第6話:ノアという青年


 ノアという青年の最初の記憶は、戦場で大人が敵を刺し殺した場面だった。


 魔族と呼ばれる、青い肌に角が生えた種族。

 その魔族と人族は長きに渡り戦争をしており、そして彼はどこにでもある傭兵団の中の一人だった。


 親は居ないらしい。森の入口に捨てられていた所を、傭兵団の団長に拾われたと聞いた。

 それから我流で戦闘術を鍛え、戦いに関する知識を見て覚えた。


 傭兵団に子ども用の予備の武器などあるはずも無く、けれど、何もしないままに生活出来るほど優しい環境でもなかった。

 その結果彼は、備蓄として眠っていた身の丈に合わないサイズのガンブレイドを日夜振り回し、十歳になる頃には一端の傭兵として最前線に駆り出されるようになっていた。

 旧世代の骨董品を少年が振り回す様はごっこ遊びのようにあどけなく、しかしその殺人技術は傭兵として通用する程度には成長して行った。

 しかし、生きるために学んだ戦闘に関する技術と知識。ノアはそれ以外、何も知らない少年だった。


 どうしたら生き残れるか。どうしたら敵を殺せるか。敵の狙いは何なのか。味方の状態はどうなっているか。また、敵の状態はどうなっているか。

 守り方、攻め方。探り方。

 戦場の全てを把握し、常に最善と呼べる行動を取れるようになる頃には、ノアは副団長の地位に着いていた。

 そして誰もが、彼が副団長に相応しいと思っていた。


 ノアには戦いに関する才能があった。

 或いは、他の全てを捨てたからかも知れないが。

 覚えが早く、吸収した知識を即座に理解し、行動に移すまでの速さ。

 それが誰よりも勝っていた。

 そのお陰で傭兵団は何度と全滅の危機をまぬがれたし、大勝することも少なくなかった。

 仲間から頼りにされ、仲間を大切に思い、仲間と共に敵を殺す。

 そんな日常が彼の全てだった。


 同時に、ノアは戦闘以外のことは何も知らない。例えるならばガラスの剣のような歪さを併せ持っていた。

 読み書きは団員の一人から教えて貰っていた。数字の計算も戦いの中で自然と覚えた。

 しかしそれ以外一般教養に関しては無知。誰もが知っている当たり前の事すら、彼にとってはどうでも良い事だった。

 死なないこと、死なせないこと。

 効率良く敵を殺す方法。

 仲間と共に生き延びること。

 それ以外は興味もない、感動のない乾ききった日々がノアの日常だった。


 そんな殺伐とした人生を二十年ほど過ごしたある日。

 異世界から召喚された英雄とやらが、魔族の王を倒したという話を耳にした。

 王が死んだ。ならば、戦争は終わる。

 つまり、傭兵団という組織の需要が無くなってしまう。


 ノアこれから先どうするかを、すぐに仲間たちと話し合った。

 傭兵団を続けるか、山賊に身を落とすか。

 いくら実績があるとは言え、戦うこと以外取り柄が無い連中が殆どだ。

 そんな中、団長が冒険者になることを提案した。

 魔物と戦うことを生業としている冒険者なら俺たちでも務まるだろうと。

 その考えにノアも賛同し、傭兵団の大半は冒険者となる道を選んだ。

 そのまま傭兵を続ける者、特技を活かして他の職業に就く者も居たが、幸いなことに盗賊に身を落とす者だけは居なかった。


 冒険者としての日々は新鮮だった。

 やることは傭兵と大差ない。だが、仕事を終える度に人々から感謝の言葉を告げられる。

 ありがとう。おかげで助かった。

 その言葉は、頑なで冷えきっていたノアの心を次第に溶かして行った。


 そんなある日、護衛依頼を受けることになる。

 貴族たちの乗る馬車の一行を護る事。それが依頼の内容だ。

 トラブルさえ無ければ暇な仕事の割に儲けは良い。比較的楽な部類の依頼だが、ノアに油断は無い。

 驕り高ぶる者から死んでいく。臆病な程に警戒するくらいでちょうど良い。

 それは彼にとっての常識で、だからこそ敵の接近に素早く対応する事が出来た。しかし。


 オークと呼ばれる人型の豚のような魔物。それが六匹。

 オーク自体は差程強い訳では無いが、数が多い。

 群れが相手となると同数の冒険者が必要になると言われているが、こちらは自分を含めて三人しかいない。

 多勢に無勢。しかしそんな状況で、どう戦えば対処出来るかを考えている自分に気が付いた。

 傭兵時代ならば真っ先に逃げる算段をしていた。

 だが今は共に戦う仲間だけでは無く、後ろに守るべき者達がいる。

 それが劣勢な戦闘を行う理由になっている事に驚き、しかし同時に、何としてでも守りきると決意した。


