斑糸


 それからすぐに電気が復旧し、屋敷に光が戻った。

 寺城さんは駆けつけた警官に屋敷の人々を全員この食堂に呼ぶよう指示を出すと、俺に紅茶を入れさせ自身はゆったりと椅子に腰掛けた。

「ん?これは気が効くじゃないか西岩君。君には才能があるようだね」

 戸棚で見つけたチョコレイトを山盛りにして紅茶と一緒に寺城の前に置くと彼女は、含みのある台詞を吐きながら、小さい手でそれを鷲掴みにすると、まとめて口に放り込みガリガリと噛み砕きそのまま紅茶を口に運ぶが、やはりまだ熱かったか、ソーサーにうつし冷めるのを待った。

「ありがとうございます。ところでそれは泥棒の才能の話ですか?それとも探偵の才能の話ですか?」

 俺の言葉に寺城は口の端についたチョコレイトをチロリと舐め取り、ソーサーの紅茶を器用にカップに戻しながら言った。

「何、必要な技能は大して変わりやしないよ。料理をするのも火事にするのも同じ火さ」

 そして、ゆっくりと紅茶を口に運んだ。

「警察としては、火の用心と叫びながら貴様を見張り続けていたいものだな」

 有史以前から人類は、火と共にあり今更それを切り離す事は文明を失うに等しい。

 人類が火事を克服する日は来るのだろうか。

 寺城は紅茶で溶けたチョコレイトの欠片を舌先で弄びながら言った。

「いくら恋しくても、ボクばかり見ているからこんな所が火事になってしまったね」

「っっ!!」

警部のこめかみに青筋が立ち、ヒクヒクと動く。

 ピリピリとした空気の中、トントンとノックの叩く音がして、食堂の扉が開かれる。

「失礼いたします。皆さんをお連れしました!」

 そう言って入ってきた警官に連れられ、館の人々が後から続いてやってくると、ピリピリとした空気は、人々の不安と疑心暗鬼により重苦しく湿った物へと変わる。

 最後に二花さんが部屋に入って来た時、幾人かが愛馬氏の死体が気付きざわめき出す。

 そして、全員がそれに気付いた時、誰もが二花さんの発狂を予想した。

 しかし、実際の二花さんは、沈黙したままただただ複雑な感情の渦巻く血走った目で寺城を睨んでいた。

 緊張渦巻く静寂わずかな時間、寺城がチョコレイトを噛み砕く音だけが響く。

 そして、カチャンとカップを置く音が始まりを告げた。

「さて、全員集まったようだしそろそろ推理ショーの開幕、というには拍子抜けなほどに間抜けな犯人の紹介をしてあげようかな?」

 僅かにざわめく観衆の中、ゆっくりと椅子から立ち上がった寺城は軽氏へと問いかけた。

「さて、君は君の父親が誰によって、何処に運び去られたと思う?」

 軽氏は少し戸惑いつつも、眉を顰め必死に冷静を装いながら答えた。

「何処かの部屋……いや、それだとすぐにバレる。屋敷の外に運び出したのか!」

 核心にたどり着いたかのように顔を上げ、自信満々に声をあげたが、それに肯定的な人物はこの場に一人もいなかった。

「外に運び出して何処に持ってくというんだい?君はそんな時間があったと思うのかい?外に仲間がいたとして、それが誰にも気付かれず屋敷の内外を自由に行き来できると思うのかい?警官だけでなく、死んだ犬以外にも番犬はいるんだろう?犯人の意図、現実に可能かどうか、もう少し頭を使って考えてみたまえ」

