情け人情うどん

富本アキユ(元Akiyu)

第1話 情け人情うどん

 情けない。どうして俺は、いつもこうなんだろう……。俺は悪くないんだって言えなかった。ビビッてしまい、言い返せなかった。小心者の自分が本当に嫌になる。コピー機等のOA機器を取り扱う会社で機械の修理や点検をする技術職の仕事をしていた俺は、上司のミスの責任を押し付けられてしまった。大口のお客さんを怒らせてしまった。社長の耳にも入り、今回のミスで能力不足と見なされ、解雇されてしまった。本来ならそれは会社都合での退職になるところだったが、会社からは自己都合退職で辞めるように諭されて辞表を書かされてしまった。本当に悔しい……。どうして俺は、いつもこうなんだろう。昔から小心者で他人に言い返すことができず、いつも損な役回りばかりしてきた。大人しい性格の自分が嫌だ。この性格を直せるものなら直したい。

 仕事を自己都合退職すると、失業保険をもらうまでに待期期間が三ヶ月発生する。つまり失業保険を貰えるようになるのは、三ヶ月後。その間は貯金を切り崩して生活しなければならないが、安月給だった俺に、あまり貯金はなかった。金がない。急いで次の仕事を探す為にハローワークへ通い、面接を受けていったが、昔から面接というのも苦手で人見知りな性格の俺は、面接で言いたい事を上手く伝えられなかった。そのせいで不採用が続いた。


「はぁ……。こうなったら、とりあえずバイトで食いつなぎながら正社員を探すか」


 近所のスーパーに行って無料の求人情報誌を貰ってきた。今年で三十路の俺でも雇ってくれるところはあるだろうか。コンビニか飲食店ばかりだった。どうせなら家から近いところがいい。求人情報誌のページをパラパラとめくっていると、一件の求人が目に入った。


「情け人情うどん店」の厨房スタッフ。時給900円。時間は午前10時から午後3時まで。うどん作りは未経験でも丁寧に指導します。


 家から近いという希望で、しかも厨房スタッフなら接客もあまりなさそうだ。その求人広告は、人見知りの俺にとって、とても良い条件に思えた。俺は早速、連絡先に書いてある電話番号に電話をかけて面接をしてもらう事になった。

 面接の日、バイトだし別にスーツまで着なくてもいいよなと思い、襟付きの地味なグレーのシャツを着て行った。情け人情うどん店に着き、店の入り口のドアを開けた。小さなうどん店の店内に入ると、五十代くらいのおばさんが机をタオルで拭いていた。


