雪原で迷いました。

 拝啓 森様

 わたしは今、雪原の真ん中にいます。

 こんなはずじゃなかったんです。

 わたしたちが無事にいられるように加護をくれませんか?

 いえ、無理ならいいんです。

 泣き言なんで聞いてくれるだけでも嬉しいんです。

 自力でどうにかします。

 見守ってください。

 ノルンより。

敬具

 レッドさんがシアンさんを掴んで尋問していた。

「シアン、目印はどうなってるんだ?」

『えーっとですね……』

「まさかと思うが、涎で目印を付けたとかいうんじゃないよな?」

 レッドさんの怒気がこもった声で、シアンさんが冷や汗を流し始めた。

『ごめんね♡』

 シアンさんがウィンクして可愛く舌がペロペロした。

 レッドさんは笑顔で喉へと指を突っ込んだ。

 シアンさんが白目を剥き、舌をジタバタ動かしている。

『おえッ! やめッ! それはッ! うッ!』

 想像したくないけど、相当気持ち悪いんだろうなぁ……。

「あの、止めなくていいんですか、ノルン様?」

「いや、だって怖いもん。あれを止めるなんて」

 喜々として非道な行為をしているものを止めるなんて勇気がいるんだよ?

 ましてや、味方にさ。

 大丈夫かな。シアンさん白目を剥いて舌を突き出したまま泡拭いちゃったけど。

「やっちゃったかな」

 やっちゃったかな?

 今レッドさん、やっちゃったかなって言ったよね?

 ちょっと動揺を見せては、シアンさんの舌を摘まみだして操作した。

 シアンさんの声が聞こえない。

 まさか……。

 レッドさんがシアンさんをぶら下げてわたしに向けた。

「あの、シアンさんは?」

「やりすぎたかな。しばらく意識は戻らんだろう」

「ダメじゃないすか」

 当てにしていた手段がなくなったッ!

 どうすんのッ!?

「手がないわけじゃない」

 シアンさんの大きく開いた口から垂れた舌先から垂れている血を見た。

「あの……レッドさん……」

 まさか、シアンさんの舌を斬ったの?

 それを見たブランの顔が青くなる。

「安心しろ。街に着いたら起こすから」

「彼とは別行動をしましょうッ! ノルン様ッ!」

 ブランが涙目でわたしに訴えてきた。

「無理言わないの。わたしたちだって迷っているんだから」

「ワタシだって、鼻を利かせれば人の匂いは辿れ――ッ!」

 ノルンが反論すると、吹雪いてきた。

 もう何度もこの風と雪にさらされているのだろう。

「ブラン、帰り道はわかるよね?」

「ええ。そこまではわかるのですが……」

「そこまでわかれば充分だよ。街まではレッドさんに任せよ」

「……はい」

 ブランは少し不服そうだったけど、下がってくれた。

「俺の目の前でそんな話をされると複雑なんだが、この際だ、目を瞑る。とにかく、ここからはシアンの血を頼りに進むぞ」

 うん?

