18話:宿場


夕暮れまで馬車に揺られ、ようやく本日の目的地にたどり着いた。

 街道沿いにポツンと建っているそれ程大きな物では無く、外観は少し古ぼけて見えた。

 しかし整備されているようで、周囲には魔物避けの魔導具が設置されている。

 屋根も壁もあって魔物も寄ってこない。旅の途中とう事を考えると実にありがたい場所だ

 このような中継点は街道に何ヶ所か存在しており、長旅の際は可能な限りここを使用するのが冒険者の常識だ。

 

(昔は大樹の幹に寄りかかって一晩を過ごしたりしたものだが……それに比べれば天と地ほどの差があるな)


 ノアは馬車から降りた後、周囲の警戒を行いながらも昔を思い出して苦笑した。

 あの頃は交代で見張りを立て、大して上手くもない飯を食い、どうでも良い話やその日の戦果に関して話たりして賑やかな夜を過ごしていた。

 今回も賑やかな旅ではあるが、一つだけ大きく違う点がある。

 ノアはその一点だけで、長い過去にも勝る想いを抱いていた。


(まだ慣れないが……それでも、オリビアが居るのは、何と言うか……良い旅だな)


 そんな素朴な感想を胸に周囲に問題が無いことを確認し終えると、ノアはオリビアを呼びに馬車へと戻って行った。



 夕食は御者と三兄弟と御者の分を合わせた七人前をノアが作った。

 どうせ自分とオリビアの二人分を作るのだから大した手間では無いと告げると、宿泊施設の前ですぐにかまどを組み上げて、携帯式の鍋に水を張る。

 乾燥させた豆と芋、干し肉を入れて煮込みながら香草を交ぜただけのシンプルな料理だが、それでも温かい食事と言うだけでも豪華な物だ。

 野営ともなれば場所によっては火をく事もできない為、固くて塩辛い保存食をかじるのが当たり前だった。

 当然のこと、オリビアにそんな真似はさせられない為、旅に出るに当たって携帯用の調理用具一式を買い揃えている。


「出来たぞ」

「手際が良すぎて手伝うことも無かったですね……いつもノアさんが作ってるんですか?」

「ああ。刃物を使う料理をオリビアにやらせる訳にもいかないからな」


 女神教の司祭は刃物を使ってはならない。

 女神が嫌っているから、と言う理由らしいが真偽の程はさだかでは無い。

 しかし教義である以上、オリビアに刃物を使わせる訳にも行かないため、旅中はノアが料理を担当している。

 ついでに、オリビアは全く料理をしたことがないので、彼女に任せるのが怖いという理由もあるのだが。


「それは期待が出来ますね。俺たちは大して料理も出来ないんでお任せしても良いですか? その代わり、夜の見張りは任せてください」


 元々仕事の内なんですけどねと笑うトムに、一つ頷き返す。


「ノアさん、いつもありがとうございます。でもやっぱり私も練習したいのですが……」

「いつかな。ほら、食おう」


 オリビアの提案を遮ると、全員の分を取り分ける。

 干し肉の塩気が強いが、それ以外は程々に美味く出来たと思う。

 芋の茹で具合がちょうど良く、干し肉の旨みと甘みが口の中に広がる。

 香草のおかげで味が複雑になっていて、飽きずに食べ終える事が出来た。


 ノアは自分の食事をいち早く済ませると、食器を布でぬぐった後、少し離れた場所で武具を並べる。

 ガンブレイドと予備のナイフが二振り、それに対魔と対衝撃の魔法が込められた革の部分鎧は昔からの愛用品だ。

 ナイフの研ぎを見てからホルダーに戻し、革鎧に不具合が無いか確認。

 問題は無いようなのでそのまま着直し、ガンブレイドの拳銃部分を分解していく。

 一つ一つの部品を磨いて汚れを落とし、油をさしてパーツを組み直すと、撃鉄を起こしたりシリンダーをカラカラと回してみる。

 特に問題も無く動作確認を終えると、次はカートリッジを詰め直してシリンダーを振り戻した。

 それらは慣れた手付きで素早く行われ、オリビア達が食事を終える頃には全ての整備が完了していた。

 