 まず自分が囮となり、続く二人が敵を切り崩す。

 幸いな事にオークは動きが鈍い。

 囮になっても生き残る可能性は高いだろう。

 もちろんタダで済むとは思っていないが、それでも。

 守りたいものがある。だからこそ引く訳には行かない。


 他の二人との打ち合わせを終えてから装備を改め、いざ駆け出そうとした時。

 一人の少女が彼を呼び止めた。


「お待ちください!」


 金糸の刺繍ししゅうが施された純白の法衣。

 銀色の髪は美しく、紅眼からは意志の強さを感じる。

 小柄な体を恐怖に震わせながらも、その佇まいは凛としていた。


「私は戦えませんが、魔法を使えます。せめて貴方に神の祝福を」


 手をかざし、魔法を詠唱する。

 天上の女神のような歌が終えると共に、天空からノアに光が降り注いだ。


身体能力強化ブースト障壁シールドです。回復魔法も使えるので、サポートします」

「すまない、助かる」


 思いがけない支援に対して、笑みを浮かべて礼を告げる。

 守るべきものかと思っていたが、彼女は勇気を出して共に戦おうとしてくれている。

 彼女は直後、魔物に対する恐怖のためか腰を抜かしてその場に崩れ落ちたが、問題ないと判断したノアは敵に向って駆けた。


 魔法によって強化かれた身体は凄まじい勢いで敵との距離を縮めて行く。

 普段の何倍もの身体能力に戸惑いながらもすぐに順応し、ノアは止まること無く相棒のガンブレイドを横薙ぎに一閃。

 通常であれば剣が埋まってしまう程に分厚い脂肪を蓄えたオークの胴を、容易くするりと両断した。


 体が軽いのに、一撃は鋭い。心地よい高揚感を覚え、自然と笑みが浮かぶ。

 流れるように次々と魔物の群れを斬り裂いて行き、ノアが最後の一匹を殺すまでに一分もかからなかった。

 そのあまりの戦果に内心驚きながら馬車に目をやると、先程の少女が心配そうな顔でこちらを見ていた。

 軽く手を上げて応え、ガンブレイドのシリンダーを振り出して排莢はいきょう

 ジャラジャラと音を立てる中、薬莢カートリッジ再装填リロードしながら馬車へと向かう。


「大丈夫ですか⁉ お怪我は⁉」

「いや、あんたのおかげで無傷だ。すごい魔法を使うんだな」


 戦闘後の高揚感もあり、彼にしては珍しく微笑みを浮かべて語りかけた。

 瞬間、少女はババっとノアに背を向ける。

 よく見ると耳から首筋にかけて赤く染まり、内股を擦り合わせてモジモジとしている。


「どうした? 怪我でもしたか?」

「ひぃえ⁉ だだだ大丈夫ですっ!」

「……そうか? なら良いんだが」


 そんな彼女の反応を不思議に思い声をかけるが、大丈夫だと返されれば追求のしようも無い。

 周りを見回してみても特に被害は出ていないようだ。

 その事に安堵し、大きく息を吐き出す。

 守りきった。決して自分だけの力ではないが、それでも。

 想定とは違う流れになったものの、最良の結果を出すことが出来た事に心が暖かいもので満たされる。

 そんな中、少女が柔らかな微笑みを浮かべて聞いてきた。


「あの……お名前を、聞いても良いですか?」

「俺か? 俺はノアだ」

「ノアさん……私はオリビアといいます」

「……オリビアだと? まさか聖女オリビアか?」


 その名は確か、王都にある女神教の大司祭の名ではなかったか。

 確かに上質な法衣をまとっているし、噂通りの美しさと愛らしさを持ち合わせている。

 しかし見たところまだ若い。十代後半程度では無いだろうか。

 噂に聞く様々な偉業から、てっきりもっと歳が上だと思っていたのだが。


「はい。私は女神教会から聖女の称号を頂いております」

「そうか。すまない、無礼な態度を取った。俺は礼節が分からないんだ」

「そんな、やめてください。ノアさんは命の恩人なんですから」


 慌顔の前で手を振りながら慌てる彼女の姿に先程とは違う温かさを感じ、ノアは不思議そうに自分の胸に手を当てた。

 鼓動が速い。まるで戦闘時のようだ。

 しかし、彼女からは敵意を感じない。むしろ、安心感すら覚える。

 これは何だ。どうなっている?


 首を傾げるも答えは出てこない。

 仕方なく思考を切り替え、周囲を警戒しながらも馬車を発車させるよう御者に告げた。


 自覚は無いが、しかし。

 彼の中に恋心が芽生えたのは、この瞬間だった。

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