初恋を応援してくれる幼なじみとのラブコメ

第１話 共闘 その６

　　　◇

　十条アヤ、もとい彩花さんが正式に海栄に転入してきたのは、その翌日のことだった。

　校内はもちろん大騒ぎになった。

　澪も俺の昨日の様子をようやく理解し、他の生徒と同じようにはしゃいでいた。

　姉ちゃんにしてもこれはサプライズだったようで、親友の急な凱旋に大いに喜んでいる様子がラインのメッセージから伝わってきた。

　先に情報を知っていた俺だけが、今日の騒ぎに乗り切れていなかった。

　あの十条アヤをひと目見ようと、休み時間のたびに二年生教室のフロアが生徒たちでごった返す有り様だったそうで、進学校に通う生徒と言っても、まだまだみんなガキなんだな、と俺は冷めた目で今日一日を過ごしていた。

「いやあ、でもまさか結斗の言ってたことが事実だったとはねっ。驚いちゃったよ！」

　その日の放課後。俺が帰り支度をしていると、澪がひょっこりと俺の教室にやってきたのが分かった。澪はこのクラスの女子たちと「旦那に会いに来たの？」「まだ旦那じゃないってば」などと会話を交わしたのちに、俺のもとに近付いてきた。まだってなんだよ。

「で、結斗はもうアヤ姉とは会ったの？」

「いや……今日はまだ会ってない」

「そうなの？　あたしはねえ、昼休みに会ってきたんだっ」

　自慢するように澪が豊満な胸を張ってみせた。相変わらずの行動力だな。

「なんかもうさ、感無量だよね！　また会えるなんて嬉しいっていうか、そもそも十条アヤとして活動してたとかびっくり仰天だよね！」

「まあな」

「でも言われてみれば十条アヤってさ、幼少期のアヤ姉が成長したらこうなるだろうって感じの容姿だったし、今まで気付けなかったあたしたちの目が節穴なのかもね！」

「かもな」

「それにしても、今のアヤ姉は間近で見るとヤバいね！　ちっちゃい頃にも増して美人化してたし！　でもでもっ、おっぱいはあたしの勝ちでした！」

「そうか」

「むぅ……なんか結斗、せっかくアヤ姉が帰ってきたのにテンション低くない？」

　澪が心配するように俺の顔を覗き込んでくる。

「嬉しくないの？」

「嬉しいさ。でも……」と俺はカバンを閉じた。「素直に喜べない部分もある」

「どんな？」

「歩きながらでいいか？　教室ではちょっと」

「あぁうん、別にいいよ」

　頷いた澪と一緒に俺は教室を出た。廊下を歩きながら外を眺めてみると、女子に取り囲まれて色んな部活に勧誘されている彩花さんの姿が校庭に見えた。それを男子らが遠巻きに眺めている、という構図が外に出来上がっている。

　男子からすると高嶺の花過ぎて近寄りがたいから、今の彩花さんが同性にモテるタイプと化すのは自明の理と言えた。雑誌モデルとしての活動歴もあったはずだから、女子の方が話題を共有化しやすく接しやすいというのもあるだろう。