「今からシアンさんの血を垂らしているんですよね?」

「ああ。心象術で街の宿まで案内させるつもりだったが……」

 レッドさんがシアンさんを振って彼女の髪とイヤリングと舌を揺らす。

 舌から飛び散った血がわたしたちにかかる。

「ちょっと、やめてくださいよッ!」

「悪い。かけるつもりはなかったんだ。やはり、この天候じゃ無理か」

「……なにをするつもりだったんです?」

 考えていることがわからない、いや、心象術がどういうものかもわからないんだった。

「俺がこいつの血を操って、泊まった宿まで案内させるつもりだったんだがな。血が雪に埋もれて、赤く染みた雪が白く塗りつぶされていく。

「なんか手はないか、ノルン?」

 そういって、壮絶な死に顔のノルンさんをわたしに渡してきた。

 女の生首を渡す光景。端から見たら、わたしたちは殺し屋に見えるだろう。

「わたしに振らないでくださいよ……」

 シアンさんが、元が美人だっただけに、白目は剥いたまま、口も開けっ放し、舌も垂れっぱなしの首になっているので、惨いことをするなと心の中で愚痴を言う程度にした……。

 気を失ったまま目が開いているので、降ってくる雪に対して、瞬きで防ぐこともできない、

 わたしはかわいそうに思い、シアンさんの瞼を閉ざし、顎を閉ざし、舌の出血を治し、綺麗な美人の生首にしてあげた。

 それでも長い舌は引っ込めてあげられなかったけど、まぁ、美人でしょ。うん。

 あッ、そういや……。

「ブラン。そういや、あなたって呪詛を持ってたよね?」

「はい。持っていますが、なにを?」

 ブランは神獣だけあって、神霊に関する術が得意である。

 単に身体能力が高く鼻や耳が利くだけではない。

「変なこと考えていませんでしたか、ノルン様?」

「なにもッ! ほら、なにかないかなぁって」

「……確かに、今の状況にぴったりのものがあります」

「ホントッ!?」

 わたしは期待の眼差しで彼女を見る。

「ええ。偶然にも、シアンさんの血が必要なものですし……。ただ……」

「うん?」

「血で汚れるならまだしも、舌に触れるのは、ちょっと……」

「そうだよね……」

 なら、誰に頼むか?

 レッドさんでしょ。

 そう思い、二人で彼を見つめたが、そっぽを向かれた。

「あのー、レッドさ――」

「悪いが、そっちで進めてくれ」

「いや、でも――」

「俺はやらない」

「責任はあなたにありますよ」

「俺、知らないから――」

「この呪詛に彼女の血を付けるだけでいいんです。ですから――」

「断るッ!」

「「いやいやいやッ! お願いしますッ!!」」

「やだッ!」

 どうしたんだ?

 急に駄々をこねだしてきたぞ?

