家族


「それではご夕食の準備が整いましたらお知らせに参りますので、それまでどうぞごゆっくりおくつろぎ下さい」

 そう言って完璧な礼をし、部屋を後にした下村氏を見送り、俺はあてがわれた客間の寝台に腰を下ろした。

「あ”ーあ」

 そのまま後に倒れた。

 しんどい。精神的にしんどい。

 どうしてあの人はこう四方八方に敵を作るような真似ばかりするんだ。

 まさかアレが素なのか、それとも何か意図があってあのような振る舞いなのか、どちらにせよ俺が精神的に被害を受けるという事実に大した違いはないか。

 彼女の世話になると決めてしまったあの時、事件の脳を溶かすような熱にやられてしまっていたのだろうなとしみじみ思う。

 確かにお給金、待遇は常識外れに良いのは事実だ。

 だが、精神的にはよろしくない。

 寺城さんの事だ、下手をすれば命の危険すらあるかもしれない。

 いや、この前の事件を思い出してみろ。

 俺は完全な助手見習い以下の一般人だったのに、大した説明もなく危険な殺人現場に連れ込まれたのだ。

 あの人の行動は異常だ。

 かと言って、子供が一人で生きていけるほど世の中甘くは出来ていない。

 犯罪に走るか、体を売るか、どちらもそう長くは続かないだろう。

 それならまだ彼女の世話になるほうがマシだと考えてしまう自分はどうかしているのだろうか?

 本当に他に道は無いのか?

 本当に生きる為に選んだのか?

 そもそも、親父に頭を下げ家に帰る選択肢だってあるのではないか?

 あの時感じた性質の悪い熱病の如き感覚を俺は忘れることが出来るのか?

 考えれば考えるほどに、地獄に糸を張る化物蜘蛛に絡め取られているような気分だ。

 そんな事を考えながらまどろんでいると、寺城にあてがわれた部屋の方から壁を叩く音が聞こえ、彼女の呼ぶ声が聞こえた。

「西岩君こっちに来たまえ」

 小さく綺麗な声のはずなのに、壁一枚を隔ててしっかりと俺の耳に届くそれは、どこか薄ら寒く感じさせら。

「はぁ」

 なんとも嬉しくない美姫の呼び声だが、狸寝入りを決め込む気にもなれない。

 多分行かなかった方が良くない事が起きそうだ。

 俺はすっかり逃げ去ってしまった眠気を惜しみながら、寝台より起き上がり隣の部屋に向かう。

 コンコンッ

 寺城の部屋をノックする。

「鍵はかかってないから入ってきたまえ」

 事務所と同じ返事。

「失礼します」

 扉を開けばそこには、洋靴を脱ぎ散らかし、他人の屋敷とは思え無い程にいつも通りにダレきった寺城が、寝台に埋もれながらパイプを吹かしている寺城。

 そして、どこか気弱に見える困ったような眉と華奢な体つきながら、愛馬氏や軽氏によく似た二〇代半ばの男性――恐らく彼が愛馬氏の次男なのだろう――が、困った表情で立っていた。

「二人とも突っ立ってないで適当に座りたまえ」

 そうは言うが、そこらかしこに運び込んだ荷物が散乱し足の置き場に困るほど。

 当然二脚ある椅子の上にも荷物は置かれ、それを片付けなければ利用は出来ない。

 そして、それをどうにか片付けるのは俺の仕事になるわけで。

「どうぞ」

 俺は椅子から荷物をどけ、適当に邪魔にならない所に置き、愛馬氏の次男と思わしき男性に椅子を勧める。

「ありがとう」

 自身の分の椅子を空けながら寺城に愚痴る。

「寺城さん。人の屋敷にお邪魔しているのですから、気を使うか、せめて借りてきた猫程度には静かに出来ないんですか?」

 寺城は俺の忠言など何処吹く風と新しく葉を詰めなおしたパイプにマッチで火を着けながら言った。

「ボクは頼まれて依頼を受けてあげているんだよ?僕の態度が嫌なら首にすればいいだけさ」

 暖簾に腕押し、いや馬耳東風か?

 普通は依頼人を立てるものだが、この人にそういう常識は通用しないのはわかっていたが……

「需要と供給の問題さ。依頼人はいくらでもいて、僕は一人しかいないんだ。どちらの立場が上かは文明人なら理解できるはずさ」

 普通に俺の思考を読んで答えないで欲しい。

 寺城は一服吸い、ぼんやりと虚空に目を泳がせながら火の着いたままのマッチを指で弾いた。

 マッチは吸い込まれるようにサイドチェストの上の灰皿に飛び込み、真っ赤な火の代わりに白い煙を漂わせた。

「それで南人(なんと)君、話というのは何かな?」

 南人と呼ばれた青年は、少し戸惑いながらもゆっくりと口を開いた。

「あらためまして私は蓮城愛馬の次男、蓮城南人です」

 第一印象は先ほどの軽氏と比べ、育ちの良さを感じられる物腰の柔らかそうな態度、最初は少々動揺しているように見えたが、すぐに気持ち和切り替え落ち着いた親しみの持てる笑顔で俺にまで軽く頭を下げてくる気配り、長男よりもよっぽど資質があるのでは無いだろうか。

