疾走する思考の詩(リズム)

本作は疾走感あふれるカーアクションからはじまり、視点人物の脳と視点人物の対話を経て、地球環境問題の神話的解決に至るまでを書いたSF小説です。

本作の達成を (1) SFとしての達成、(2) 小説としての達成の2点にわけて説明しましょう。

(1 )SFとしての達成
SFの役割は未来の予言ではなく、現実の幻視です。

本作の言葉づかいがあまりに新鮮であるのは、その言葉づかいがあまりにありふれたものであるからです。本作に見られる「どうせ書くことねえし、文字数さえ稼げりゃそれでいいや」と言わんばかりに脱線し続ける意識の流れ、これが現代的であることはいうまでもありません。やや古い言葉で言えば、本作の視点人物は「ながら族」的な認識で世界を処理しているわけです。この世界像はSNSの普及によって今日ではありふれたものになりました。

言文一致が日本文学を刷新したように、SFはテクノロジーと相互作用しあう言語を拾い上げなくてはなりません。本作はそれを行っています。

テクノロジーは驚異ではなく日常です。本作を読み終えた読者は、脱線し続ける意識の流れの言語化が絶え間なくなされる日常の中にもう一度帰ることになりますが、そのとき日常はもう一度テクノロジーの驚異を取り戻しているでしょう。

(2) 小説としての達成
本作の文体は冒頭数行をスクショしてツイッターにアップするだけで、そのツイートがバズることを約束された、暴力的なまでのキャッチーさを特徴としています。

そのキャッチーさは、本作に視覚描写が一切ないことに由来します。物語が「ぶおおおおん!!ぶおおおおん!!」という擬音語からはじまることから示唆される通り、一文一文が短く研ぎ澄まされた文章の連なりは、さながら視覚を経由せずむき出しにされた意味の打楽器です。

言葉は意味を表すためのツールであり、小説は言葉による芸術です。言葉を弾くことで快楽を生み出すことに成功した本作は、真に小説にでしかない小説の達成です。

以上の理由により、私は本作が星3つにふさわしいと判断し、強く推薦致します。