19話:襲撃


 結界の構築が終わると、すっかり日も暮れてしまっていた。

 二人が連れ立って街道沿いの仮宿の中に入ると、思いの外に中は広く、詰めれば二十人程横に慣れる空間となっていた。

 ノアは壁際に毛布を敷いて寝床を作ると、そちらは使わずに壁に背を預けて座り込む。

 元より旅先で横になる気はない。幾ら見張りがいようと不測の事態が起こらないとも限らないからだ。

 これは傭兵時代からの習慣で、既に身体に染み付いていた。


 魔導都市に着いてからの段取りを考えておこうとした時、隣にすとんとオリビアが座ってきた。

 肩が触れ合うか否かの場所。彼女は普段から距離感が近いが、今日はいつも以上に近くなっている気がする。


「オリビア。どうした?」

「いえ、特に何かあった訳では無いのですが……ご迷惑でしたか?」

「いや、構わない」

「良かったです」


 ぽわんとした雰囲気で柔らかく微笑む彼女に、釣られて笑みを返す。


(オリビアは、よく笑うな)


 ノアは昔の仲間から、あまり感情が表に出ないと言われた事がある。

 確かに物心が着く前から戦闘が続く日々で、凍てついた心が動く事は少なかったかもしれない。

 今にして思うと、戦っている時のみ感情がにじみ出ていたように思える。

 しかし最近、頻繁ひんぱんに微笑みを浮かべている自分が居ることに気がついた。

 笑っているオリビアを見ると、心の底から何かが溢れてきて、つい笑ってしまう。

 これは何なのだろうと常日頃から考えてはいるのだが、一向に答えは出ないままだ。


「ノアさんは、その……楽しいですか?」

「何がだ?」

「えぇと。私と旅をしていて、です」

「楽しい……俺は楽しいんだろうか」


 腕を組んで目を閉じ、考える。

 共に巡礼の旅に出て、自然に笑える時間が増えた。

 オリビアを見ているだけで穏やかな気持ちになる。

 見慣れたものが新鮮に感じ、良いと思うものを彼女と共有出来ると嬉しい。

 つまり、オリビアとの旅を自分は楽しんでいるのだろう。

 その事を自覚し、今度は大きくうなずいた。


「そうだな。俺はこの旅が楽しい」

「それなら良かったです!」

「オリビアは楽しいのか?」

「私は、幸せを感じています」


 簡易的な祈りを捧げながら、彼女は澄んだ微笑みを浮かべた。


「ノアさんと旅が出来て、私は幸せです」

「そうか。それは……」


 何故だろうか。やはり、オリビアが幸せだと、自分は嬉しいようだ。

 他人の言動に左右された事など無かったのに、彼女が絡むと途端に感情的になる。

 不可解だが、やはり嫌な気はしない。

 これが何なのか、オリビアなら知っているだろうか。


「オリビア。聞きたいことがあるんだが」

「ふぇ? はい、なんですか?」

「……上手く説明は出来ないんだが」


 前置きを告げた、次の瞬間だった。


「敵襲! ゴブリンの群れ、十匹以上だ!」


 三兄弟の一人――トムが外から駆け込んで来ながら大声を上げた。

 その言葉にいち早く反応したノアは、抱いていたガンブレイドを手に取り立ち上がる。

 彼と同時に報告を聞いた御者は酷く焦っており、視点を迷わせた後、トムと同時にノアの方へと駆けて来た。


「すみません、手を貸してください! 俺達三人じゃ手が回りません!」

「悪いが頼めるか⁉ 俺は魔導都市に助けを求めに行ってくる!」

「必要ない。オリビア、安全な所へ」

「うわわ、わかりました! でも支援魔法を!」

「頼んだ」


 ノアの言葉に対して、オリビアは魔法詠唱を歌う。


「大いなる女神よ、我が祈りを聞き届けたまえ! 願わくば彼の者に力を与えよ! 身体強化エクストラブースト!」


 魔導式が展開され、足元に白色に光る魔法陣が現れたかと思うと、ノアの全身が一瞬輝いた。

 身体能力を底上げする魔法。膨大な魔力を持つ彼女が使うそれは、対象者の力を数倍までに跳ね上げる。


「助かる!」


 その効果を体感し、ノアは出入口へと一直線に駆けて行った。




 外へ出ると、視線の先にうごめく影達が見えた。

 トムが言っていたように十匹は超えている。


(ゴブリンの群れは普通、多くても十匹には満たないはずだ。という事は、奥に)