「ご馳走様でした。私は念の為、周囲に魔物よけの結界を重ねがけしてきますね」

「分かった。俺も行こう」

「はい。ありがとうございます」


 彼女が穏やかに笑う。食事を取って緊張が溶けたのか、先程までの余所行きの表情とは違い、ノアの好きないつもの柔らかな笑みだ。

 その事に暖かな気持ちになりながら、しかし彼は表情には出さず、オリビアと共に建物の周囲を歩く。

 所々で魔導式を展開――魔法を使う際の詠唱などを行い、神聖な結界を張り巡らせる彼女に対し、ノアはふと思い付いた事を聞いてみた。


「オリビア。俺の二つ名なんだが……そんなに有名なのか?」

「それはもちろん。子ども達でもしっていますよ?」

「その二つ名は誰が付けたんだ?」

「救国の英雄の一人です。『魔法使い』って知ってますか?」

「あぁ。会ったことは無いが、知ってはいる」


 救国の十一英雄の一人である『魔法使い』

 その名の通りあらゆる魔法を使いこなし、万を超える魔王軍を一人で壊滅させたという尋常ではない偉業が残る人物だ。

 しかし面識は無いはずだが、何故そのような人物から二つ名を付けられたのだろうか。


「あの方は二つ名を送るのが趣味ですから。前に一度お会いした時、私も二つ名を頂きましたよ」

「ほう。どんな名前だ?」

「『神威の代行者アスモデウス』と。普段は聖女の通り名の方を使っていますけど」


 珍しく苦笑いしながら告げる彼女の言葉に、ノアは首をかしげる。


「その、なんだ。ファールウィンドとかアスモデウスとかって、どういう意味なんだ?」

「文字に表すと、こうなります」


 土に枝で文字を書き込んでもらいそれを見てみるが、やはり彼には意味は分からない。

 腕を組んでうなるノアに、オリビアは可憐な微笑みを向けた。


「たぶん名付け親以外、誰にも分からないと思いますよ。『魔法使い』は独特な方なので」

「そうか」


 その言葉に悩むのを止め、代わりとばかりなかじっとオリビアを見つめる。

 長く美しい銀髪に可愛らしい顔立ち。意志の強さと慈愛を併せ持つあかい瞳。

 華奢きゃしゃで小さな体躯たいくは少し力を込めただけで骨が折れてしまいそうだ。

 改めて見てもやはり美少女で、ふにゃりとした柔らかな雰囲気と合わさって人好きする印象がある。


 しかし、その心の有り様は誰よりも強い。

 弱者を助け、貧者ひんじゃほどこす様は正に聖女と言える立ち振る舞いだ。

 ノアはそれをとても尊いものだと感じ、だからこそ守護まもりたいと思う。


(オリビアの周りは……暖かいな)


 しかし本当は、助けられているのは自分の方だ。

 彼女の優しさや気配りに心が癒され、常日頃から幸せそうに笑う姿を見て、ノアも自然と微笑んでいる事に気が付いていた。

 過度に油断する訳では無いが、無駄な緊張を溶かしてくれる。

 まるで春の陽射しのようなオリビアという少女は、やはり聖女と呼ばれるに相応しい人物だと感じていた。


 ふと、こちらの視線に気付いたオリビアは、照れくさそうに笑いながら淡い桜色の口を開く。


「もう……また見てる。恥ずかしいからやめてください」

「すまない。つい見蕩れてしまっていた。気を付ける」

「うぅ……またそうやって……」


 ノアの言葉に頬を紅潮させ、視線を足元に向ける。

 目の前の頭を何となく撫でると、上目遣いで見上げられた。

 まるでキスを求めるような。いや、正にそれを求めてうるんだ瞳にドキリと胸が鳴る。

 

「ノアさん、その……」

「分かっている。だが、見られているぞ?」


 ノアが親指で背後を指し、オリビアは追うように視線を向ける。

 彼の言う通り、そこではトム達が身を隠しながらこちらを観察していた。


「見られるのはあまり良くないのだろう?」

「そうですね……残念ですが、また後でお願いします」

「分かった。また後でな」


 普段より速い己の心臓の音に小さな疑問を抱きながらも、ノアは本当に残念そうな様子のオリビアの頭を再度撫でた。

 サラリとした指触りが心地よくて何度か撫でた後、何となく気恥しさが残る空気の中、二人で仮宿の周りを歩きながら結界を張る作業に戻った。

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