「で、アヤ姉の帰還で素直に喜べない部分って何さ？」

「今ちょうど外に見えるあの光景がそうかもな」

「……と言うと？」

「遠い存在になった、ってことだよ」

　足を止め、彩花さんの姿を眺めながら、俺はぽつりと吐き捨てた。

「こうして帰ってきてくれたのはめちゃくちゃ嬉しいさ。もう一度彩花さんを近くで見れるようになるなんて、これは奇跡としか言いようがない」

　けれど――今の彩花さんは俺が知る彩花さんではない。

　帰ってきた彩花さんは、十条アヤでもあった。

　幼い頃の夢を叶えて、大舞台まで飛躍し、天上の存在となっていた。

「だからこそ、まぶしくて、遠いんだよ。せっかく近くに帰ってきてくれたのに、俺なんかが触れることも出来ない高みに行ってしまった感がすごい」

　療養していた俺を優しく見守ってくれていた、あの身近なお姉ちゃんはもうどこにも居なかった。

　今の彩花さんは身近な存在ではない――画面越しに見ていた有名人だ。

　お茶の間やＳＮＳにファンが大勢居て、応援されている。

　今だって、ああして取り囲まれているわけで。

　人に対しての表現ではないかもしれないが、言うなれば――公共物。

　俺にだけ優しさを注いでくれていた彩花さんの姿はきっともう、期待出来ない。

　そう考えると寂しくて、やるせなかった。

「なんか結斗の拗らせ感がすごいんだけど」

「八年も片想いしてるんだぞ、そりゃ拗らせてるに決まってる」

　自覚はある。もう会えないかもしれない人との、果たせなかった約束を果たすために、ひたすら勉強を頑張ってきた俺が、拗らせていないわけがないじゃないか。

「彩花さんとたった一通、ラインのやり取りが出来ただけで浮かれるくらいの拗らせ野郎さ。でもこうして現実を知ればそんな程度のことで浮かれていた自分が恥ずかしくなる。彩花さんは近くて遠い存在だった。かつての身近なお姉ちゃんは、今となっては高嶺のそのまた高嶺に咲く一輪の花だ。そんな存在に好意を持つのなんておこがましい。普通に話しかけに行っていいのかすら分からない」

　きっと。

　物怖じせずに話しかけに行けば、彩花さんは普通に受け入れてくれるとは思う。

　だから問題は俺の方にある。

　俺自身が彩花さんに対して、どういうスタンスで行けばいいのかを見失っている。

　好きな気持ちを抱いたままでいいのか。

　あるいはそんなモノはさっぱりと捨てて、気持ちを新たに接するべきなのか。

「好意を捨てる必要なんかないと思うけど？」

　澪が少し強い口調で言ってくる。

「というか、マイナス思考が過ぎるんじゃない？　ポジティブに行こうよ」

「好きな人が高嶺過ぎる花になってたのに、どうポジティブになれって？　あれじゃどう足掻いても手が届かない。俺には過ぎたる存在じゃないかよ」

「そう簡単には手に入らないモノを手に入れるのが、楽しかったりするんじゃん」

「それはお前が勝負の世界に居るからそう思うのかもな。簡単に手が届いたりゲット出来たりする方がいいに決まってる」

「結斗ってさ」少しムカッと来たかのように、澪が俺を睨んでくる。「いつからそんなに臆病な感じになったの？」

「俺はずっとこんなもんだろ。片想い八年の陰キャだよ。臆病じゃなかった時なんてない」

「――あるよ！」

　きっぱりとした否定は、唐突な大声だった。

　廊下中の視線が一斉に俺たちに集中してくる。

「お、おい……なんだよ急に大声出して」

「あるって言ったの！　臆病じゃなかった時、あるよ！」

　そう言って澪は俺の手を掴んでズンズンとどこかに移動し始めていく。

「結斗は臆病じゃないよ！　もっとガンガン行ける男の子だってあたしは知ってる！」

　もはや怒ったように言いながら、澪が俺の手を引っ張り続けていく。

　気付けば校舎から出て、学校の敷地からも出て、普通に歩道を歩き始めたその勢いに俺は困惑せざるを得なかった。

「お、おいってば！　どこに行こうとしてるんだよこれ！」

「いいから来て！」

「お前部活は！」

「今日は休む！」

「大体なんで怒ってるんだよ！」

「結斗がウジウジしてるから！」

　西日に照らされながら、俺はなされるがまま澪にどこかへと連行されていく。

　やがて近所の河川敷を訪れたところで、澪がその足を止めた。土手下のグラウンドで、どこぞの野球部が声を張り上げながら練習しているのを尻目に、澪はこう呟く。

「結斗は臆病じゃなかったじゃん。昔ここであったこと、忘れてるわけないよね？」

「そりゃ……」

　忘れるわけがない。

　ここで昔あったこと――あの日も確か、このくらいの時間帯だっただろうか。

　幼き日の俺と澪は、この河川敷で遊んでいた。虫か何かを捕まえるために深い草むらに踏み込んで、二手に分かれて行動していた。

　そんな時、ドボン、と重いモノが水に落ちたような音が聞こえて、まさかと思って音の方に近付いていったら、澪が川に落ちて溺れていたのだ。岸辺なのに深くて、澪は必死になって藻掻いていた。

