第106話 喪失

「どうにかしたいけどッ!」


 どうにも出来ないもどかしさに、アルトは頭を掻きむしる。


「全力であの光の下に向かいます。きっとそこにはハンナがいます。守らなきゃ……」

「わかった。そんな奴に構ってないで移動するぜ!」


 それができれば苦労はしない。

 だがリオンの言葉は、もしかしたら……と思わせる力強さがあった。


 アルトとリオンが同時に走り出す。

 光は地上まで、数十メートルまで迫っている。


 もう、待ったなしだ。

 僅かな時間の無駄も許されない。


 アルトは〈ハック〉と〈縮地〉、〈空気砲〉を使う。

 一瞬で最高速度に達した。

 だが――、


「諦めなさいまし、罪人アルト。あなたはここで囚われる運命ですの。そんなに焦らなくとも今後、この世界でなにがあろうとも、あなたには無関係ですのでご安心くださいまし」


 追いついたシトリーが真横から、アルトの胸めがけて細剣を突出した。

 移動に全力を出していたアルトは、その攻撃を回避する余裕が微塵もなかった。


 目の端で、胸に剣が突き刺さるのをただ引き延ばされた時間の中で眺めることしか出来なかった。


 攻撃が当たる。

 ハンナを助けられずに、死ぬ……。


 アルトが敗北を意識した、その時だった。

 肩掛け鞄が動いた。


「な――ッ!?」


 突然現れたスライムの姿に、シトリーは目を見開いた。

 鞄を揺らしたのは、そこを住処にしているルゥだった。


 そして――、

 シトリーもアルトもリオンも、

 誰もが動きを変えられぬ刹那。

 細剣が、ルゥを貫いた。


「……」


 アルトの体が、一瞬にして凍り付いた。

 あらゆる温度が下がり、

 あらゆる色が損なわれ、

 音も、光も、

 すべてが失われてしまったみたいに、アルトには感じられた。


「ル……ゥ」


 口の中が乾燥して、うまく発音できない。

 細剣で刺された途端に体が崩れ落ちるルゥを、アルトはその手ですくい上げる。


「ルゥ……ルゥ!?」


 シトリーの攻撃は、ルゥの核を直撃していた。


「ルゥ! お願いだ、ルゥ、逝っちゃだめだ!!」


 崩れ落ちたルゥに、アルトは叫び続けた。


「ぐっ…………」


 アルトがルゥの名を呼んでいると、横にいたシトリーが膝から崩れ落ちた。

 圧倒的弱者(ルゥ)を攻撃したことで、呪いが自らに還ったのだ。


「し、師匠。ルゥは!?」

「…………そうだ。回復薬!」


 思い至ると同時に、アルトは鞄を漁った。

 鞄の蓋がアルトの手に絡みつく。

 焦れば焦るほど、鞄はアルトに噛みついて離れない。


(何故こんなときばかりうまくいかないんだ!!)


 怒りにまかせて鞄を破壊し、中身をあらかた外に放り出した。

 その中から、アルトは回復薬をすべてかき集め、ルゥに振りかけた。


「ルゥ! 起きてよ、ルゥ!!」


 だが、ルゥは元に戻らない。

 回復薬をいくらかけても、核の穴が塞がらない。


 まるで命の終わりを示す砂時計のように、ルゥの体がさらさらと砂になって消えていく。


「ダメだ、ルゥ! 死んじゃだめだ!! 起きてよ、ルゥ。ねえ、起きてってば!! 死んだふりしないでよ! 怒るよ! そろそろ、目を、覚ましてよ……」


 アルトの呼びかけに、やはりルゥの反応はない。

 最後まで、アルトはルゥの名を呼んだ。

 だが、そのゼリー状の体が消えて、堅い核だけが露わになったとき、アルトの声が掠れた。


 名前のない感情が、胸で爆発的に広がっていく。

 それが喉に向かい、けれど声にならず、胸に戻り……。

 行ったり来たりを繰り返し、それが、黒い炎に変った。


(ルゥを、殺したのは、誰だ?)


「――ヒッ!?」


(こいつか。ルゥを、殺したのは……)


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 あふれだした感情が、魔力の波動となって空気を押し流す。

 アルトの吐き出した感情が、臨界を超える。


 名前のない感情に、色が付いた。

 そのとき、

 アルトの視界がブラックアウトした。



  □ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □



(アルトに付いて来て、やっぱり正解だった)


 ハンナを育てているあいだ、マギカはしみじみと思う。


 マギカはこれから生まれ芽吹こうとする、英雄を探していた。それは、自分が主神アマノメヒトの使途である一番の理由である。


 アマノメヒトの神託により覚醒したマギカは、いずれ生まれる英雄を探して世界を旅していた。

 その折りに、アルトに出会った。


 マギカは初めから、アルトが英雄でないとわかっていた。

 だが、英雄に近づく存在でないかと予想していた。


 結果、その予想は当たっていた。

 しかしまさか『英雄ノ卵』が生まれる瞬間を目撃出来るとは、思ってもみなかったが……。


 天賦『英雄ノ卵』を手に入れたのは、ハンナ・カーネルという公爵家の人間だった。


 彼女は、☆4と高い存在力を持ちながら、家庭教師の誰1人として才能を開花させることが出来なかった。

 それは家庭教師が悪いわけではない。

 フォルテミス神の手の内では、彼女は育たない。そう、制限されているのだ。


 フォルテミスは正義と秩序を司る神だ。

 英雄が出てくると、争いが起り、秩序が崩壊する。


 故に、フォルテミスは常に英雄の卵を監視している。

 その卵が孵化しないように。その卵すら生まれぬように……。


 フォルテミスが管理している世界に、アルトが現れた。

 幾人もの家庭教師が育てられなかったハンナを、彼はあっさり育ててみせた。


 彼がハンナを育てられたのは、フォルテミスの理から外れた存在だったからだ。

 やはり彼は英雄に必要な、踏み台だったのだ。


 レベルが30を超えたところで、英雄ノ卵が孵化する条件が整った。

 あとは孵化を待つばかり。

 そう思っていた。


 しかし、マギカの希望は、空からの予感により潰える。

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