初雪

夏秋郁仁

初めての雪

「今日の天気予報、見た?」

 同僚が、いきなりそう言ってきた。俺はモニターから声のする方へ顔を動かす。

「……見てないが、どうかしたのか?」

「そう、見ていないのね。残念」

 シオリは淡い色の口紅が塗られた唇を尖らせている。俺より二周りほど若い外見の彼女に、また口紅変えたのか? などと言ったらセクハラだと叱られるだろうか。季節感や天気を気にして服などを決めるらしい彼女は、楽観的なくせにそういうことにうるさい。

「何が残念なんだ?」

「だって、今日は見損ねてしまったんだもの。でもやっぱり、貴方は天気予報をみていないのね」

 落ち込んだ表情でシオリがキュッとケーブルを繋げた。パパパ、と彼女の正面のモニターが移り変わるのを眺めながら返事をする。

「見てもつまらないし、この職に就いてて見る意味ないしな」

「まあ! 最近工夫されてるのよ? 読み上げる女性の声が柔らかくなってきたし」

「へー」

「気の無い返事ね……っと、呼ばれてるみたいだわ。ちょっと待っててね」

 とシオリが立ち上がり、話が途切れた。

 つられて扉を見ると若い男が困った顔で立っている。

 同僚に呼ばれたらしい。アンドロイド特有の黒い服をまとった二人が話すのを横目に、端末に打ち込む作業を再開する。これはひどく単調で、面倒な仕事だ。人間がする意味ないだろ、と思うものの、上は『観測と記録は人間にしか出来ない』とか言う。たかが天気、管理の奴らだけで十分だろうに。




 ずらりと並ぶモニターを眺めながら時々キーボードを叩く。飽き飽きして手を止め首をぐるりと回した時、ぱたぱたと走るような足音が聞こえた。

「ねえ!」

 柔らかく女性的な声。

「今日の仕事は終わりですって!」

 はあ?

 驚いて顔を上げる。彼女の瞳はキラキラと輝き、口元はだらしなく緩んでいる。嬉しくて嬉しくて仕方ない、といった表情。

「どうして、終わりなんだ? なにか異常でもあったのか?」

「外が変なの! 天気がおかしいって!!」

 身振り手振りを加えて、彼女には珍しいことに曖昧な説明をする。的を得ない答えに俺は眉を寄せた。

「天気がおかしい? 俺が出社する時まで晴れてたろ?」

「だからおかしいのよ! 突然の異常気象ですって!」

 異常気象? 気象に、異常があったってことだよな?

 変なことを言い出した彼女をまじまじと見つめる。

「なんで嬉しそうなんだ。俺らの、観測の仕事が増えるだけだってのに」

「だって! 異常気象なんて百年くらいなかったもの!」

「百年も前なのか……その時は何が降ったんだ?」

「えっと……」

 数秒ほど宙に視線をやったかと思うと

「大雨!」

 と楽しげに叫ぶ。

「えええ、どうしましょう! 異常気象ですって!」

 少女のようにはしゃぐシオリは、未だ重要なことを言っていない。

「おい。今回は何が降ってるんだ?」

「さっきの管理の彼が言うには――」

 そこで彼女は踊るようにくるりと回った。これまでの長い付き合いで、これほど嬉しそうなさまは初めて見る。

「ユキ! 雪、ですって!」


「なるほど異常気象だ」

 凍えそうな寒さに身を震わす。ただのスーツは冷気を防いでくれない。顔をしかめる俺とは対照的に、シオリははしゃいでいる。

 くそ、あいつが『どうせ仕事が面倒になるなら先にサボればいいのよ』なんて言うから、つい出てきてしまった。

「雪! 初めて見た!」

 シンプルなデザインのワンピースがくるくる回る。真っ黒な服と淡い色の口紅が、白に染まりつつある風景によく映えた。

「そうなのか? 見たことはあるだろう?」

「あ、そうね。正しくは“初めて触った!”ね!」

 知識だけでなく体験も合わさる瞬間に執着する彼女が、ふわりと少女のように笑う。この顔が好きで、俺はもう二十年近くも共にいる。

 目を細めてシオリから視線をそらし、白くてふわふわと舞い落ちるそれを眺める。先ほどからスーツにはらはらとぶつかり崩れていく雪のつぶ。そっと触れると、冷たいと感じるよりも早く、溶けて水になった。