　助けなきゃと思った。だから俺は一も二もなく飛び込んだ。結果として澪は助かったものの、代わりに俺が溺れるハメになってしまった。俺はそのまま意識を失い、たまたま通りかかった人の手で川からすくい上げられたあと、救急搬送されたそうだ。

　その後、一命は取り留めた俺だったが、肺に軽度の後遺症が残り、ちょっとした日常的な動きでもすぐに息が切れるようになった。学校にも満足に通えなくなって、幼き日の俺は自宅療養を余儀なくされてしまった。

　でもそれは名誉の負傷だと思っているし、今ではもう健康体だから、未だかつて澪を恨んだことは一度もない。けれど澪はそれを気にしている素振りをたまに見せてくる。それくらい、澪にとっては忘れられない、忘れるべきではない、脳裏に刻み込まれた禊ぐべき記憶なのかもしれない。

　だから、澪がここに俺を連れてきて言いたいことは、なんとなく察しが付いた。

「……命懸けで、結斗はあたしを救ってくれたよね？」

「ああ……」

「そんなさ、そんな命を懸けられるような男の子がさ……、臆病なわけないじゃん」

　澪は泣きそうな表情で言った。

「結斗は強いんだよ。誰よりも勇猛で、あたしにとってはヒーローなの」

「澪……」

「だからそんなヒーローが、うじうじ悩んだりしないでよ！　勝手なこと言ってるかもしれないけど、結斗だったらもっとアヤ姉にガンガン行けるはずだって！」

「人助けと恋愛じゃ、熱量が違う……人命救助のほどの勢いが恋愛じゃ出せない」

「そうかもしれないけど、でも……っ」

　澪は語気を荒げ、俺に掴みかかりはしないまでも、顔を詰め寄らせて尋ねてくる。

「じゃあ結斗は、アヤ姉を諦めるわけ？」

「……諦めたくはないさ」

　どれだけ高く遠くに行ってしまっても、それでもやっぱり好きなんだから。

「だったらきちんと動かなきゃ！　アヤ姉に話しかけて、関係を再構築してかないと」

「それが簡単に出来れば苦労しないんだよ」

　こいつは自分のコミュ力を基準にして話すからタチが悪い。八年ぶりで立場も変わった彩花さんにあっさりと話しに行けるお化けコミュ力なんぞ俺にはない。

「じゃあさ、あたしが手伝うのはどう？」

「……手伝う？」

「そう。今度はあたしが助ける番ってこと」

　澪は俺の目を真っ直ぐに射貫いてくる。

「もう結斗に命懸けの救助なんかさせなくても済むように、あたしは水泳を始めたわけだけど、そんなのは別に結斗への恩返しにはなってないしね。だからこの機会にきちんと恩返しをさせて欲しいかな。結斗とアヤ姉の仲を、あたしが取り持つことでね」

「それは……」

「迷惑？」

　そう聞かれ、俺は少し考えたのちに首を横に振っていた。

「……いや、むしろ助かると思う」

　澪が仲介してくれるなら、彩花さんへの道は切り拓けそうな気がする。付き合えるかどうかなんて部分はまず置いといて、普通の会話まではこぎ着けられそうだ。

「でも、ホントに手伝ってくれるのか？　お前にはなんのメリットもないのに」

「だからまあ、そこは恩返しなわけだし、メリットとかどうでもいいっていうか。そもそも恩返しを抜きにしたって、あたしと結斗の仲だしね、困ってる時はお互い様でしょ？」

　そう言って快活に笑った澪を見て、俺は生まれて初めて澪を崇めたい気分になった。

「なんか……まかり間違って俺はお前に惚れそうなんだが」

「えへへ、別に惚れちゃってもいいけどねっ」

　調子に乗った感じでそう言いつつ、澪は「それじゃ」と気を改めるように息を吐いた。

「一緒にアヤ姉を攻略するとしますかっ！」

------------------------------

試し読みは以上です。

続きは2021年5月20日（木）発売

『初恋を応援してくれる幼なじみとのラブコメ』

でお楽しみください！

※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。

------------------------------