「すみません。今日、午後4時からバイトの面接をお願いしていた小原です」

「ああ、小原さんですね。はいはい。聞いてますよ。ちょっと待ってくださいよー」


おばさんは机を拭く手を止めて、店の奥へと入っていった。奥からおじさんが出てきた。


「小原さんですね。それじゃ、面接始めましょうか。ここの席に座ってください」

「はい。よろしくお願いします」

「小原真一さん。年齢は三十歳。前は……墨田OA機器で働いてたの?」

「はい。コピー機等の機械の修理の仕事をしていました」

「ああ、なるほど。またなんでうちみたいな小さなうどん屋に来たいと思ったの?」

「実は採用試験を色々と受けているんですが、全然決まらないんです。それで家から近いところで求人を見つけまして、それで応募させて頂いたんです」

「なるほどね。小原さんは独り暮らししてるの?自炊したりとかは?」

「はい。一人暮らしです。自炊は男の一人暮らしなので、簡単な料理ばかりですが」

「手打ちうどんを作った事はある?」

「ないです」

「そうか。なら新しい経験になるわけだ。よし、わかった。いいよ、じゃあ採用。明日からでも大丈夫?」

「えっ、あっ、はい。大丈夫です」

「じゃあ明日から10時に来てね。よろしくね」

「よろしくお願いします」


 面接に行ったその場であっさり採用が決まった。これでなんとか食いつなげる。ほんの少しだけど気が楽になった。翌日、俺は情け人情うどん店に初出勤した。


「おはようございます」

「おはよう。うちは店開けてる時間が午前11時から午後2時30分までだからね。まだ時間があるから色々説明しないとな。えーと、じゃあまずはっ……と。まあ今日いきなり作れとは言わないから安心して。今日は、俺がうどん作るのを見てどんな事やって、どういう風に作るのかを見ててくれたらいいから。うどんの作り方とか盛り付け方とか勉強してくれたらいい。皿洗いとかはお願いすると思うから。とにかく店が開いたら忙しい戦場になるから。うどん屋は短期決戦だからな。頑張っていこう」

「はい。よろしくお願いします」


初日の俺の仕事は、店長に言われたとおり皿洗いがメインだった。というか皿洗いしかさせて貰えなかった。皿洗いがない時は、横で店長がうどんを作る工程を見て勉強していく。店長は必死にうどんを作り続けた。そして初日の営業は、あっという間に終わった。


「ふぅ、今日は営業終わりだな。後は片付けしたら、もう今日は上がっていいよ。明日からは、営業前の時間を使ってちょっとずつうどん作りを勉強していこう」

「はい、わかりました。よろしくお願いします」


初日のバイトが終わった。うどん屋というのは、こんなにも忙しいのか。なかなか大変な仕事だ。明日からは、うどん作りを学ぶのか。俺にあんな風にうどん作れるかな……。不安だけどやるしかない。その日の夜は、よく眠れた。皿洗いだけっていうのも体力を使うし疲れるからな。

 次の日になった。10分前に店に入って制服に着替えた。厨房に入って店長に挨拶する。


「おはようございます」

「おはよう、真ちゃん」

「えっ?真ちゃん?」

「下の名前が真一でしょ?だから真ちゃんって呼ばせてよ。気に入らないかい?」

「あ、いえ。大丈夫です……。それで……」

「よし、じゃあ真ちゃん。今日からうどん作りを実際にやっていくわけだけど、真ちゃんは、うどんが何から作られているかわかるかい?」

「小麦ですか?」

「おしいね。半分正解」

「えっ?半分ですか?」

「うどんはね、土から作るんだよ。小麦を作るのは土だろ?だから土から作るんだ。うちの仕入れている材料の小麦は、良い土で作られた小麦を使ってる。産地にこだわっているんだ。うちのうどんの美味しさの秘密は、小麦にあるんだ」

「なるほど。材料にこだわりがあるということですね」

「一般的にうどんというのは、簡単に作れると皆が思っている。実際それは間違っちゃいない。確かに家庭でも手打ちうどんを作れるし、それ程難しいもんじゃない。だからこそ、うどん屋ってのは、材料にこだわって良いものを研究して作っていく事が必要なんだ。……と、まあここまでがこだわりの話さ。じゃあ早速、作り方を教えていくよ」

「はい。よろしくお願いします」

「まずは水に食塩を入れて食塩水を作る。小麦粉を入れたボールに全体の7割くらい食塩水を入れて、よくかき混ぜる。全体がこなれてきたら、残りの食塩水を入れて混ぜる。この作業を水回しというんだ。水分が全体に行きわたるように、素早く丁寧に混ぜる。ダマになったら手でほぐす。しっとりそぼろ状になって黄色くなってきたらオッケー」


店長は、説明しながら作業をしていく。


「外側から内側に巻き込むようにこねる。生地がまとまったら、生地に体重をかけながらぐっと押す。生地の端っこのほうを内側に織り込むようにして、回転させながらこねる。数回繰り返してると生地がなめらかになるんだ」


