第3話・前途はそう悪くない


「でもなんだか悔しいわね。こうして国を追われるなんて」

「姫さま。お輿入れですよ。この国がマクルナ王国の属国にされたとはいえ、あなたさまはマクルナ国王さまに望まれてお嫁入りするんです」


 アデルの言葉には寂しさがあった。昨年、アデルは母親を亡くしている。消沈した姿を覚えているリリーは言い直した。これからの運命を書き換えるように。


「お輿入れねぇ。なんだか実感が湧かないわ。幽閉を解かれたと思ったら、あのトンスラおやじからマクルナ王国に嫁ぐように言い渡されて、あまりにも突然すぎる展開について行けないせいかしらね? わたくしにはどうしてもお嫁入りに思えないわ」


 リリーはアデルの「トンスラおやじ」発言をもう言い直そうとはしなかった。宰相がアデルに課した役目を良く思ってないからだろう。

 宰相はリスバーナ王が王城より逃げ出した事に気が付くと、アデルを説得しにやって来た。この国がマクルナ王国から奇襲を受けて敗戦したことを告げると、この国の為に嫁いでもらいたいと言い出した。

 自分は幽閉の身である。マクルナ王国にはトゥーラ王女が嫁がれたら宜しいわ。と、断わったアデルに対し、宰相は王は失踪し行方が知れない。地位を剥奪されたとはいえ、アデルは先王の娘。現王家の行方が知れない今、マクルナ国王の要望に応えられるのはあなたさまです。と、食下がる。


『あなたさまが幽閉の身でありながら侍女や警護の兵を与えられ、住む所はもちろんのこと、食事や着るものにも事欠かず今まで生きてこられたのは、リスバーナの民の税によってではないですか? リスバーナの民の温情によって、あなたさまは生かされてきたのです。ここでリスバーナの民たちに受けた恩をお返しになる気にはなりませんか?』


 と、言われてしまっては、アデルに反論出来ようはずがなかった。


 十三年前。先王である父が急死し、後を追うように兄が亡くなると、王位継承第三位の叔父が、第一位に繰り上がり王になったことで、民が暴動を起こしかけたことがあった。

 短絡的な叔父は、暴動を起こした民を煽(あお)ったのは、先王の王妃であった母とその娘のアデルに違いない。と、決め付け弾圧し死刑を求めた。それに対しリスバーナの民達は、王城前で座り込みを行い、アデル達の減刑を求めた。国民のほとんどが集まって来たので、市場が停止し日常の暮らしに影響が出始めて、リスバーナ王は渋々、アデル達を辺境にある古城に追い、そこで幽閉を申し付けた経緯があった。


『あなたがそれを言うのですか? わたくし達を王城より追いやって、幽閉したのはあなた方でしょうに?』


 素直に従う気になれないアデルは母と自分の命を救ってくれたリスバーナの民には感謝しているが、それをあなたに指摘される言われは無いとはね退けた。父王や兄が亡くなり傷心していた母と自分に、さらに鞭打つ真似をしたのは宰相たちだ。新たな王の言いなりになって、母や自分を殺そうとしたことは忘れない。と、言えば、宰相はその場に跪いて、地に額がつくほど深く低頭した。


『王女殿下。あの時のことをお怒りなのでしたらこの通り謝罪致します。お願いです。どうかお慈悲でございます。例え私のことは許せなくとも、このリスバーナ国の民を救うと思ってお助け下さい…』

『止めてください宰相。どうぞお帰り下さい』


 その後も宰相は何度もアデルの元に通い続けた。追い払われても門前で待ち続けた。宰相の粘りに根負けする形で、アデルが折れたのは七日前のこと。それからは花嫁仕度等で慌ただしくなるかと思ったが、静かなものだった。


(もうこの国に戻って来ることはないのね)


 マクルナ王国に向かう自分は、この先どうなるかは分からない。自分の未来はマクルナ国王の判断にかかっている。

 リスバーナ北国には、自分を助けてくれる者は誰もいない。もし、父が生きていたのなら、また違った未来が用意されていただろうか?


『アデル。また明日』


 幼い頃に聞いた声が後ろ髪を引く。幼馴染のソールにハル、トム。皆が抗えない運命に引きずられる様にしてアデルの前から去って行った。


(それでもいつの日か会えると信じてたけど、もうそれも叶わなくなってしまったわね)


 窓の後方に映った思い出の古城に、考えても詮無いことに思いを巡らしていたアデルは、いっそう心のなかの重苦しさを感じ、窓に一滴の水滴が滑り落ちたのを見た。


「あ。雨…」

「姫さま。心配ありませんよ。私がついてますから」


 白いハンカチが差し出される。なぜ?と、思う間もなく頬にあてられた。


「リリー?」

「姫さま。悲しまないで下さい。せっかくの綺麗な花嫁さまが台無しですよ。どうか笑って。私はどこまでもあなたさまについて参りますから」


 アデルの不安を見通したようにリリーが言う。


(雨だと思ったのはわたくしの涙だったのね)


「ありがとう。リリー」


 アデルは頬を伝った雫を押えた。


「もうじきマクルナ王国の駐屯地に着くようですわ。さあ。胸を張って花婿さまにお会いしましょう。晴れの舞台で曇り顔なんて似合わないですよ」


 幽閉されていた古城では堅苦しい王城の生活とは無縁で、現王一家についての批判的な発言や態度さえとらなければ、割と自由な暮らしだった。一応王女としてのマナーやしきたり等は母や乳母から教わっていたが、滅多に客人が訪れることのない古城では、それを御披露目する場もなかったし、復習する機会もなかった。これは考えようによってはいいきっかけなのかも知れない。


「そうね。マクルナ王国で華々しくデビューするのもいいかもね」

「姫さまにはしぶとく生きていただかねば。私の雇用にもかかわりますから。早くもお役御免だなんて嫌ですよ。私は姫さまが平和ボケしたリスバーナ北国をお土産に、マクルナ王国で大きな顔して暮らしていただくのが望みですから」

「まあ。リリーったら。やっぱりこの輿入れにあなたも良い気持ちではないのね?」

「今回姫さまが戦利品のように扱われたのが嫌なんです。どうせならリスバーナ北国を踏み台にしてのし上がってやりましょう」


 意地悪くリリーが笑う。わざと言ってるのだ。アデルの気持ちを鼓舞する為に。


(そうよ。わたくしにはあなたがいた)


 世界中を敵に回しても、リリーは自分の味方でいてくれるだろうと確信して、アデルは微笑んだ。

 アデルはリスバーナ北国に見捨てられたのではない。自分からリスバーナ北国を見限ったのだと、物は考えようだとリリーに背中を押された気がした。


「姫さま。さあ。参りましょう」


 馬車が止まってリリーが、アデルにベールを被せた。馬車の戸が外から開かれ、アデルはマクルナ王国側の陣地へと降り立つ。すると厚く空を覆っていた雲の切れ間から、光のカーテンが降りてきた。悪天候はいつまでも続かないもの。いつかは晴れる日がやってくる。

 前途はそう悪くないことを願って、アデルは誘導する兵に従った。

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