 ワザとらしく馬鹿にする寺城に軽氏は憎憎しげに臍を噛んだ。

「他に誰か推理できる者はいるかい?」

 寺城の視線が女中の方を向く。

「わ、私にはとても……」

「見当もつかないわ」

 脅えるように答える米と若く見える外見に反して、大分落ち着いた対応を見せるもう一人の女中。

 寺城の視線は下村さんに移る。

「私にも想像つきかねます。お恥かしながらこのお屋敷に来てまだ日が浅く――」

 誰もが下村さんも答えを出せないと思っていた。

 自身すら、言葉を紡いでいる最中に気付いたのであろう。

「――愛馬様のご遺体が何処にあるのか、不忠にも私には(・・・)分かりかねます――」

 下村氏は、その強い意志の篭る瞳と声を鋭くこう続けた。

「――しかし、このお屋敷に隠されているのだとすれば、それが出来るお方は一人しかいらっしゃいません」

 この時、ほとんどの者はその言葉の意味に気付き、その視線は彼女に集められた。

 ある者は驚きのある者は怒りのある者は恐怖の感情を顔に張り付かせ、ただ般若の如く血走った恐ろしい表情の二花さんを見た。

「どうやら君が怪しいと皆は思っているようだねぇ」

 罠にかかりかけた獲物を舌舐めずりをしながら嬲るように告げる寺城に二花さんは狂気じみた表情で罵った。

「この屋敷が私の物だから私が犯人だなんてありえない!!私は愛する人が亡くなって悲しんでいるというのに犯人だなんてありえない!!人としての情けは無いの!もう私のあの人には会えないのよ!そんなのってありえないわよ!」

 ただ感情的に喚きたてる二花さんに寺城は酷く矮小な虫を踏み潰すように告げた。

「なら、その愛する人の所まで案内してみせるよ」

 その言葉に二花の声が一瞬止み、そして、より大きな発狂した声で叫びだした。

「ふざけないでよ!まだ私を犯人扱いするの!!私は可哀相な被害者なのに!また寄って集って犯人扱いするの!!警察なんて役に立たないわ!!この税金泥棒!!大体私は知らないの!もし見つかったとしたら犯人は貴女よ!!それに私は、私の屋敷を貴女なんかに好きに歩かせたりしないわ!出てってよ!私の屋敷から出てきなさい!!警察!不法侵入よ!捕まえて!!早く捕まえて!!偉い人に頼んで死刑にしてもらうんだから!!」

 容疑者であるにもかかわらず強気な態度に一部の警官がたじろいだ。

 建前上、平等が謳われる法治国家といえど、実際には二花さんのような上流階級に対する扱いは、一般国民とは大きく違い、旧来の特権階級に近い優遇や便宜が計らわれている。

 しかし、今回は相手が悪い。

 被害者の愛馬氏自身が成り上がりとは言え上流階級の人間であり、何より寺城がその程度の事を気にするとは思えない。

 実際、警察も戸惑いこそすれど誰も寺城の行動を掣肘しようとはしなかった。

 寺城はゆっくりと歩くとテーブルの足元から絨毯に紛れていた、本来は真っ赤であったであろう、こぼれたワインや血、汚れに斑になった糸を摘み上げた。

 汚物を洗い流す喜びが寺城の口から漏れる。

「西洋の英雄テセウスは、怪物の住まう迷宮(ラビリンス)から糸を頼りに帰り着いたという。状況は逆だが、ボク等もその故事に習おうじゃないか」

 寺城の言葉の意味に気付いた時、俺は死体と共にあの台車も消えている事に気付いた。

「つまり、その糸は父の遺体に繋がっているというのですか!?」

「正確には犯人が死体を運ぶ為に使用した台車にさ」

 その言葉にその場にいた誰もが息を飲み、そして、今日一番の狂声が響き、二花さんが寺城に飛び掛った。

「ーーっっ!!させない!!私のあの人達は誰にも渡さない!!アンタみたいなアンタみたいな売女に指一本っ!!離しなさい!!離しなさいよぉっっ!!」

 近くに控えていた警官数名に取り押さえられながらも二花さんは信じられない力で暴れ、大人しげな淑女の顔は何処へやら、化物のような形相で全てを呪う言葉を吐き出し続けた。

 寺城にはこの狂気の怪物が可愛い子猫にでも見えるのか、床に押さえつけられ口の端に泡をつけた二花を覗き込むと楽しげに言った。

「安心したまえ、ボクは君の男達に興味は無いよ。彼等は永遠に君だけの物だろう?」

 そう告げると二花の抵抗は次第に弱くなり――しかし、その瞳は狂気にどす黒く染まったまま――素直に警官から手錠を掛けられた。

「さて、それでは怪物の迷宮(ラビリンス)に挑む英雄(テセウス)諸君参ろうか」


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