 ん? まさか……。

 わたしはシアンさんに視線を落とす。

 舌を振って、綺麗な瞳に戻り、ウィンクしてきた。

 あ、意識戻ったんですね。

 わたしは小声で話しかけた。

「あの、大丈夫ですか?」

『うん、ありがとね。わたしを治してくれたの、ノルン、あなたよね?』

「いえ、あまりに酷い顔になっていたので……」

『あいつ、そういう女の顔の首を好むからね。そんな感じにほったらかすのよ。あの女首フェチは』

 おいおい、そんな話をして、もっとひどい仕打ちを受けたらどうすんだ。

「その話、レッドさんに聞かれたら――」

『大丈夫よ。あなたとワンちゃんにしか聞こえないようにしているから』

 ブランもシアンさんに顔を近づけた。

 レッドさんはそっぽ向いたままなので、こちらの不審な行動に気づいていない。

「どうすればいいのですか?」

『まずは、ワンちゃん――』

「ブランです。次からそう呼んでください」

 生真面目なブランの態度に、めんどくさいと言わんばかりの目で見つめた。

『わかったわよ。ブラン、わたしの血がいるって言ったわね?』

「え、ええ、そうですが……」

 どの時点から起きていたのか気になるが、この際、気にしないでおこう。

 シアンさんが舌先を伸ばし突き出していた。

 舌先には紅い血が溜まっていた。

『ほら、これなら舌に触れなくていいでしょ?』

 ブランがシアンさんの目を見つめる。

「あの、すみませんでした……。ワタシは、あなたのことをかなり誤解していました。それどころか、毛嫌いまでしてしまって……」

『ま、わたしがこんなんだから仕方ないわよ。それより、ほら』

「はい。これです」

 ブランが袖から文字の書かれた紙、呪詛を取り出した。

 シアンさんがその呪詛を舐めるように血を付けていく。

 まだ舌先は紅いが、舌が出ている美女の顔に戻った。

『これでいい?』

「はい、ありがとうございます」

 ブランが血の付いた呪詛に息を吹き込む。

 すると、呪詛が折り紙で作られた鳥になり、空へ飛んでいった。

「成功です。ありがとうございました――」

『待ったッ! レッドにまだ報告しないでッ!』

 わたしたちの足が止まった。

『他にない? 今度は人を呪う形のやつがいいけど』

「えッ? どうする……」

 わたしは気づいた。

 シアンさんの見開いた目と大きく上がった口角と伸ばした舌で。

 そう、彼女の意図に。

 ブランが恐る恐る、袖から三枚くらいの呪詛を取り出した。

「あの、使うのはおすすめできませんが――」

 シアンさんはすぐにそのうちの一枚を舐めた。

 すると、その呪詛が光となって、レッドさんの頭に向かっていた。

『今の、どういう効果?』

「訊くより先にやらないでくださいよ……。これは呪術の一種ですが、単に頭痛がする程度で――」

「いだだだだだッ!」

 効果は抜群だ。

 レッドさんが頭を抱え、うずくまっている。

 吹雪いている雪原の真ん中で彼の悲痛な声が喚いている。

『他は、どんなの?』

 シアンさんが他の二枚を舐めようとするのを、ブランがしまい込んだ。

「駄目ですッ! 効果も効かずに呪術を発動させるなんてッ!」

「ブラン。あまり大声だと、わたしたちのせいだってバレるよ?」

『大丈夫、大丈夫。まだ痛がっているみたい』

「笑い事じゃありませんよッ!」

 とうとうレッドさんは跪いた。

 どうやら、話は聞かれていないみたいだ。

 こっちの話が聞かれていたら、わたしたちの首が狩られる。

『ね? 他の呪術はなんだったの?』

「どうせ、使う気ですよね?」

『いや、訊くだけ。殺したってなったらシャレになんないからさ』

 シアンさんの舌先はもう紅くなくなっていた。

 さっきので拭き取ったんだろうか。

「仕返し程度、でよろしかったんですよね?」

『ええ。いくらなんでも殺す気なんてないわよ』

「だったら、訊く前に発動させないでくださいよ……」

「えッ、殺す呪術あったの?」

「いいえ、殺す呪術はありません。幸運ですよ。持っていたら、シアンさんが使ってましたもの」

『あぶな……』

 シアンさんも危機感を抱いてくれたらしい。

「ワタシが持っているものは、腹痛を起こすものと、……陰部に痛覚を与えるものです」

『よかった。命に別状はなさそうね』

「もうあなたには使わせません」

「ちなみになんだけどさ、陰部に痛覚をもたらすってどういう症状が……?」

「そうですね……。体内の尿管に結石がいくつも作るものです。ですが、今まで使わせてくれなくて――」

「今すぐ捨ててッ! そんなもの、危なすぎるッ!」

 世界三大激痛じゃんッ!

 呪術で攻撃ってそういうことッ!?

 こんなの、幽霊に呪われるより質が悪いじゃんッ!

「そんなに慌てて、どうしたんですか、ノルン様?」

『そうよ、どうしたの?』

 あれぇ? この世界には三大激痛って浸透してないのかなぁ?

「……ダメだよ。それ治療するのに時間が掛かるんだって、自然治療だから魔法とかではどうにもならないから」

『そうなの?』

「そうなんですか?」

 二人が口を揃えて訊いてきた。

「そうなのッ! とにかく、そんな呪詛は捨てなさいッ!」

「ノルン様の言いたいことはわかりましたが……」

『ここで捨てたら、どこかへ飛ばされるわよ? それで、誰かが誤って血でも付いたら……』

 そうだわぁ。

 その通りですわぁ……。

 それで、被害が出たらわたしの責任だもん……。

「じゃ、帰ったらどこかに封印、いえ、処分して」

「わかりました……」

『ちなみにだけど、レッドにかけたらどうなってたの?』

「割とガチで家に連れ帰って摘出するまで治療させるレベルですよ」

『……今度からちゃんと訊いてからにするわね……』

「ワタシも、奥底にしまっておきます……」

 よし、これで激痛の危機は去ったかな。

 あとは、そうだな……。

「あの紙の鳥ってさ、どれくらいで戻ってくる?」

「とりあえず、式神が戻ってくるまで待ちましょうか」

 それまで辛抱か……。

『ねえ、ノルン。わたしをあいつの耳辺りまで近づけさせて』

 大体どうしたいのかは察しがついたが、わたしは言われるままに動いた。

 わたしが頭痛に苦しむレッドさんに近づいたころ、シアンさんが長い舌を伸ばして彼の耳を舐めた。

「な、なんだ……?」

 レッドさんがシアンさんに振り向いた。

 シアンさんは勝ち誇ったような笑顔でレッドさんを見下げていた。

『ねえねえ、どんな気持ち? どんな気持ち?』

 舌を大きく伸ばし、彼の顔を舐めるかのような動きをした。

「シ、シアン……。後に――」

『そりゃ、まあ。ああいう時って、わたしがポカするときだろうけどさあ、ちょっとはやり過ぎだとは思わない?』

 そう言うと、シアンさんがさっきの死に顔を再現していた。

『わたしが大体、ゲロを吐けないくらいまで、舌の付け根を弄んで楽しい? わたしの気絶している顔見て興奮してたの?』

「いやあ、出会ったころは、興奮、してました、けど……」

『なに? 最近は興奮せずにわたしの喉を弄りまわして楽しんでたわけ? 言ってみなさいよ。それとも、わたしが気絶している間に犯さず、玩具にしてたわけ? 答えなさいよ』