「堅苦しい挨拶は省いてくれないか?まずは、用件を簡潔に伸べたまえ」

 それに引き換え我が雇い主の横柄な事、今の内に南人氏に雇って貰えるようお願いした方が賢いかもしれん。

 しかし、そんな寺城の態度にも南人氏は気分を害した様子も見せず、椅子に座り再度口を開いた。

「では差し支えなければ、父からどのような依頼を受けたのかお教え願えませんか?」

 言っては何だが、本当にあの軽氏と同じ血が流れているのかと疑いたくなる程度には、出来た人だと思っていた。

 もちろん今でもそう思っている。

 しかし、今寺城さんに訪ねたその瞳、父親である愛馬氏と同じ強い意志を感じる。

 愛馬氏が己の感情を上手く隠していたように、南人氏も自分の本性を隠しているのかもしれない。

「差し支えあるね」

 そして、我が雇い主は本性を微塵も隠そうとしていない。

 いや、恐らく隠し事は山の木々の数よりも多くあるだろうが、本性はまったく隠す気がない。

「探偵には守秘義務というものがある。依頼人の子であろうとおいそれとは教えられないよ。聞きたければ本人から直接聞くと良い」

 この人の口から、守秘義務なんて言葉が出るとは、晴天の霹靂、瓢箪から駒というか、順法精神というものを持っているかすら疑問な人物だけに白々しさ満載だ。

「まぁ、その秘密を暴くのが僕達探偵の仕事なんだけどね」

 寺城は、詰まらなそうな悪い顔にいやらしい笑みを浮かべ、俺の方へと甘酸っぱい紫煙を吹きかけ、俺はそれを扇いで散らした。

「俺はそんな依頼受けたくありません」

 寺城は何事も無かったように俺の発言を無視した。

「それに君は聞かなくたってその内容を予想してはいるんだろう?」

 寺城の言葉に南人の瞳と眉が、一瞬大きく動揺を示した。

「本当に僕に言いたい事はその先にある。違うかい?」

 寺城の言葉に動揺していた南人は、すぐに先ほどの人の良さそうな顔を戻した。

 しかし、その瞳は愛馬氏よりも強い光を帯びていた。

「何故そう思うのです?」

 南人氏の問いに、寺城は寝台に寝転がったまま天井を向いて答えた。

「ほんの少し前にアレだけの騒音、騒ぎが起きていたにもかかわらず、君は一切その事を尋ねなかった。これはその騒動の内容を知っているか。それともそんな事がどうでもいいと思う程度には、重要な事を胸に秘めやってきたか。後者であるならば、あの程度の質問、あの程度の問答という事はないだろう」

 寺城は少しだけ体を起こすと、枕元においてあった紙袋から飴玉を取り出し小さな口に放り込むと、ガリボリと砕き嚥下した。

 南人はそれを何か特別な事のように注意深く観察していた。

「そもそも、選択肢が少なすぎる。君が僕のところに一人でやってきて言いたい事なんてそう多くあるものじゃない。ましてや、その内容が自分の父がした依頼内容の確認だ。ここまで情報が出ていて何をしに来たか推理出来なければ探偵失格というものだよ」

 然も有りなんとつまらなそうに語る寺城。

 南人は同様を端々に見せながら、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

「貴女は本当に、父が言っていたように、全てを知っている悪魔のような人だ」

 そう言い、ポケットからモダンな銀の煙草入れを取り出し、その中の外国製の細い紙巻を咥えるとこれまた洒落た外国製のライターで火を付け、落ち着きを取り戻す儀式のようにゆっくりと深く吸った。

