第3話 死にたいですか?

 次の日から風邪をひき、三日間学校を休んだ。


 陽樹は馬鹿だと笑い、母親はアホだと呆れ、自分でも間抜けだと思った。


 三日間爆睡をして四日目、万全な体調になったため珍しく最後まで真面目に授業を受けると外はすでに暗くなり始めていた。サークルに顔を出すという陽樹と別れ、僕は学食へと向かった。


 学食に入るなり彼女を探していた。いつものように本を広げ、いつものような空間を創りだし、彼女はそこにいた。彼女以外はテニスサークルのグループが六人でキャンプの企画について話をしていたし、他にも何人かがグループを作って談笑していた。僕は盛り蕎麦を買い、彼女の席の真向かいまで行き声をかけた。


 なんとなくそうしたくて。


「ここいいですか」


 花は静かに本から顔を覗かせると、どうぞ。それだけ言ってまた本を読み出した。


 カヴァーが外された本には、『人形の家』とあった。僕はしばらく蕎麦を食べながら、彼女の姿を眺めていた。


 上下にリズムを刻む黒目は決してこちらを見ようとはしない。


 もちろん彼女は僕のことを知っているわけもない。彼女にとって僕は唯の他人なのだから、そんな反応は当然だ。


 でも、無視されている気分になった。


 しばらく彼女の姿を眺めながら、彼女の肌の白さは本当に生きている人なのかと思わせた。遠くで感じた存在感は近づくことでぼやけて、彼女はここに居るのか不安になった。


 瞬間、僕は本を取り上げていた。本を右手で掲げている僕を彼女はやはりただ見上げた。


「すみません」


 そう言って掲げた本を元あった彼女の手に戻した。僕は蕎麦に目をむけ一口すすると、二ページほど読み進めた彼女はこちらをみた。


「あの、何故本を取り上げたのですか」


 僕は慌てた。


「いや、すいません気づいたらとってました。理由なんてありません。ほんとすいません」


 ふぅん、彼女はそれだけ言って本に視線を戻し、本を再び読み始めた。


「でも、いつも本を読んでいます」


 なんとか話題を変えようとして話した瞬間後悔した。


 いつも見ています。と告白しているようなものだと気がついたから。


「ええ、暇つぶしに」


 彼女はそんな僕の気持ちに気がつかず質問だけに応える。


「ずいぶん暇なんですね」


 僕は冗談ぽく言った後に、皮肉な言葉だと気がついた。


「ええ、死にたいくらいに」


 真顔で答え、花の視線が僕の目を貫く。


「あなたは生きていて楽しいの?」


 視線の後に言葉が突き刺さる。


「楽しいですよ。それなりに」


 困惑しながら答える僕に


「羨ましいわ」


 彼女はそうこぼした。


「つまらないですか」


「つまらない」


 僕の質問に彼女が即答する。


 そして悲しい人なのだと思った。


「彼氏いるんですよね」


 僕は彼女の薬指にはめられたリングに目を向け、四日前のことを思い出す。


「いるわ」


 彼女はそう言ってリングに触れると一度だけくるりと回した。


「彼氏がいるのにつまらないのですか」


「彼氏なんて本当はいらないわ」


 彼女は眉間に皺をよせた。見逃すほどに瞬間だったけれど、確かに。


「じゃあ、なぜ付き合っているのですか」


 なんだかむかついた。


 彼氏や彼女がいるから必ず幸せなのだと思っているわけでもないけれど、じゃあ、四日前の彼女の笑顔も嘘だったのだろうか。そう思うと、馬鹿にされている気がした。


 彼氏でもないのに。


「にげるため」


 彼女の声が静かに響く。


 丼のヘリにこびりついた蕎麦は干からびて、僕はそれをそのまま返却口へと持って行った。


 自販機に金を入れボタンを押すと、ガコッと缶コーヒーが音をたてて落ちてきた。


「ねえ、もし貴方が私の彼氏で私のことを本当に愛していて、そんな私が心から望んだならば、私を殺してくれる?」


 席に戻った僕に彼女が話しかける。座ることなくコーヒーを一口飲むと、甘ったるさが口の中に広がる。


「いいですよ。どうやって殺して欲しいですか」


 僕は真顔で答えて見せる。


「砂のように粉々にして」


 缶コーヒーをテーブルの上に置くと乾いた音が響いた。


 次の瞬間彼女が笑った。


 鼻から息を流すように。


「できないくせに」


 むかついた。


「悲しい人ですね」


 今度は意識的に精一杯の皮肉を吐いた。


 だから死にたいの。


 そう言った彼女の目は寂しそうだった。


 冷たい空気に僕は戸惑い、それを隠すように缶コーヒーを飲み干した。


 いつの間にかサークルの集団は帰っていた。


「帰らないんですか」


 僕の質問にもうちょっとだけ本を読んだら帰るわと答え本に視線を送った。


「解りました。でも、お話できて嬉しかったです」


 素直にそう思った。


「私もよ」


 彼女はそう言って本を開き読み始めた。僕はバックを持って彼女に背を向ける。


 歩きながら、私もよ。という言葉を心でかみ締めると笑顔がこぼれた。


 外に出ると、ぬるい風が通り過ぎていった。空は見ると群青色をしていた

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