第4話なにがあったの
何度も歩いた道を歩く。
先の方に小さな鳥居が見えてきた。色褪せて、くたびれてしまったお稲荷さんが変わらず座っていた。
何度も何度も往復した道を歩く。
道を曲がればすぐそこだ。いくつも家が見えてくる。
そう、いくつもの家が見えてきた。
人の気配が全くしない住宅地がそこにはあった。
足が止まった。あんなに軽かった足が。
そこは確かに記憶通りの場所だった。でも、誰の声もしなかった。
時間を重ねた建物。カーテンや雨戸が閉まりきった窓。車が一台も入っていない車庫たち。門の柵は鍵がかかっているのかがたがた揺れるだけ。
最後に見たその場所はもっと明るかった。日が当たってあたたかかった。たくさんの声や、音が聞こえていた。
喋り声、笑い声、子どもや妹弟を叱る声、泣きわめく子どもの声。でも、やっぱり多かったのは笑い声。楽しそうに生活する、家族の声。
私の年下の友人たちを含めた住人たちの声が聞こえていた。
聞こえていた、はずだった。
だから、時間が経ってもその場所は変わらない。そう思っていた。
こんな風に変わってしまうなんて、思わなかった。思いたくなかった。
彼らの未来は光輝いて、希望に満ちていたはずだった。それなのに、なんでこんな風になってしまったんだろう。
外側だけはあの日のままで、中身だけが空っぽにされて置いていかれた家たち。
その場所は私の知らないうちに冷めきってしまった。
私は、気がついたらあの子の家の前に立っていた。何度もチャイムを鳴らしに玄関へ立ったあの家。
他の家と同じように閉じられ、物音すらしないあの家。とても、冷えていた。
だけど、なんでだろう。
その家だけ、なにかの気配がした。
私はしばらくそこに立ち続けた。
あの子は、あの子たちはどこにいるんだろう。そう、ぼんやりと考えながら。
どれくらい時間が経ったのか、私はやっとそこから帰ろう思った。そこにいても何も変わらないから。何もわからないから。
ただ、どうしてもバケツだけは置いていこうと思った。だから私は記憶を頼りに、家の裏手へと回った。そこには水道があった。多分水ももう出ないだろう水道の蛇口に、私はバケツを引っ掛けた。
さよなら。
私は心の中で言った。楽しかった思い出に、別れを告げた。
自分の唇が乾いて、頭が冷えていくのがわかった。
全部終わったんだ。きっと望んだ通りの、後腐れのない終わり方だよ。
そう思おうとした。でもやっぱり寂しくて、私はまたしばらくそこから動けなくなった。
どんな顔で私はあの子の家を見ていたんだろうね。
不意に、後ろから声が投げ掛けられた。それも私を更に突き落とすような言葉が。
「そこの家の人は亡くなりましたよ」
私ははっとして振り向いた。誰かいるなんて。
背後に立っていたのは一人のお婆さんだった。いや、お婆さん、と言っていいのか迷ってしまう。
彼女は短い白髪で、背がひょろりと伸びていた。がりがりに痩せていて、手には皺がたくさんあった。
私がお婆さんと言いにくいのは彼女の雰囲気からだった。
腰が曲がるなんて無縁の真っ直ぐ伸びた背筋。ほとんど傷んでいないだろう白い髪。なんと言ってもギラギラとした目。
私の中にある「お婆さん」のイメージから彼女は遠かったんだ。
それから、彼女の言ったことがじわり、じわり、と、頭に、脳に、染み込んできた。
なくなった
だれが
あのこが
あのこたちが
あの、かぞくが
なんで
いつ
どうして
私は固まった。言葉が染み込んだ脳は理解しようと動き出す。だけど変な甲高い音がして、頭と胸が痛くなる。
もう、あの人たちは、どこにも、いない。
息苦しくなった。息が吸えない。息が、吐けない。
それでも、やっと吐けた言葉に意味はなかった。
「なんで」
私は彼女を見た。たくさん言いたいことも聞きたいこともあった。でも、ひとつだって伝えることはできない。
ここはどうしたんですか? あの家族たちはどうしたんですか?
頭がぐちゃぐちゃして、うまく動かせない。
彼女はそんな私に問いかけた。
「貴女はどうしてここに」
私は淡々と過去を語った。昔一緒に遊んだ友人たちのことを。そのうち頭に冷静さが戻ってきた。それと一緒にやって来たのは、悲しいという感情だった。
ここはああいう場所だった。ああいう人たちがいたはずだった。それなのに、どうして。
私は彼女を見た。見たこともない人だった。
私の聞きたいことが伝わったのか、彼女は顔を家の隣に向けてこう言った。
「私はそこに住んでいます」
彼女は、あの子の家の隣に住む住人だった。見たこともない人だった。
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