巨人になったビゲル
12
夫・ビゲルは、成人男性としては少々体格が貧相であることを悩んでいた。背も小さく、筋肉も薄く見るからに弱々しい。
だが、妻・レイアは言う。ガツガツしてなくて、ちょっと守ってあげたくあるところが……あなたに惚れたきっかけだよ、と。
その妻はと言うと、高身長で落ち着いた雰囲気を持った女性。
ビゲルが彼女に惚れたきっかけはまさにそういった『大人の女性』という雰囲気に惹かれたからだ。
二人は揃って、魔法薬の研究者であった。
元は冒険者で、二人、同じパーティに所属していた。
短期間でパーティが解散されたのち、二人は共に冒険者から研究者へと転職した。
研究に必要な薬草などが豊富であるため、山のふもとにある小さな田舎町へと居を移した。
都会から越してきた年若い夫婦に対し、始めこそ警戒していた住人たちだったが、人当たりの良い気さくな夫婦はすぐに町に馴染んだのだった。研究で家に籠りがちでありながら、積極的に住人たちと交流もした。
レイアは、夫と並んで優秀な魔法研究者であるが、しかし、いささか抜けてもいた。
彼らが製造した魔法薬の実験をするとき、それは彼ら自身の体で行う。
薬に、一定時間経てば薬効を完全に無効とする術式を組み込む。
もし薬に、毒性や想定外の良からぬ効力が含まれていたとしても、術式によって打ち消され、失敗か成功か、その『結果』だけが知れる。
数か月の研究の末に作り出したのは、衰えた筋肉を一時的に活性化させて身体能力を向上させる魔法薬。
肉体労働をする者の負担を軽減させたい、あるいは体の弱い老人が出歩けるようにしてやりたい、などと考えて研究してきた薬だ。
結果は、失敗。
薬を飲んだビゲルの体は、みるみるうちに巨大化していった。
背は、レイアが見上げるほども高く、腕は元々の彼の胴ほども太く、そしてどこもかしこも分厚い筋肉で覆われている。
その姿はまるで、筋肉の鎧をまとった巨人。
想定よりも遥かに筋肉への活性化が働いてしてしまい、それに伴って体の造り自体が変質してしまったようだ。
レイアは茫然として、その場にしりもちをついてしまう。
腰が抜けたらしく、立ち上がれない。
そんな妻の手を取って立ち上がらせてやりたいが、この手では、掴んだ彼女の手をひねりつぶしてしまうだろう。
失敗は、薬効だけではなかった。
なんと、レイアの手違いで、術式がかけられていなかったのだ。
薬が成功でも失敗でも、一定時間経てば薬効が取り消されるはずだったのが……そうならない。
筋肉の活性自体が一時的なものとして作っていたはずがそれさえも計算が外れ、ビゲルの体は巨大化したまま一向に戻らない。
元の彼の貧相な体格など見る影もなく。
三メートル近くにまで巨大化した彼は、当然、すぐに天井を突き破り、その姿を衆目のもとへ晒した。
住人たちは、バケモノが現れたと騒ぐ。
体が巨大化し、顔つきさえも変わってしまっていて、もはやビゲルの面影はないのだった。
俺だ、ビゲルだ、魔法薬の実験に失敗してしまってこんな姿になってしまったんだ――!
……と、低く野太い声で訴えても、彼らの耳には届かない。
住人たちはすでに、バケモノを前に戦意を剥き出しにしている。
女子供を守るため、男たちは各々武器を取って巨人と化したビゲルと対峙する。中にはわずかながらに攻撃魔法を扱える者もいて、ビゲルにはなすすべがなかった。
……いや、それでも全力で腕を一払いでもすれば、たちまち男たちを束にして薙ぎ払ってしまえただろう。
だが、ビゲルは彼らを傷付けることなどできなかった。
反撃の余地はなく、しかし敵意がないと訴える隙もなく、巨人はただ山の方へ逃げ去ることしかできなかった。慌てて駆けながらも、振り返る。
そのとき、自分の家ががしゃがしゃと派手に崩れる様を見た。
……ぞっとした。
妻は、腰を抜かしたままだったのではないか。
あのまま、家の下敷きに……?
