陽光
「…高野さん、ピアス、開けてくれませんか」
しばらくして泣き止んだ彼女は、呼吸を整えると静かに呟いた。
「えっ」
「イヤリングであることにこだわり続けたのだって、結局は執着なんです。意地です、意地。イヤリングがお仕事を続ける決意ならば、ピアスは辞める決意です。こうでもしないと…」
僕の脇腹あたりに申し訳なさそうに添えられた彼女の手に、少しだけ力が入ったように感じた。
「…茗花さん。無理しなくて良いんじゃないですか」
ゆっくりと身体を離しながらそう返すと、今度は彼女が小さく「えっ」と声を漏らした。
「茗花さん、言ってましたよね。お芝居が好きだって。だけど、苦しくなったって。じゃあ、その苦しい原因だけ取り除けば良いんじゃないですかね」
「苦しい…原因…」
「もっと気楽に、茗花さんがやりたいことをやったら良いんです。期待も冷たい視線も、全部無かったことにして考えてください」
「……………私、お芝居が好きです。小さい頃から、おままごととか、お遊戯会とかが大好きで。周りの人も楽しそうで、嬉しそうで。もう、その空間そのものが大好きだったんです。自然と、あぁ、これをお仕事に出来たらなんて幸せなんだろうって思うようになりました。だって、幸せを共有出来るってことですよ?多くの人を笑顔にしたり、時には悲しみに寄り添ったり。そうやって、誰かの人生を彩る一部に、私もなれるんだって。こんなに素晴らしいお仕事はないって、心の底から、そう思いました」
濡れた瞳は、優しく細められていた。
「それなのに、私…。いつの間にか義務になってました。上を目指さなきゃいけない状況で、縛られて。私はただ、楽しくお芝居をしたいだけなんです。甘えた考えなのかもしれないけど、本当は地位なんてどうでもよかった。まぁ、生きるためには、そんなことも言ってられませんけどね」
すっかり冷めた珈琲をシンクに置いて、もう一度珈琲を入れ直す。
「それでいいんですよ。やらなきゃいけないこと、やりたいこと、やりたくないこと、人生には色々あります。どうバランスを取っていくか、それが大切なんです。茗花さんなら、その答えがわかっているはずです」
僕の言いたいことを汲み取ってくれたのか、茗花さんの表情は明るくなったように思えた。
「それに、何かを封印するような気持ちでピアスを開けたら、絶対に苦しいと思います。イヤリングを見て頑張ろうと思えたのは、前向きな思いだったからですよね。だからピアスを開けるのは、前向きな理由に取っておきましょうよ、ね」
静かに、2杯目の珈琲をカウンターに置いた。ミルクたっぷりの、最高に優しい珈琲を。
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