order-17: 勲章
レデイアは早歩きで階段を降りていった。正面出口を抜けた目の前でリグの車が待機している。開いている扉は助手席で、いつもの後部座席ではない。この車はシートベルトが上下のどちらでもつけ外しできる設計で、右手で掴んで左肩の上へ伸ばす。同時にリグの操作で扉を閉めて、レデイアを待たずにアクセルを踏んだ。ここからはレデイアとリグの二人だけの空間だ。
「リグ。次は何かしら? 異常事態のようだけど」
「本気でわからないんすか。これっすよ」
リグは左手をハンドルから離し、膝の上にある箱を指した。銀色の、お菓子でも入っていそうな箱で、中には氷水とビニール密封袋がある。中身が見えるよう袋を少しだけ引き上げた。つい十数分前にレデイアの左手から切り離された中指だ。
「ルルさん、全員に隠してましたよね。ダスクさんが見つけて、下では大騒ぎでしたよ。おかげでロゼさんへの連絡も到着の直前になって、いやそんなの後回しで、今日ばかりはルルさんにもお説教が必要っす。病院に着くまでには済むんで」
リグは袋を元に戻し、左手をハンドルに戻した。前方では通行止めを伝える警察たちがフェンスを動かし、リグとレデイアのために道を開ける。曲がり道を越えて、再び直線が続く。話すにはちょうどいい。
「ルルさん、前に言ってましたよね。秩序のためなら腕や脚の一本ぐらい投げ出すって。うちはずっと、そのぐらいの覚悟だって話と思ってました。まさか本気でやるとは思ってなかったっす。詰めてから十数分でしょう。まだ間に合うっす。ルルさんは諦めが良すぎるんですよ。こんな大事なものを放ったらかして、何が「すべて終わった」っすか。ルルさんは大馬鹿っす。何度でも言いますよ。ルルさんは、平気で自分を犠牲にする、大馬鹿者です。もっと大事にするべきなんです。せめて、治る見込みがある間は、治すつもりでいてくださいよ。そうでないと」
リグは涙を浮かべている。目が丸く大きいおかげで瞳孔に触れる前に雫が頬を流れる。運転を任せる理由のひとつだ。リグが言葉を吐き出すための筋肉がぎこちなくなっていく。口調による鎧も剥がれて、本心を剥き出しにする。
「あたしにとって、ルルさんは大事な人です。あたしはもう、大事な誰かを失うのは嫌なんすよ」
言うべき内容は言い終えた。謝罪も後悔もいらない。欲しいのは信頼だ。リグを信頼に値する人物として、レデイアの隣に並んでいたい。そのためにはレデイアが、自身を犠牲にする前に、周囲の誰かを頼る必要がある。その場での通信ができなかったとは言え、できるようになった後ですぐに通信していれば、一分や二分を待てる状況だった。とはいえ今回に限っては、セクレトが通行止めの詳細を伏せた影響もあるので、結果的には強く言えない。
「ルルさん、見えますか。あの誘導棒を振ってるの、ダスクさんっすよ。んでその隣にいる白バイ。あれがもう一人の功労者っす」
車が見えてすぐに、白バイが並走するつもりで構えた。追い抜いてからは白バイが速度を合わせて、助手席のレデイアと話せる向きになったヘルメットで顔の多くが隠れているが、見覚えがある。
「レデイア・ルルさん。お久しぶりです。グロースです」
交通課のグロース。半年ほど前の事件に親子で巻きこまれ、レデイアの活躍で助け出された男だ。その後で昇進し、今日の通行止めを指揮している。キールの配下を止めるためだったが、目的が増えた。今はレデイアが一秒でも早く病院に向かうために他の車を排している。
「私用でこんなの、お咎めがあるでしょう」
「見捨てるよりマシです。あなたが教えてくれたんですよ。取り返しがつくものはいくらでも使っていいって」
グロースは怪我の詳細を聞いていない。助手席を後ろから見る都合で、レデイアの服に血がついているとも気づかない。レデイアが平然と話すので、後部座席にいると思ったかもしれない。グロースは触れないままで並走をやめて、敬礼で車を見送った。
最後の交差点を越えたら病院に着く。経路ではダスクが先回りしていて、他の車がいないと教える。キックスケーターは加速と停止が早くて小回りが効くし、滑りながらでもハンドサインで方向を指示できる。
救急用の出入り口だ。停めると同時に看護師たちが駆け寄り、レデイアを担架に乗せる準備が整う。服が邪魔になるのでダスクによって脱がされ、リグから指を受け取ると、以降は医師の指揮で話が進む。先に話が通っているので待ち時間が一切なく、指はどうにか繋がりそうだ。
入院は一ヶ月。指の他に、どこかでの怪我を気づいてか気づかずか放っておいたのと、ワーカホリックなレデイアを無理矢理にでも休ませるためだ。話を通した者がそう付け加えていた。
すっかり傷が治った頃。見舞いに来る時間まで、レデイアは読書とゲームで時間を潰している。アカウント共有による暗号のやり取りとは別の、リグが持ち込んだ本とゲーム専用機だ。初めは気乗りしていなかったが、今では他にやることがない分を引いても熱心に遊んでいる。中でもチーム戦の射撃ゲームでは、これまで培った応酬をそのまま応用できるので、八面六臂の活躍をしている。何事にも真剣に取り組む癖が出たままだが、体の酷使ではないのでリグからもお咎めなしだ。
試合終了の音に合わせて、リグが扉を叩いた。差し入れの果物を置いたり手を洗ったりの間に、ゲームを終えて充電台に戻す。見舞いには日替わりで多数の人物がやってきて、時間いっぱいまで何かしらの話をするおかげで、病室でも退屈はしていない。
「今日はリグ一人?」
「そうっすよ。やっと、うちの話をする番っす」
「先にひとつだけいいかしら。聞いた?」
「聞いてないっす。必要ならルルさんから聞かせてくださいよ。必要なら、ですよ」
「じゃあ、必要じゃないから、言わない」
両者は静かな微笑を交わした。沈黙を愉しめる間柄で、車でのお説教が久しぶりの語り足りないやり取りだった。今こそ続きを。危機を脱し、お目付け役でもない今なら、重い話もできる。
「ルルさん、言ってましたよね。執着は危険だ、判断が鈍る、そんな生き方はもうできない、って。うちには無理です。いくらでも執着しますよ。うちを大事にしてくれて、知らないことを教えてくれて、困ったときに助けてくれて。全部ルルさんのおかげっす。恩人から貰うだけ貰って見捨てるなんて、できるわけがないっす。ルルさんは恩人なんすよ。恩人には完全な形で残っていて欲しい。だからもう、自分を犠牲になんて、しないでほしい。うちからはそれだけっす」
レデイアは入院してから、車内でのお説教を夜ごとに思い出していた。自分の体を大事にするとは、レデイアには長らく縁がなかった。ほとんど拾った人生だ。それでもリグは大切にしてくれる。特別な求め方をしてくれる。レデイアは応えるつもりでいたが、やり方が悪かった。新しい応えかたが必要だ。幸いにも今は、教えてくれる先生が目の前にいる。
「本当に、大した執着心だこと」
「ルルさんだって、少しは執着できるみたいっすね。表情に出てたの、気づきました?」
レデイアは顔を触って確認するが、もちろん今はその表情ではない。どんな顔だったかはリグの胸中に秘めて、本人には「そのままでいいっす」と伝えた。
(了)
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