お料理

 じゅー、じゅー、と。肉の焼ける音と生姜の香ばしい匂いがリビングに広がる。

 それだけで、一日の疲れを溜め込んだ僕のお腹を空かせるには十分で、気を抜いてしまえばお腹の音がなってしまいそうだ。


「いいよねー……女の子がキッチンに立ってる姿」


 僕は邪魔にならないようにリビングでキッチンの様子をまじまじと見ていた。

 キッチンには、家から持ってきたのであろう翡翠色のエプロンを身に着けた神楽坂さんの姿。そして、僕の黒色のエプロンを着けたミラねぇ。


『ミラシスさん……こ、このような感じでよろしかったでしょうか?』


『うん、ばっちりおっけー♪』


 翡翠色とミスリルのような銀髪が清楚な雰囲気を醸し出す。さながら、ご令嬢が愛おしい人のためにキッチンに立つ姿のよう。

 逆に、男性用の黒色と黄金色の髪やエプロンが浮き上がってしまうようなスタイルは、さながら色っぽい新婚奥さんのよう。

 三者三葉————それぞれがそれぞれの魅力を持ってキッチンに立っている。


 一言……一言だけ言わせてほしい――――眼福です、と。


「きしょいな、お前」


「この光景を見てもそんな言葉が出てくる悠は最早男じゃないね」


 リビングのソファーで僕の愛読本を読んでいる悠が僕の姿を見てそんなことを言ってくる。

 女性二人がいる状況でそんな本を読むなんて……ある意味肝が据わっているなって思う。


「そうか……?」


「そうでしょ? 全男の憧れは同浴と女の子に料理を振舞ってもらうの二つだよ? そのうちの一つが今、正に叶おうとしてるんだ……これって、素晴らしいことじゃないか!?」


「同浴という言葉は初めて聞くが……どういう意味かなんとなく理解できてしまうあたり、恐ろしいな」


 同浴=一緒にお風呂に入ること(玲辞典抜粋)


「まぁ、お前が興奮する理由はそれだけじゃないだろうが……どうだ? 神楽坂を家に招いた感想は?」


「切実に今持っている愛読本を僕の部屋に戻して来てほしいって思ってる」


 神楽坂さんに見られてしまったらどうしてくれるんだ。

 ミラねぇの目を盗んでようやく確保できた一品なんだよ?


「俺の話を抜きに感想を言え」


「そうだね……正直、夢じゃないかなって思ってるよ」


 神楽坂さんとは中学時代から交流があってお隣さんではあったものの、招く理由がまったくないために今まで招待することなんてなかった。

 お隣さんっていっても、そんなものだよ? 劇的なイベントなんて、早々起きないんだから。


 けど、こうして今は招くことができたんだ……それはすっごく嬉しい。

 好きな人の役に立てるっていうのもそうだけど、こういうイベントを積み重ねていって親密度を上げていきたい。


「今日の食費を聖遺物に費やした俺に感謝するんだな」


 色んな意味で感謝できかねる発言だ。


「玲く~ん! ちょっとこっち来て~!」


 唐突に、キッチンからミラねぇが僕を呼んできた。


「どうしたんだろ?」


「さぁな? 食器が見当たらないとかじゃないか?」


 ミラねぇには食器出しはしてもらっているからそんなことはないと思うんだけどなぁ……?

 不思議に思いつつも、僕は腰を上げてキッチンへと向かった。


「どうかしたの?」


「ちょっと、玲くんに味見をしてほしくて~」


 なるほど、味見役で呼ばれたのか。


「お、お願いしてもよろしいですか……?」


 おずおずといった様子で、神楽坂さんは僕に頭を下げる。

 普段のお淑やかな所作とは違い、今は緊張を孕んだ様子。遠目から見る分には癒されていたけど、こうして間近で神楽坂さんの姿を見てしまうと……ギャップも合わさって、ドキッてしてしまう。


「う、うん……任せてよ!」


 うわずってしまった声で、僕は胸を叩く。

 こんなことで役に立てるなら、何度でも呼んでほしい気分だ。


 早速、その味見する用の生姜焼きを食べようかな。

 そう思って、取り分けられた小皿のありかを探す……あれ? 味見する生姜焼きは?


「じゃあ、玲くん――――」


 あった、ミラねぇが手に持っているや。

 もしかして「あーん」でもさせるつもりだろうか?

 ……ミラねぇはやりかねないなぁ。神楽坂さんの前だし、そういうのは丁重に断固にお断りしなきゃ。


 しかし、そんなことを思っていたんだけど—―――ミラねぇが、奇怪な行動に出始めた。


「ミラシスさん……?」


 神楽坂さんの疑問の声が聞こえる。

 それも仕方ないと思う。だって、のだから。


 そして—―――


「ひゃい、ふぁーん(はい、あーん)」


「何してるの!?」


 そのまま、僕の顔に唇を近づけてきた。

 あまりの奇行に、思わず近づいてきたミラねぇの肩を掴んで思いっきり離した。


「ごくんっ……口移ししようかなーって思って!」


「人の目を気にしてほしい以前に、行動を見直してほしいっ!」


 どうして口移しの必要があったのか!? 本当に驚きだよ!

 ほら! 見てよ神楽坂さんを! あまりの奇行に「そ、そんな……こともするんですね」って頬を染めてチラチラと覗くように手を覆っているじゃないか!

 これ、ちょっと変な方向に勘違いされている証拠だよね!?


「だって……ここって、私達の家だよ?」


「それが!?」


「だから……イチャイチャするでしょ?」


「さもこの行動が日常的に行われていると言わんばかりなことを……ッ!」


 何一つ……何一つとして理解が追い付かない。

 最近、ミラねぇがあらぬ方向にぶっ飛びすぎているような気がする。


「まぁ、玲くんが拒むだろうなーって予想はしてたよ」


「当たり前の反応だよね」


「だから、これ—―――どうぞ~!」


 ミラねぇが背中から新しい取り皿を渡してきた。

 そこには、取り分けられた生姜焼きが—―――あるんじゃん。普通に味見させてくれるんだったら、さっきの行動って必要ないよね?


「あわよくばって期待してたのに……」


 なるほど……こっちは神楽坂さんを傷つけないようにする保険か。


「はぁ……ミラねぇには毎度毎度困らされるよ……」


 ため息をつきながら、僕は生姜焼きを口に運ぶ。

 苦手って言ってたから、多少なりとも味が偏っているのかな――――なんて思ったけど、そんなことはなかった。


 ほどよい味付け、ちょうどいい焼き加減。

 慣れないと言っていた割には凄く上手にできていると思う。


「うん、これすっごく美味しいよ」


「本当ですか!?」


 僕の言葉に、食い気味に反応する神楽坂さん。

 よほど嬉しかったのか、安堵と喜びが顔いっぱいに広がっている。

 それを見て……胸が高まってしまったのと同時に、頑張った人が報われた瞬間を垣間見れた気がして嬉しく思ってしまった。


「よかったです……」


 嬉しそうにする神楽坂さん。

 彼女が成功したのも、己の向上心と—―――ミラねぇの教えがあってからこそのものだろう。


 功労者を労う……っていうわけじゃないけど、僕は思わずミラねぇの頭を撫でてしまった。

 すると――――


「ich hab es gemacht ……」


 嬉しそうに、目を細めてミラねぇは頬を染めた。

 口から零れた言葉は理解できなかったけど……。


「ッ」


 その姿に……どうしてか、顔が赤くなってしまった。

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