第9話 師匠、束縛から解放される?
このままでは師匠というだけでなく、色んな面でマウントを取られてしまいかねない。ここは意地でも男を示すしかなさそうだ。
「んー? まだ無理? 無理なのかな?」
「ぐっ……う、腕が――あっ!?」
「――やっ!?」
運動部でもなく時々バイトで段ボールを持つだけの腕が、とうとう限界を迎える。そもそも休日に腕立てのような姿勢を長く保つことをしないだけに、
両腕は脆くも姿勢を崩し、勢いよくどこかにぶつかる。部屋と自分自身に響いて来た音は、ゴォンっといった鈍い音。
「ううーん……ってぇ、ててて……」
ぶつけたのは額のようで、左手で確かめると少しだけたんこぶが出来ている。お互いの額が衝突をしたことになるが、さほど痛みは感じない。
自分の視界にはコンビニ弁当の空箱が散乱している。俺自身は弾みのある床の上に横たわっている状態で、右頬の辺りにはもにゅっとした感触があった。
「何だか心地いい感じが……」
「――それで、輝くん。いつまでそうして甘えて来るつもりがあるのかな?」
「ぶべほっ!?」
俺を見下ろす静稀の顔が真上にあったことに驚き、慌てて起き上がる。そしてすぐに彼女から離れて土下座の姿勢に入り、彼女に勢いよく頭を下げた。
右頬に残っていた感触は、どう考えても静稀の――
「ふぅっ。やってくれるね、君」
「い、い、いや……わ、わざとじゃなくて」
「わざとじゃないのに、まるで計算されたような動きだった。それが君の必殺技なのかな?」
「技でも何でもなく!! 気付いたらそこに――」
コンビニ弁当の空箱はぎりぎりの位置にあって、彼女に汚れの被害は確認出来ない。それよりも問題は、彼女から向けられる冷たい視線だ。
とてもじゃないが、恐れ多くて彼女の顔をまともに見ることが出来ない。そして俺の視線は、彼女の顔では無く胸の辺りに目が行ってしまう。
「――さて、輝くん。責任は感じているのかな?」
「え、な、何の?」
「気付いているはずだよ? 私に隠し事は出来ない。その意味が分かるかな?」
「――あ、あぅぅ……それはあの、本当にわざとじゃなくて、単なる事故で」
これが彼女の別の顔ということだろうか。口調こそ元に戻っているものの、瞳の奥はまるで笑っていない。
「とりあえず、楽にしていいよ」
「え、楽にとどめを?」
「……面白いね、君は。私を何だと思っているのかな?」
「お、俺の師匠です」
「それはいいから、楽な姿勢で向き合いたまえ」
さすがに呆れさせてしまったか。お互いの額をぶつけ、その衝撃で
「そ、それで、その……」
自分の意思とは別に、やってしまった感が半端ない。
よりにもよってS級の美少女として崇めていた師匠にしでかした。その事実に、どう立ち向かっていけばいいのかまるで分からない。
「輝くんはやっぱり私が思っていたとおりの……ううん、以上の男の子のようで安心したよ」
「へ?」
どう思っていたかなんて考える余裕なんて無いが、舐めていた訳じゃなかったようだ。
「わざとにしろ、そうじゃないにしろ、君という男の子があの姿勢で何もして来なかったら幻滅するところだったんだ。君が感じたむにゅっとした感想も、前向きにとらえることにするさ」
顔に感じた感触の表現をミスってしまったのは、紛れもなく俺の低次元な語彙力のせいだ。
それにしても事故はともかく、彼女の表情は何となくすっきりとした感じになっている。まるで長く抱えていた憑き物が取れたような、そんな感じだ。
「し、静稀さん……? あの~?」
「私と君との間に逃れようのない証拠が出来た。額の痛みは別にして、一瞬の出来事だった。君もそういう思いがあるかな?」
「しょ、証拠?」
まさか何かの罪にされて、逃れられない人生の始まりになってしまうのか。
「……お互いにぶつかり合い、その反動により思いがけない証拠を生み出してしまったんだ。そしてそれは、とっても素敵なことだと思うんだ。特に君にとっては」
やはり勢いそのままぶつかったせいで、ちょっと錯乱しているようだ。額同士を衝突させ、そこからの幸運な出来事は決して素敵な思い出にはならない。
「ご、ごめん!! 本当に何と言えばいいか……」
「いいんだ、輝くん。ちょっとだけやけになっていたのもあるし、君が抱くイメージに束縛されていたせいもあるんだよ、きっと」
「――束縛?」
何やら物騒な単語だ。イメージの束縛という意味だとすると外れでもないが、口調にしても何にしても俺が彼女に抱いていたのは何だっただろうか。
お嬢様、ガチャゲーム上のお師匠さんは、おしとやかで上品で――
「噂のS級美少女、近野静稀。隣のクラスにいて何を考えているのか分からないけど、とてつもないお金持ちのお嬢様。お嬢様が言うことは、全てが正しくて清い。それが輝くんが抱いている私だよ」
(ああ、そうか。出会った時から抱いていたイメージを、静稀は見抜いていたんだ)
勝手に抱かれたイメージに束縛されていた静稀は、解放されて素をさらけ出していた。そのきっかけが額同士の衝突のちのアレだとしたら、解放してあげたことになる。
「た、確かに!」
「……だからこれからは容赦しない。何と言っても、輝くんの頬は私の心臓周辺にたどり着いたのだからね」
「えええ、そ、それはわざとじゃ――」
イメージ束縛から解放された彼女は、何だか急に小悪魔っぷりをさらけ出して来た。舌なめずりをしながら見つめて来る辺り、もう――
――逃げられない、そんな感じがした。
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