勇気
芸能界は、思っていた以上に厳しいようだ。しかし、思っていた以上に柔軟でもあるようだ。
まだまだ暑い毎日とは裏腹に、空にはうろこ雲が浮かぶ季節となった。
あれから雨里さんは、ドラマやCMのオーディションに度々参加し、度々出演していた。どれもエキストラに近い形ではあるけれど、その小さくも強い存在感から「あーどっかで見たことある!」と言われる程になった。雨里さんの実力が掴んだ、「知名度」という大きなチャンスだった。
ほんの少しだけ忙しそうになった雨里さんは、今日もカウンター席に座っていた。アイスティーを飲みながら、熱心に紙の資料に目を通していた。なにやら難しい顔をして。
僕は、雨里さんから話さない限り、お仕事の話は聞かないようにしている。お店をやる人間としては当たり前のことではあるが、そういう時間や場所は必要だと思うから。これから先、雨里さんがどんどん有名になっていっても、ここだけは、そういう時間を提供出来る場所でありたい。雨里さんがイヤリングの秘密を話してくれた時、僕は強くそう思った。
雨里さんはアイスティーを飲み終えた頃、吹っ切れたような顔をして僕に話しかけてくれた。
「晃成さん。私、明日、ドラマのオーディションなんです」
「え!そうなんですか!頑張ってください!」
定型文のような、面白みのない返ししか出来ない自分が情けない。
「それで、明日…明日を、最後のドラマオーディションにしようって、思っているんです」
「え、最後?」
「…ずっと、オーディションを受け続けて、やっと連続して合格できるようになって。いわゆる、チャンスが巡ってきたって感じで。続けてきてよかったーって、本当に思っているんです。だけど、それと同時にわかったことがあって」
「わかった、こと?」
「はい。私、やっぱりお芝居が好きだなって。それも、舞台っていう、お客さんの顔が見える、空気を感じられる場所が」
きっと、アイスティーを飲みながら決断したのだろう。まだ固まり始めたばかりの決意を、壊さないように揺らさないように、そんな風にゆっくりと、雨里さんは話してくれた。
「どこか義務的に目指していた有名になることを、のんびりと目指してみるようになって、なんていうか、視野が広くなったんです。義務じゃなく、選択として、自分の進む道を考えられるように」
「なるほど。それで、自分の進む道を決めたってことなんですね」
「はい。自分が本当にやりたいことをもっと大切にしようって、そう決めました。多くの人の目に触れることだけが全てじゃないって、そんな簡単なことに、やっと気付けました。私を馬鹿にした人は、私がテレビに映らなくなったら、もっと馬鹿にするかもしれません。だけど私は、そんな人達に認めてもらいたくてお芝居をやっている訳じゃない。誰かの心を支えるお芝居がしたいだけなんです」
その想いは、もうとっくに固まっていたのかもしれない。
「私は私の芯を大切に、明日、全力でオーディションを受けてきます!」
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