禁断の果実に幻想を求めたらなんか楽しくなってきたので奴隷なんてやってられなくなった件について

ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中

第一部 獣人族編

第1話 『おっぱいに触れるまでは死なない』

 『おっぱいは男の浪漫である――グレゴリー・オット』


 かの偉大な西ダルタン連立王国創始者且つ初代総帥であるグレゴリー・オットの残した言葉である。その言葉には彼の女性の胸部への憧れ及び保護精神が込められているとされる。連立王国の全ての男性は、女性の胸部及び女性自身への敬意を持って接すること、ついてはそれが連立王国内の和へと繋がると説いた。


 その言葉に従い、国民達は多少の諍いはあれど圧倒的少数の女性を敬い大切に守っていたという。



 ある日、魔族軍が西ダルタン連立王国を急襲し、自国で不足していると理由の為、西ダルタン連立王国の女性を軒並み攫っていくまでは。



 ヒースは物心ついた時にはすでに奴隷として魔族に所有されていた。


  十年前から始まった魔族による西ダルタン連立王国急襲事件で子供と若い男性は労働力として捕らえられ、女性は魔族の伴侶とされるべく連れ去られ始めた。


 年配者は、国の最低限の維持及び魔族の国に利益となるであろう技能を持つ者以外は一掃された。国の中枢にいた王族や貴族も一掃され、グレゴリー・オットの子孫で西ダルタン連立王国現総帥であるステファン・オットは魔族に囚われ西ダルタン連立王国の名義上トップとして未だ認識されているが、実際に生きているかどうかは謎である。


 ヒースは現在十五歳。ヒースの記憶が正しければ、もうすぐ十六歳となる。


 魔族の国では十六歳は成人と見做され、従順で使える労働力と反抗的で使えないゴミとに振り分けられ、後者と判断された者は処分される。


 自分はどちらだろうか。新たな城塞建設現場へと回され、ここ数ヶ月はひたすら石を運んでは積み上げている。身体は丈夫で勤務態度も真面目だが、如何せん目つきが悪い所為かよく目をつけられる。この目つきの悪さは仲間の男共に襲われない為の処世術の一貫であったが、魔族にはそんなことは関係ない。ここ最近はぐんと身長も伸び、それに伴い筋肉も付いてきた為女形として狙われる機会はぐっと減ったが、もっと若い頃は酷かった。始めの数年はまだ人としての常識が残っていた大人達が庇ってくれたりもしたが、数年経ち、それでも周りに女が一人もいない状態に慣れきってしまった男達は代わりにまだ年若い髭も生えない少年を狙う様になった。


 魔族に国が襲われ最後に生まれた子供は今は十歳前後。もうこの後は魔族との混血しか存在しておらず、奴隷として入ってくる若年者はこの先いない。皆それが分かっていた為、自分のお気に入りを確保しようと必死だったのだろう、待遇がよくなる代わりに身体を差し出し誰かの所有物となるか、それともあくまで抵抗し続け自分がのし上がり代わりに誰かを所有する立場になるかのほぼ二択になった。


 ヒースはそのどちらも選ばなかった。時折、どうしても男性は嫌だという大人もいることにはいたので、ヒースは今となったら少数派のその一派に属した。


 その一派の合言葉は『おっぱいに触れるまでは死なない』だ。おっぱいを再び触れる日が来るまでは諦めない。ヒース自身は、恐らく赤ん坊の頃には母親の物を触っていたのだろうが、記憶は一切ない。当然であろう。なので男達の語るその柔らかさや温かさ、それが与えてくれる絶対的安心感を聞く度、それを経験したことのある語り手達を心底羨ましいと思った。


「ヒースはよく働くし身体も丈夫だ、きっと大丈夫だよ」


 仕事後、給付される食糧の干し肉とカチカチのパンをかじりながら、当初からヒースに目をかけて助けてくれた初老のジェフが言った。


「そうだといいんだけどな」


 つい先日、時折癇癪を起こし周りに面倒をかけるルークが反抗的だと判断されて処分場に連れて行かれた。ルークは建設現場でまとめ役の一人となっているオーウェンというハゲで髭が立派な巨体の男の所有物とされており、処分が決定した際はまとめ役が魔族に食って掛かり大騒動になった。最終的に別の建設現場から似た様な少年を見繕うという話で落ち着いたが、その時の魔族の馬鹿にした蔑む様な目つきが忘れられない。人間の世をこうしてしまったのは誰の所為だと思ったが、魔族も女性の数が少なかった故の侵略であり、種の保存という観点でいえば、他所から奪ってでも確保するのは案外健全なのかもしれないとその時ヒースは思ったものだ。


 勿論、やられた側は溜まったものではないが。


「いずれにせよ、直前までは気を抜くなよ」

「ん」


 ジェフはヒースが男共に襲われそうになって小便をちびりそうになった時、奴らにこっそり所持品を差し出すことでヒースを守ってくれた。ジェフが持っていたのは一枚の春画だった。ジェフは趣味で絵描きをしていたそうで、元々何枚か描いた物を取っておいたという。若年者が襲われそうになる度に一枚渡して身柄を引き取り、そうして残った最後の一枚でヒースを助けてくれたのだった。感謝してもしきれない、正にヒースの大恩人である。


「疲れたなあ」

「もういい年なんだから体調には気を付けろよ」

「分かってるって。『おっぱいに触れるまでは死なない』んだから大丈夫さ」

「早く寝ろよな」

「お前もな」


 そうして各自用意された動物の皮と毛皮で出来た寝袋に潜り込んだ。ゴツゴツするが、それでも温かいので冷えはしない。ヒースはジェフがちゃんと寝袋に入ったのを見届けると、自分もゴロンと仰向けに寝転んで星空を眺めた。