 怖い……。

 勝ち誇ったシアンさんの顔と発言が合ってない。

 大きく舌を出しながら笑いながらも、彼への今までの恨みを頭痛で苦しんでいる中で述べている。

 それに、そのシアンさんの笑顔がすごく色気のある。美女の首だ。

 前世だったら、その首だけで興奮していたんだろうが、今は違う。

 同性の上に、恨み言を言う生きている首は持つだけでも怖い。

『わかるわけないよね? わたしが今まで散々間抜けな顔にしておいたあなたには』

 なんか別れ話っぽくなってない?

 レッドさんが頭痛に苦しみながら頭を雪に付けた。

 土下座だ。

「悪かった……。正直、苦しんでいるお前を弄るより、気絶して間抜けな顔を見て興奮していた……」

『どんな顔が好みかなあ? 瞳が上に向いてる目? それとも、左右の焦点が揃ってない目かな? 舌はどんなふうに垂れているのが好みかなあ? ねえ?』

 レッドさんに顔を上げさせた後に、シアンさんが様々な変顔、いや、死に顔をしてみせる。

「本当にごめん……。次からは違う方法にするから……」

 それを聞いたシアンさんが急に変顔をするのをやめた。

『本当に?』

「頼む、から……。痛みが、止まないんだ……」

『わかったわ。その言葉を信じるわ』

 そう言うと、シアンさんの舌がレッドさんの額を舐めた。

『今回はこれで許してあげる♡』

「あれ? 痛みが……」

 すると、レッドさんが立ち上がった。

「やったッ! 解放され――ッ!

 シアンさんはそんな彼を、大きく目を見開き、口を大きく開け、舌を長く伸ばし、笑顔で見つめていた。

『レッド♡ さっきの話は覚えてるかなあ?』

「はい、覚えてますッ! すみませんでしたッ!」

 レッドが再び土下座をした。

『もういいわ♡顔上げて、わたしを持ちなさい♡』

「アイマムッ!」

 レッドさんはわたしから奪うようにシアンさんを持った」

『~~♪』

 シアンさんはすごく嬉しそうだ。

 レッドさんの顔からとてつもない汗と緊張感が見て取れた。

 わたしとブランは結局、この二人の痴話喧嘩に付き合わされただけな気がした。

 そんなことを言っていると、さっきの紙の鳥、式神が戻ってきた。

 式神がブランの手に留まった。

「みなさん、式神が戻ってきました……なにかありました?」

『なにも~♪』

「なんでもない……」

 シアンさんと彼女を持つレッドさんは反対な返事がしてきた。

 ブランがわたしを手招きして呼び寄せた。

「本当になにかあったんですか?」

「見てないなら、見てないでいいんだよ。なんか、わたしたちも複雑な気持ちになるから」

 「?」と首を傾げながらも、ブランは手の上に乗っている式神をみんなに見せた。

「とりあえず、これでシアンさんたちが泊まったという街まで案内してくれると思いますよ」

「そっか。じゃ、早速式神に案内させようッ!」

「はいッ!」

 ブランが式神を飛ばすと、わたしたちに合わせて先の道をゆっくりと飛んでいった。

『よかったわ。ありがとね。わたしのミスをフォローしてもらって』

「いえ、どの道帰り道はわかってはいるので、戻ろうかとは思いました」

『わたしの血を使って飛ばした割には流石と褒めざるを得ないわよ』

「ワタシだけでは、とても。シアンさんのおかげでもありますよ」

『そうかなあ? それほどでも、あるかもね♪』

「そうですよ」

 なんか、ブランとシアンさん、仲良くなったかなぁ。

 でも、シアンさんを持つレッドさんの顔が優れないけど。

「レッドさん、大丈夫?」

「なぁ、シアンを代わりに――」

『指舐め回すわよ?』

 間髪入れずにシアンさんが割り込む。

「じょ、冗談だ……」

 レッドさんの目はもう恐怖に縛られているみたいだ。

 首に敷かれたな、完全に。

 わたしたちが呪術を使ったことは口にしないでおこ。絶対に。

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