 そして、紙巻を灰皿に押し付け、落ち着きを取り戻した南人はしっかりとした意思の下寺城の瞳を見据えて言った。

「あの女性。連地二花は危険です。どうか彼女の本性を暴いてくれませんか」

 そう言って九〇度に頭を下げる直前、彼の瞳は異常なまでの熱を帯びていた。

「父から婚約すると聞く前から、私は複数の探偵を雇いあの女の事を調べさせました。そして、恐ろしい事実を知ったのです」

 迫真の表情で語る南人を見て、寺城は小さく笑みを浮かべた。

「あの女は既に三度結婚し、三度夫を喪い、その全てが不審死による死別、そして亡き夫の全財産を己が物としている邪悪な魔女なのです!!」

 アレだけ冷静で温和だった南人の目は爛々と光り、正に手に汗を握り熱弁をした。

 単なる偶然……にしては、出来すぎてはいるが、彼の話だけでは判断しきれない。

 俺個人の感想だが、あの愛馬氏にベタ惚れしている女性が、金銭目的で殺人を犯すようにはとても思えない。

 横を見れば、寺城は思うところがあるようで少し楽しそうに目を細めて言った。

「確かに彼女は三度夫を亡くしているし、遺産も受け取っている。一人目の夫は蓮城家程では無いが、なかなか裕福な御仁だったらしいね」

 そこまで言うと、南人はその通りだと寺城を強く見つめた。

「しかしね。二人目と三人目はさほど裕福では無い人間、特に二人目なんてその日の食事すら事欠く程だったというよ?」

 南人も知っていたようで僅かに身動ぎしたが、まだ二花さんを糾弾する事を諦めてはいなかった。

「遺産目当てでなくとも、あの若さで三度も結婚、死別を繰り返すなどありえない!それに何人もの男を屋敷に連れ込んでいたという風聞も――」

「風聞では人を裁けないよ」

「--っっ!!」

 日本は近代法治国家だ。

 風聞や感情で人を裁けるわけがない……が、寺城がそんな真っ当な事を言うと違和感を感じてしまうのは何故だろうか?

 南人は己を支配しようとしている感情を振り払うかのように頭を振ると、額に手を当て肩を落としながら、僅かに震える声で言った。

「わかっていはいるんです。心配のしすぎだと、邪推ではないかと、そんな不道徳で邪悪な行いをする人物などそんな簡単にいるわけがない。父がそんな悪人に騙されるわけがない。しかしっ、私は家族が心配でそれを失うような……」

 そう言いながら南人はへたり込むように椅子に座り込み苦悩の表情を浮かべた。

「一般的に家族は大切なものさ。しかしね……」

 一見慈愛にもにた表情を浮かべ南人に語りかける寺城。

 しかし、彼女の瞳には真っ黒な光りが宿り、毒蛇の舌がその口から覗いていた。

「君の父君がどのような手段で成り上がったか知らないわけではないだろう?」

 その言葉に南人の顔が歪んだ。

「一体何人。いや、云十もの家が君の父君の為に不幸になったか知っているかい?代々の土地を失った者、娘を売った者、一家で死を選んだ者。法律の隙間どころか、証拠さえ見つかってしまえば檻の中へ招待されてしまうような行いを繰り返した結果が、今の君達の生活なのを理解しているんだろう?」

 今にも感情に押しつぶされそうな南人に寺城は容赦なく言葉を浴びせかけた。

 彼女は何故こんな時にこんな事をするのか、あの邪悪で美しい瞳の奥に何を考えているのか俺には理解できない。

 何らかの意味が、彼女の趣味嗜好以上の何かがある事は間違いない。

 だからと言って、これ以上南人氏を追い詰めるのを俺は見ていられない。

「わかってはいるんです!父が、兄が人として褒められない行いをしている事はよく知っています!何度、父や兄の為に不幸になって人々から敵を見るような目で見られた事があったか。でも、その時ささえ庇ってくれたのも父と兄なんです。そして、そんな父が刺され、命を狙われた瞬間も見ているんです!」

 目を真っ赤にし、涙を溢しながら南人は吐き出すように語った。

「それで、それでも私は、自分勝手だと、自己中心的だと言われても父や兄を大切に思っているんです。傷ついて、死んで欲しくないんです」

 軽氏と南人氏はよく似ている。

 見た目ではなく内面がだ。

 一見、粗野で傲慢な軽氏。

 一見、温厚で優しげな南人氏。

 しかし、二人とも一皮剥けば己が身を焼き尽くさんばかりの激情家なのだ。

 そして、愛馬氏の言うとおり、南人氏は人一倍優しく人を傷つけるの嫌っている。

 何より己の家族が傷つく事を恐れている。

 これは憶測でしかないが、愛馬氏の二人目の妻。

 すなわち、南人氏の母が亡くなった事が、彼の心に大きな傷痕を残したのではないか?

 この件が片付いたら調べてみよう。

「お金ならいくらでも払います。だから――」

「ボクがお金で動くと思っているのかい?」

 彼女はポスっと寝台に横になると、何も映さない瞳で虚空を眺めた。

 南人氏の瞳に影が染み込んだ。

「でも、まぁいいか」

 寺城は口元を覆うようにパイプを咥え言った。

「愛馬氏と二花氏が正式に結婚する前に彼女の真実を暴いてみせよう」

「あ、ありがとうございます!」

 瞳に救いの光を宿し、救世主を見るような目で南人氏は寺城を仰ぎ見た。

「ただし、君が望む結果になるとは限らないよ?」

「もちろんです。私は父さえ無事なら、あの女が罰せられなくともかまいません」

 南人氏の頭の中では、二花さんは凶悪な悪女で確定しているようだが……

 薄っすらと開けられた寺城の瞳には、深淵の如く深いその奥に酷く過虐的な色を浮かべていた。

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