 ノアは慌てる事も無くアイテムボックスから使い捨ての照明用魔導具を取り出すと、前方に向かって投げつける。

 数秒ほど確保出来た視界。その先に、懸念けねんした魔物は居た。

 緑色の肌に耳が大きい所は通常のゴブリンと同じ。

 しかし、子ども程度の背丈しか無い周りのゴブリン達に対して、その一匹は五メートル近い大きさがあった。

 全身が太く筋肉質で、腕等は女性の胴より太い。

 ゴブリンロード。上位種と呼ばれ、冒険者ギルドから災害認定されている魔物。

 王国が一軍を上げて討伐すべき脅威度を誇る化け物がそこに居た。


「うわぁっ⁉」


 小さな悲鳴を上げたのは三兄弟の内の誰だったか。

 暗がりでは見分けが付かないな、等と悠長な事を考えながら、ノアはガンブレイドを肩に担ぐ。


「デカブツは俺が仕留める。小さい奴の足止めは任せた」

「は、はいっ!」


 返答を聞くと同時、ノアは旋風の如き速度で距離を詰める。

 闇に溶ける黒衣。そして、鈍く光る刀身。

 上段から斜めに振り下ろされたガンブレイドは、軌跡上に居たゴブリンの首を爆音と共に容易く斬り飛ばした。


 鮮血が舞い、硝煙と鉄錆の匂いが漂う。その中を、ノアは身を沈めて更に駆ける。

 刀身が揺らめく度に返り血を浴び、しかし止まることなく斬り進んで行く。


 そして、ゴブリンロードとの間に遮るものは無くなった。

 全力で地を蹴り、振り回される巨大な棍棒を避けて懐に潜り込んだ。

 伸び上がるように斬り上げ。棍棒の根元に触れる寸前に、トリガーを引く。

 炸裂音が暗闇にひびき渡り、するりと刀身が滑り込んだ。

 勢いが付いていた棍棒の片割れは彼方へと飛び去り、街道の乾いた地面に突き刺さる。

 その頃には既に、黒衣の青年はガンブレイドを構え直していた。


 轟音。光を反射した横薙ぎの一閃は、巨大な化け物の腕を斬り飛ばす。


「ギャルグァァァ!?」


 怒りをあらわにして暴れ狂うゴブリンロード。

 しかし粗雑な攻撃などノアに届かず、周囲に居たゴブリンをなぎ倒す結果となった。

 その致命的な隙を突き、跳躍。


 自身の二倍以上大きな化け物の首を、闇夜にとどろく爆発音と共に一撃で刈り取った。

 立ち上る血飛沫。月に映える刀身。闇に溶ける黒衣。


 ノアは勢いを緩めず、奥で弓を構えていたゴブリン達へと襲いかかる。

 一斉に放たれた矢は軌道を読んで刀身で弾き、間合いに入った瞬間に破裂音。

 数匹の胴を瞬時に斬り裂いた。


(あと何匹だ? 早く殲滅せんめつしないと、オリビアの身に危険が及ぶ……!)


 守護るべき者を想いながらシリンダーを振り出して排莢はいきょう、じゃらりと落ちる空薬莢が地に着く前に再装填リロードを済ませ、ノアは更に躍動する。


「すげぇ!」

「なんだあの動き⁉」

「あれが『残響の剣舞ファールウィンド』か……!」


 ゴブリン達を牽制しながら三者三様に驚きの声を上げるトム達。

 その声に応える事無く、ノアは見る間に加速していく。

 乱打される大太鼓のように腹に響く轟音。

 風に舞う木の葉のように縦横無尽に走る斬撃。

 彼がガンブレイドを振る度に、敵の数が目減りしていく。

 時折散りばめられる空薬莢が宙に飛び散り、ジャラジャラと音を立てながら、鈍い輝きを放つ。


 その様は正に圧巻。英雄譚に歌われる者の戦いは、やはり物語のようだった。


 やがて最後の一匹を斬り殺し、ノアがガンブレイドの刀身に着いた血を振り落としながら静かに呟く。


「時間を掛けすぎた。訓練が足りないか」


 その言葉に、三兄弟は唖然あぜんとした表情で彼を見つめるのであった。

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