霞桜

桜の葉が存在を強くした頃。


「晃成さん、私、実は、ドラマに出ることになりました~!」


「えぇ!すごいじゃないですか!」


「じゃ~ん!」と言いながら、雨里さんはドラマの台本を鞄から出した。

そこには、7月スタートのドラマの名前と、「3」という数字が書いてあった。


「このドラマの3話から出演させてもらえることになったんです。今日の17:00に情報解禁なので、まだ誰にも言っちゃダメですよ」


彼女は嬉しそうに台本を眺めながら、イタズラに笑う。時計は16:59を指していた。


「本当はダメなんですけど、一番に伝えたかったのでフライングしちゃいました」


「でも」と言いながら、雨里さんは時計を指さした。


「もう、時効ですね?」


そう彼女が言った瞬間、時計は17:00を告げた。


飯田いいださんに絶対に言うなって念押しされてたんですけど、1分くらい許されるかなぁって!」


飯田さん―それは "茗花雨里は求められていない" と言ったマネージャーさんのことだ。




社長と今後の方針を決めていた時、社長は思い出したように、そして言いにくそうに「…飯田のことなんだけど、辞めるって。さっき退職願を持って来た。まだ、受理はしていないんだけど」と雨里さんに言った。


『…社長、それ、絶対に受理しないでください。それと、お話の途中で申し訳ないんですが、ちょっと、出てきて良いですか?』


『あぁ』


彼女の考えが透けて見えたようで、社長は笑って送り出してくれた。



『飯田さん!居ますか!』


向かった先は休憩室。飯田さんがこの時間、ここでよく、甘いココアを飲んでいることを知っていたから。


『…雨里さん』


『あ!やっぱり!私、お話したいことが…』


『雨里さん!先日は、マネージャーという立場でありながら、失礼な態度を取ってしまい、大変、申し訳ありませんでした!』


『ちょっと、やめてください。私、怒ってませんから』


『え、じゃあ、なんで…』


『まぁ、そりゃあ、傷付きましたよ?でも、怒ってはないです。飯田さんが今、誰よりも大変なことは分かってますし、自分の実力や状況もちゃんと理解してますから。そう思うのも無理ないです』


『そんな…。本心じゃないんです。酷いことを言ってしまい、信頼を失ってしまったことはわかっています。でも、それだけは信じてほしいです。僕は本当に、雨里さんの演技が好きなんです。それなのに、誰よりもタレントを守らなきゃいけない立場なのに、僕は自分のことばかり考えて…。本当に、申し訳ありませんでした』


『…飯田さん、気付いてたんですよね?私がいっぱいいっぱいだって』


『そ、れは…』


『同じように飯田さんもいっぱいいっぱいで、きっと気が付かないうちに、探り合うような、そんな空気感になっていたんだと思います。本音がバレないようにしてるのが、お互いバレバレって感じで。悪循環でしたね』


『雨里さん、それでも僕は…』


『あーもう!こんな話しに来たんじゃないんです!お願いがあるんです!』


『お願い…ですか?』


『…飯田さん、"明日のオーディション、着いてきてくれますか?" 』


それは暗に、マネージャーでいてほしいというお願いだった。


『雨里さん…』


『ちゃんと自分の気持ちを話さなかった私も、しっかり悪いです。これからはちゃんと話します。だから…』


数秒の沈黙の後、ふたりの間には優しい風が流れた。


『雨里さん、明日、9:00に迎えに行きます』


『…よろしく!』


『こちらこそ、よろしくお願いします』

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