店長の作業を横で見ながら、俺も同じように生地をぐっと押す。


「結構、力が必要なんですね」

「そうさ。うどん作りは結構な力仕事さ。次に生地をビニール袋に入れて熟成させる。常温でしばらく寝かす。すると表面がなめらかになる。次に軽くこね直す。整った生地を再びビニール袋に入れて少し寝かせる。のし台と生地に打ち粉をする。生地を麺棒で押して円盤状に伸ばす。90度回して伸ばす。麺棒に巻き付けて、また円盤状に伸ばす。これを3,4回繰り返す」

「なんだか子供の頃に粘土で遊んだような感覚を思い出しますね」

「ははは。まあ似たようなものかもしれない。そして伸ばした生地の上に打ち粉をたっぷり振る。生地の手前から奥に向かって、屏風畳みにする。畳んだら打ち粉を振り、まな板に乗せて切る。それで打ち粉を払い、麺をほぐす」

「はい」

「鍋に湯を入れ、麺をほぐしながらゆっくり入れる。沸騰したら吹きこぼれないように火を弱めて10分ゆでる。麺に透明感が出てきたら頃合いだ。ざるに開けて、流水で洗う。後は盛り付けて完成さ。まあ何回もうどんを作っていると、次第にコツが分かってくるようになるさ。慣れだよ。今日からは、皿洗いだけじゃなくて一緒にうどん作りもやっていこう」

「分かりました」


バイト二日目から俺は、うどんを作るようになった。うどん屋のお昼時は、とても忙しくて慌ただしかった。忙しくて、時間はあっという間に過ぎていった。


「よし、今日は、もう店閉めようか。真ちゃん、入り口の暖簾外してきてよ。後は片付けしたら上がっていいよ」

「はい、わかりました」


それから一週間。

そして一カ月、三ヶ月、半年、一年と経って、うどんが作れるようになっていった。


「真ちゃんもうどん作り、随分上達してきたなー。俺も助かるよ。今までは、嫁と二人だけで、嫁の方は、お客さんの相手するのを任せっきりだからな。真ちゃんがいてくれて、俺も随分助かるよ」

「うどん作りも奥が深いですね。俺も凄く楽しくなってきました。店長も女将さんも良い人で働きやすいですよ」

「そう言ってくれると嬉しいね。昔、俺達にも息子がいたんだがな。息子が三歳の時に俺がちょっと目を離した隙に道路に飛び出して、トラックに轢かれて死んじまった。父親として子供から目を離してしまったのが情けないから、情け。人情うどんってのは、一杯一杯に息子のように愛情を持って作り、人情を大切にして人様に提供したいから。情けない俺が人情を大切にして作るうどん屋。それが情け人情うどんって名前の由来なんだ。息子が生きてりゃ、今の真ちゃんくらいの歳になってたんだろうな」

「そうだったんですね」

「なぁ、真ちゃん。真ちゃんがうちに来てくれるようになってからもう一年が経つ。余計なお世話かもしれないが、これからどうするつもりなのか考えてるのかい?」

「実は俺、うどん作りが凄く楽しくなってきたんです。それで俺、今までやりたい事とかなかったんですけど、うどん作りをもっと深く知りたいと思うようになってきたんです。いつか自分の店を持つようになれないかな……なんて考えたりしてしまいました。たった一年働いたくらいで言うのもどうかと思うんですけど。自分のうどん店を持ちたいだなんて甘い考えですよね……」

「なあ、真ちゃん。もし真ちゃんがいいなら、俺の後を継ぐ気はないか?情け人情うどん店を」

「え?」

「俺ももうすぐ60歳だ。体も昔に比べて衰えてきてると感じるんだ。でもうどん屋を残せるものなら残したいと考えているんだ。真ちゃんさえ良ければ、俺が引退したら情け人情うどん店を継いでみる気はないか?」

「是非、よろしくお願いします。俺もっと頑張りますから」


あれから10年が経った。

俺は情け人情うどん店の二代目店長として、毎日、愛情込めて、うどんを作り続けている。


さあ今日も愛情たっぷり。最高のうどんをお客様に提供しよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

情け人情うどん 富本アキユ(元Akiyu) @book_Akiyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