「俺は雪について詳しく知らないんだが……凍った雨だよな?」

 ふ、と吐いた空気が白くなる。冬は知ってるが、雪は知らない。事故の原因になるから存在が許されなかったものだ。俺の知る限り、水が凍らないくらいの温度設定が続いている。だから雪は天気の一種だと、学生時代に教科書で読んだ程度の知識しかない。

「まあ、ロマンはないけれど、間違っていないわね。天気が管理されていない時代の、この都市にだけじゃなくてもっと人間がいた時代の、天候の一種よ」

 ふうん、と息をつく。また白くなる。ヒューマノイドアンドロイドのくせに、シオリはやたらと人間くさい。今も過去を思って遠い目をしている。知識だけしか残っていない時代を懐かしんでいるらしい。俺なんかは、生まれてもいない、爺さんまで遡っても怪しいくらいの大昔に、郷愁なんてない。

 ……ないが、彼女のそういう顔を見るのはさみしいと思う。




「わたしたち人型の人工知能が一般化するより前、ロボットが多かった頃のもの……なんて、貴方に教えるみたいに言ってるけど、わたしも初体験だわ」

 ふふ、とシオリは笑っている。遠くを見るように緩んだ瞳、柔らかく弧を描く口元。どこか母親のように思える表情に、しばし目を奪われた。

「あー……俺、大昔のことを知らないんだが……確か、人間の方が多かったんだよな?」

 言いながら道に目をやると、間抜けに口を開けた若い人間がいた。初めて見る雪に心奪われたように足を進めている。こちらに気づいていなさそうなため、ぶつからないようシオリの肩を抱き、端に寄る。

「んー……歩きながら話しましょうか。えっと、雨は雲から降っていたの……雲は分かるかしら? ええ、そう。小さい水の集まりで合ってる。そして雨の粒が冷やされて凍ったものが雪、らしいわ。太陽は人口のものじゃなくて天然の恒星だったの」

「ふーん……不思議な話だな。おとぎ話みたいだ」

「本当にね。天候が不安定に移ろっていくなんて恐ろしい話よね」

 まったくだ、と返して、想像してみる。

 朝起きて天然の日光を浴びる。今日の天気はなにかなんて考えて、予定を立てる。その考えは外れることもあるのだ。それはきっと、不確定要素ばかり。

「――でも、楽しそうよね」

「そうか? ……ああ、君は、天気予報を見るからな。今の百パーセント当たる予報は、面白くもなんともないが」

 うんざりとして肩をすくめる。一年先の天気だって分かるこの都市で、雨だか晴れだかが生活にどう関係するのか。

 俺の声に彼女はクスクスと笑う。

「あら、知らないのね? 最近の天気予報はハズレるのよ……わざと外してるの」

「なんでまた」

「絶対なる安定は退屈だから。そこは昔も今も、さして変わっていないのよ、きっと」

 ……まあ、確かに、異常気象に人びとが喜んでいるのは事実だ。多くのアンドロイドも少しの人間も、関係無しに空を見上げ、宝石でも触るように雪に手を向けている。

「データによるとね、昔の、雪が普通に降っていた時代でさえ、場所によっては雪が降ることを喜んだらしいわ」

 シオリが俺の肩に手を伸ばす。そうっと、乗った雪に触れた。

「つまり、雪の幻想性も、変わらないのよ」

「……ロマンチストだな。長い付き合いだけど、そんなことを言うなんて知らなかった」

 俺の白い息と、視界を薄く染める雪といたずらっぽい表情の黒い彼女。

「ふふふ、知らないの? ――アンドロイドだって夢を見るの。積もったら雪だるまを作ってみようっていうくらい、ささやかに」





終わり

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初雪 夏秋郁仁 @natuaki01

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