 それからも労働の日々が続いた。休む日など雨の日位だ。雨の日は雨の日で内職をさせられるので、細かい作業が苦手なヒースにとっては晴れた日の労働の方がまだマシだった。身体を動かせば固い飯も美味く感じるし、何より何も考えずに寝ることが出来る。


 そしていよいよヒースは十六歳を迎えた。といっても今日が正にその日という訳ではなく、この月に生まれた者が全て一括りで十六歳と見做されるだけだ。


 この建築現場では十名程が今月成人となる様で、この日は朝から建築現場には向かわず魔族の監督者の居室へと集合することになっていた。


「ヒース、頑張れよ」

「出来るだけ頑張る」


 奴隷であっても生きているだけマシだ。ヒースはせいぜい従順に見られようとなるべく目を大きく開けておくことにし、監督者の居室へと入っていった。


「そこへ並べ」


 監督者の魔族の一人がヒースにそう声を掛けたので、ヒースは大人しく指示された場所に立つ。


 魔族は、様々な種族の総称を魔族と一括りに呼ばれている。獣人もいれば爬虫類の様な魔族もいる。この現場の監督者は竜人と呼ばれる魔族の中でも上位種で、持っている魔力も最高を誇る。その横に部下として控えているのが獣人で、茶色い耳がパタパタと動いていた。犬の獣人かもしれない。


 合否判定は魔族が唱える魔法によって判断される、らしい。その現場に居合わせたことがないので詳しくは知らないが、大人の手の甲には皆同じ刻印が魔法によって刻まれていた。

 

「すでに知っている者もいるかもしれないが念の為説明すると、今から大人達の手の甲にある物と同じ刻印を刻む」


 つかつかと竜人が一人目に近付いていった。見た目は人間によく似ているが、瞳孔が縦長になっている。硬そうな耳がひらひらしており、角が二本頭から生えている。魔法で变化出来ると聞いたが、竜人の变化は今までお目にかかったことがなかった。


「手を出せ」

「は、はい!」


 一人目の少年が手の甲を出すと、竜人がそこに爪で引っ掻き少年の血で刻印を刻む。モゴモゴと何か唱えると、手の甲がぱあっと光りやがて落ち着いた。竜人は刻印を残りの少年達に見せる。


「この様に刻印が青く残ったら合格だ。反抗心が強い者はこれが赤く光る。その後は処分場に連れて行かれる。以上だ」


 ヒースはごくりと唾を呑んだ。目の大きさなど関係なかった。次の少年も合格。その次も合格。ヒースはドキドキしながら順番を待つ。もう次の次がヒースの番だった。


 すると、ヒースの前の少年が全く手を出さない。その場に不穏な空気が流れた。


「処分されたいか」

「……ごめんだね! お前らを道連れに出来るこの時を待っていた!」


 そう言うと、少年は建設現場用のダイナマイトを胸元から取り出し口に加え、両手に火打ち石を持った。


「お前何してんだ俺達も殺す気か!」

「に、逃げろ!」


 ヒースも叫んだ。


「おっぱい触ってねえのに死ねねえよ!」


 合格になった者もまだな者も、我先にと脱兎の如く部屋から逃げ出す。勿論ヒースも例外ではない。魔族達は少年を止めようと覆いかぶさろうとしていたが、「あ! お前!」という獣人の声がし。


 ドゴオオオオオオウン‼


 爆風がヒースの背中を押した。中からは阿鼻叫喚の声。一瞬振り返るが、土煙で何も見えない。


 大人達がわらわらと寄ってきた。


「お、おい! 今なら逃げられるんじゃないか⁉」


 誰かが言った。そうだ、監督者達は全て中にいた筈だ。


「で、でも刻印が!」


 周囲がざわつき、止める者、戸惑う者で辺りはぐしゃぐしゃになった。


「ヒース!」


 人混みをかき分けてジェフがやってきた。


「お前、刻印は⁉」


 ヒースは手の甲を見せながら答えた。


「それがさ、俺の前の奴がいきなりダイナマイトを持ち出してきてまだ」

「でかした!」

「え?」


 ジェフがぐい、とヒースの手を取り走り出した。


「刻印があると反気がある者は処分されなくてもいずれ魔力に蝕まれて死ぬだけだが、ないなら逃げられる!」

「え? でもジェフは」

「俺は出来ない! だけどお前だけなら逃げられる!」


 ジェフは建設現場の囲いに出来た隙間までヒースを連れてくると、そこにヒースを押し込んだ。


「行け」

「いや、だって俺一人じゃ」

「行け!」


 瓦礫の下から這い出てきた獣人が、逃げ出そうとしている人間がいるのを見つけ、片っ端から排除し始めた。さっきいた少年も今斬られた。ああ。


「ここは俺が守るから」

「ジェフ‼」


 獣人が血まみれの剣を手にこちらに向かって来ていた。


「おっぱい、触るんだろう? 俺はまあ、触ったことあるしな。ははは」


 ヒースの目から涙がボロボロと溢れ出した。


「俺はお前の根性を買ってんだよ。なかなか骨のある奴だってな。だから頑張れよ。ほら、合言葉言ってさようならだ」


 合言葉。いつも笑いながら言っていたあれだ。ヒースは涙をぎゅっと拭くと、ジェフに向かって叫んだ。


「ありがとうジェフ! 俺は……俺は、『おっぱいに触れるまでは死なない』!」

「よーし、行って来い」


 そう言うと、ジェフはヒースの尻に蹴りを一発入れて押し出した。ヒースはもう振り返らなかった。背後から、ジェフが叫ぶ合言葉が途中で止まるのを……聞いた。

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