<17> 凸凹って漢字な感じ

「え、ロディさん?あれ?金髪・・・」

「話しかけた私は無視か・・・」

 手前の誰かの呟きは聞こえている。けれども、そんなものこれっぽっちも大切じゃない。

「あの!あっ」

 声は届かず、振り返るでもなくその男は外へ出て行ってしまった。


「アレは私の護衛だよ、お嬢さん。いや、『エル・グランデ夫人の書簡』作者エルこと、ルリルーさん?」

「それをどこで・・・」

「まあ、他者の秘密を知ることのできるやんごとない身の上だと思ってくれたまえ。さて」

「リグイット公爵令息様はルリルーちゃんの仕事を見学したいんだってよ」

「バラすの早いなっ」


 まあこんな金髪碧眼の男性なんて王家に連なる一族と相場が決まってる。ただの金髪碧眼ではないからだ。

 陽に当たらなくとも紫に光る金色も、瞳の内側に独特の文様を描く摩訶不思議な碧の濃淡も、絵姿で拝見しただけだが、現実目の前にいればその特異さと壮麗さ、美醜を超えた神々しさを感じざるを得ない。

 この方が王弟リグイット公爵のご子息ならば、先ほどのロディさんによく似た金髪男性は、その護衛騎士で。


「ジルベール・アダン、次期侯爵令息」

「ブレないお嬢さんだなぁ。侯爵の孫より公爵の息子の方が色々便利だぞ?」

「私、庶民なんでやんごとない方は畏れ多くて。帰っていただけます?」

 ホントにブレない、と今度はにやりと笑って、私の背後にいる印刷屋夫婦に目配せする。


「ホント申し訳ないんだが」

 諸処の事情により本日の作業光景を見せてやって欲しい。二人に頭を下げられては仕方ない。仕事でお世話になっている方たちというだけでなく、大好きなひとたちだから。


「見せ物として面白いかは、うーん、私なら面白いと思いますが、貴方様がどう感じるかは」

 貴方様にしか分かりませんよ?




 庶民が気軽に本を読めるようになったのは、活版印刷技術のおかげだ。

 金属の活字を並べた組み版にインクを馴染ませて紙に押し付ける。

 ひとことで説明できるこの技術がどれだけ大変な労力の上に開発されたもので、どれだけの影響力を持つものか、印刷書物が既にありふれたものとなった今では、それを考える者は少ない。

 だが、私は自作を世に送り出すにあたり、この素晴らしい技術に敬意を払いつつも、数少ない欠点を突くことを思い付いた。



「自動筆記、穿」

 作業場に立て掛けた金属の薄板に魔法で直接文字を刻む。時に太く殴り、時にか弱く乱れつつ、私自身の筆跡でエル夫人の想いが綴られていく。


 鳥の相引きの声に、約束だけを残して消えた男を詰り、泣き濡れる夜の長さを嘆く。

 嵐に遮られる風景に、仮面のまま抱き寄せた名も名乗らぬ男を呪い、激情に溺れた自らをも恨む。

 だが、彼女は恋することを止めはしない。

 不徳も不実も。

 甘い果実は転がり続け、彼女も転がり続ける。

 天に昇り、地の底深く埋められる。そんな片恋を飽くまでも、抱き続ける。



「これ、は・・・」

 一枚、二枚、次々とできていく凹版に、見学者が呟く。

 凸版の活版印刷は、反転させて凸状に作られた一文字一文字を並べて印刷する。つまり、どの本も、どの場面も同じ文字だ。

 書簡でそれはない。

 手紙には相手がいる。特に恋文ならば、平坦な気持ちで書けるものではない。

 もちろんそれらすべてを文章で表現するのが作家なのだろう。だから、横紙破りという批判も聞く。

 だけど。

 思い付いてやったもん勝ちでしょう?

 私は彼女の想いを、私自身の文字にも載せる。



 作業が終わり、印刷屋のご主人からタオルを受け取った私に、男は話しかける。

「いや、複合魔法とは恐れ入った。だから未だに類似作品が出ないのか」

「技術としては目新しさはありません。木彫り文字での印刷はかなり古くから用いられてきましたから」

「この練度、速度で文字を彫れる者がいるものか。普通に手で彫れば価格は十倍、いやもっとか」

「初級魔法だけですが、コツは必要でしょうね」


 こんな街中にいるような立場でないはずの男、というか学園の制服着て何ほっつき歩いてんだよって男は、何故か苦味の混じる顔になる。

「もう少し早くに観にくるべきだった。早い者勝ち、なんて理屈は知らないが、まあ」

 今日のところは。


 そして公爵令息というその男は私の右手を取ると少し屈んで唇を寄せた。

 湿りを含んだ冷たい感触に戸惑って思わず辺りを見回す。

 壁際からこちらを伺う青い眼差しとぶつかって、私の心臓はタタラを踏んだ。

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