だがもう、引き返せない。
ずしん、ずしん、と轟々とした足音を立てながら、反して、その顔は悲痛の思いを全面に張り付けていた。
/
巨人になったビゲルは、そのまま、町に戻ることもできず……山の中でひっそりと暮らしていた。
おそらく山一番の巨木。そこにちょうど彼の巨体が収まるほどの窪みがあったので、そこで寝泊まりをしている。
強靭な肉体を持つ彼なら狩りなど容易いため食には困らなかったし、たとえしばしの間飲み食いせずとも体には活力が満ちていた。
想定とは違うが、どうもとんでもない強力な魔法薬を作り出してしまったようだ。
木の幹に線を刻み、日を数えた。
気が付けばすでに、一か月を過ぎている。もはや山暮らしがすっかり板についているほどだ。
自分は一体、何をしているんだろう。ふと我に返ると、そんな思いが大きな頭の中を駆け巡る。
その度、ぶはあ、と大きなため息を漏らすのだ。
もしかすれば、敵意がないことを露にしながら、慎重に顔を出せば……住人達も話しを聞いてくれるかもしれない。
そのうえで丁寧に説明さえすれば、自分がビゲルだと分かってくれるのではないだろうか。
もしそうしても、こんな姿になってしまった自分をみんなが受け入れてくれるかどうかは分からないが……少なくとも今より良い状況になることは確実だ。
そう思うなら、そうすればよい。
……しかし、そんな簡単なことではない。また町へ顔を出す勇気はない。
それに何より、勇気を出せない理由はもう一つ、ある。
レイアだ。
彼女は無事なのかどうか……それは分からない。
もし無事でないなら、もちろん、その現実を受け入れられる自信はない。
無事なら無事で……それでも、自信がない。
彼女は自分の、なんとなく弱々しそうで、守ってあげたくなるようなところを好きになったのだと……そう聞いている。
男として胸を張れるところではないが、でも、彼女がそんな自分を好きでいてくれるなら貧相な体格で良かったと思える。
だが今は、どうだ。
こんなバケモノのような姿。醜さを差し引いても、彼女にはもう受け入られないだろう。
彼女が魅力だと思ってくれていたような要素はすでに皆無なのだ。
もう、レイアは自分のことを好いてくれることはない。
彼女と相容れられないならば、いずれにせよ『孤独』。
だからもう、このまま森の奥でひっそりと――バケモノとして孤独に暮らしていくのが良いかもしれない。
/
人が入り込むようなはずのない、閑散かんさんとした森の奥。
察するに、バケモノが生息する森としてふもとの町の住人達も不用意に立ち入らぬようにしているのではないかと思うのだ。
それなのに。
「あれは……?」
生い茂る草木の中に、小さな少女が、横たわっていた。
通常の人間よりもずっと高い位置に視点を持つ彼が、草むらの中に身を沈める少女を発見できたのは奇跡である。
気付かぬまま、踏みつぶしてしまっていてもおかしくはなかった。
遊びで森の中に入って、そのまま遭難してしまったのだろうか。
当てもなく歩き続けた末、体力が尽きて倒れてしまった――というように見えた。
ビゲルはその大きな手で少女をひょいと掬い上げ、すぐにねぐらとしている巨木の窪みに連れて行った。
水を汲んで戻ってきたころには、少女はうーん、うーん、と唸っていた。かろうじて意識はあるようだ。
水を飲ませ、食料も与えた。
しばし、ビゲルは少女の看病をした。
少女の容態を見守りながらも、悩んだ。
ビゲルは少女の顔に見覚えはないのだが、おそらくふもと町の子だろう。ビゲルは森で暮らし始めたこの一か月のうちに他所の町から越してきたのかもしれない。
今すぐに、この少女を町に返してやるべきだと思う。
……だが、自分が少女を抱えて町に顔を出すわけにはいかないのではないか。
町はパニックになるだろうし、自分がこの少女を攫ったように思われるかもしれない。
そう思われても仕方ないぐらい、自分は今やバケモノ然とした姿をしているのだから。
少女が回復して一人で歩けるようになったら、道を教えてやり、自分の足で帰らせる方が得策だろうか。
しかし、その間、親御さんはひどく娘のことを心配しているだろうし……。
などと頭を悩ませつつ、少女の様子を見ようと顔を覗き込んだところで、――少女が、ぱちくり、とそのつぶらな瞳を開いてこちらを見ていたものだから、ビゲルは慌てた。
しまった。
目覚めてすぐ、こんなバケモノが間近にいたら、怖がらせてしまうに違いない。
――と思ったが、少女は恐怖に顔を引きつらせるどころか、むしろ、ぱっと笑顔を咲かせて、そして言うのだ。
「……こんにちは、巨人さん」
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