第54話 酷白~こくはく~

「おまっ! キスとか予行練習でするもんじゃねぇだろうが!」



 俺は思わず乃々華を押し退ける。

 そんなに力を入れたつもりは無かったのに、乃々華の体はまるで力が入っていなかったかのようにふらつき、手で体を支えるような体勢になってしまった。



「あ、わるい……そんな強く押したつもりはなかったんだけど……」



 俺が無意識に差し出した手は、乃々華の小さな手に強く掴まれた。手首にその細い指が食い込む程の強さで。言葉を発することも無く。顔も俯いたまま。



「お、おい……離せって」



 乃々華は俺がそう言うのも無視すると、強く握った俺の手を自分の胸に押し付けた。

 制服越し、ブラ越しでも胸の柔らかさが俺の手のひらに伝わる。

 急いで離そうとするけど、今度は両手で掴んで更に強く押し付けてくるため離せない。

 そこでやっと乃々華は顔を上げて俺の目を見てきた。



「ねぇどう? 胸もまだ触った事ないでしょう? 柔らかいでしょ? どう触れば良いか教えてあげる……」



 そんな馬鹿な事をいいながら俺の手のひらに自分の手のひらを重ねて、包むように動かしてきた。



「んっ」


「や、やめろってば!」



 俺は空いてる左手を使って乃々華の手を無理矢理解くと、胸に触れていた右手を強引に振り解いて乃々華と距離を置く。



「お前まじでどうしたんだよ! なんなんだよ!」


「…………」


「な、なんか言えよ」


「……今朝、この前と色違いの付けてるって言ったでしょ? ほら、見て。……どう? 可愛い? 女の子の事を褒める練習もしないとダメよ?」



 今度はブラウスのボタンを外して下着を見せてくる。だけど乃々華の奇行はそれだけに留まらず、手はスカートに伸びてそのまま捲りあげようとした所でその手を掴んだ。



「……いい加減にしろ。俺がいつお前にそんな事を頼んだ? 一体どういうつもりなんだよ。おかしいぞ」


「…………キョウ知ってる? 私、女の子なのよ」


「はぁ? んなこと知ってるよ」


「毎朝髪だって整えるし、胸の大きさだって気にするし、可愛い下着も付けたいの」


「い、いきなり何を……」


「そして、可愛いって思われたいのよ」


「いや、お前は可愛いだろ? この前だって告白されたとか言ってたじゃねぇか」


「違うのよ。好きな人に可愛いって思われたいの。言われたいの。やっと……やっと頑張ろうって……もっと頑張ろうって思えたのになんで……」



 だんだん乃々華の声が震えてくる。俺が押さえていた手からは力が抜け、手を離すとだらんと下にぶら下がるだけ。

 俺が何も言えないでいると、乃々華は顔を上げる。


 そして、涙が溢れた瞳で俺をまっすぐに見つめると、まるで絞り出したかのような声を出した。



「なんで彼女作っちゃうのよ……。なんで……」


「乃々華……お前……」


「あんなに一緒にいたのになんで……。大好きなのよ。私はこんなにキョウが好きなのに……どうして好きになってくれないのよ……。私にだったら何しても良いから。好きなことしていいから! だから……だから好きになってよ……」



 止まらずに溢れて流れる涙を拭くこともなく、乃々華は俺の目を見つめてそう言ってくる。


 だけど俺は何も言えないままで目を逸らす事しか出来なかった。



「…………何も言わないのが一番残酷よ」



 そして、乃々華はブラウスの胸元を押さえながら階段を降りていった。



「残酷とか言われてもさ……なんて言えばいいのかわかんねぇんだよ……」



 ポケットからスマホを取り出すと、画面には海琴さんからの着信が三件。


 だけど、かけ直す気にはなれない。

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