
「な、なんだっ!?」
男たちは、突然の輝きに動揺し、足を止めた。
光は、ベルの手元から浮かび上がって……あくどい冒険者たちとの間を隔てる壁となった。
ずしんっっっっ。
……と、大きな音と共に。
巨大な光の塊は、人型だ。
略して言うと、『巨人だ』。
「しょ、召喚術!? こいつ、召喚術師だったのか!」
「なんだこれは、光の精霊? いやしかし、こんなでかい精霊なんて……」
「――いや、待て、こいつは……」
ただ光の塊だったのが、次第に分厚い肉へと変化し、やがてはっきりと『巨人』になったその姿を見て、――戦慄の表情になる。
そして、三人の男どもには見えないが……巨人の後ろに、ちょこん、と小さな少女が立っている。
「あなたが、私たちを召喚したのね?」
少女は、外見に反してずいぶんと大人らしい口調で、そう言った。
「あ、ああ。俺は、ベル。突然召喚して悪い。えっと、なにから説明をすればいいか……」
「あら。説明はいらないわ。すべて分かってる。ねえ、ビゲル」
「ああ」
「え? わかってる、って……」
「かなり特殊な召喚具を使って召喚をしたのでしょうね。転移させられるのに際して、なにかこう、瞬間的に色々と知識が流れ込んできたわ。けっこう不思議な感覚だったわ。ね、ビゲル」
「ああ。知りもしないはずの知識が外から流れ込んで来るというのは、妙なものだな。おそらくその魔法具は、召喚に際し、ある種の認識付与の魔法も施されるようになっているのだろう」
「へえ。そんな仕組みが……」
ずいぶん便利な魔法具だ。
「状況もすべて分かっているわ。あなたが、私たちに何をしてほしいのかもね」
ふふ、と笑う少女。
名はレイアといい、見かけは少女だが実際は大人だ。ベルはそれを知っている。
どうやら、強制的に命令を聞かせるような、使い魔としての召喚とは違い、召喚した者の自由意思がそのまま残されているという感じだ。
もし、主に対して反抗的な意思を持つ者を召喚してしまったら大変だったろう。
……が、この二人は状況を把握し、ベルが何をしてほしいのかも分かっているという。
ならば、彼らは必ずそれに応えてくれるはずだ。
ビゲルとレイアという夫婦は、あくどい冒険者に攫われた子供たちを放っておくような冷たい人間ではない。
――ベルはそれを、知っている。
「さあ、ビゲル! 時間がないわ。行っちゃいなさい!」
「ああ。俺の力を子供たちのために振るえるというなら、そんな光栄なことはない」
妻である少女に促され、夫は愉快そうに笑う。
――そうして、逃げ場のない地下通路の中、巨人は進撃を開始した。
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