第2話 有余の選択を
「なんで、こう上手くいかないかな」
焦りは苛立ちに変わっていた。余命宣告を受けてから、私は明らかに焦っていたんだ。
だってそうでしょ?病院暮らしが長いし、私の持病は現代医学ではどうにもならない。
ただ、無慈悲に運命の刻が近づいてきただけなのだから。
でも、だからといって近所のコンビニに出かけるかのような気軽さで死ぬなんて、そこまで達観している訳でも勿論ない。
死ぬのは最悪だけれど、もう良い。諦めている。人間の致死率は、現科学段階においては100%なんだ。
私の場合、それが少し早いというだけの話。
大事なのは、有余の選択だ。
幸いな事に、私の人生の幕引きには、日程がある程度決められている。であれば、生者の最後っ屁みたいなもので、私も何かを成し遂げたい。
無論、それは世界的に認められるとか、大層な願いではない。
他人との接点が極端に希薄な人生だったから、今更誰かに認めて欲しいと願う気持ちも希薄だ。
私の願いはただ一つ、私自身を納得させて死にたい、それだけ。
それじゃあ私は何をすれば「私の生涯に一片の悔いなし」なんて典雅な気持ちで昇天出来るのだろうか。
入院中はそれこそ夢想したものだ。海外に出かけてまだ見ぬ世界を知りたい、学校に通ってみたい、彼氏が欲しい、等々。
でも、現実的に考えてどれも難しい。
私を束縛する病気の足枷は、そんな自由を死の間際だからと許してくれない。
あくまで、院内で可能な夢を追うしか選択肢は用意されていなかった。
じゃあ、私の夢はどこに設定しよう?
なんて悩んだ振りをしているが、実は考えている事がある。私の闘病生活を、陰ながら――というか、表立って支えてくれたのは、誰あろう音楽の力だ。
音楽は偉大だ。
いついかなる時代にも音楽はあり、人種も国籍も宗教も、ましてや生死の隔たりすらなく、音楽は私たち人類の歩みと共に、その人生に華やかさと彩りと、時には勇気を、時には愛情を、時には知識を与えてくれるのだから。
知識と聞くと、もしかしたら首を傾げる人もいるだろうね。
でも、私は歌と脳には密接な関係があると睨んでいる。勿論根拠はないよ。
あくまで、私個人の体験談というか、興味で得た情報の聞きかじりに、少しばかりの理があるように感じただけだからね。
でも、歌は思いを巡らせば巡らせる程に不思議な存在だ。
だって、何かの本の一説を暗誦しろと言われたって、軽々には出来ない。
でも何かの歌であれば、その韻律に乗せて諳(そら)んじる事は容易い。
幸か不幸か、受験戦争に関与しなかった私だけれど、もし勉強で暗記をするなら黙々とするよりも、何かリズムに乗せた方が絶対に覚えると思う。
少なくとも、私に無味乾燥とした暗記の復唱は無理だ。
長い入院生活、別段面白い事もないから本を読む機会も多かったけれど、死を受け入れているなんてカッコつけていても、年相応の感性からは逃れられず、神話や叙事詩なんかを読んだりしたんだ。
内容そのものの面白さというのも、勿論私を惹きつけたけれど、それ以上に興味が湧いたのは別のところ――例えば有名な吟遊詩人ホメロスの作品『イリアス』や『オデュッセイア』等は口承に始まり今日まで残っている。
無論、ホメロス自身の出自の不明瞭さや資料としての価値など、色々突っ込みたい人もいるかもしれないけれど、本題の肝はそこではないので容赦願いたい。
仮にホメロス自身が吟じ手の一部であったからといって、それが口承の事実を何ら捻じ曲げるものではない。
肝は口承により伝えられた、と言われている部分だ。
膨大な量にのぼるそれぞれの叙事詩を、口承で伝えるなんて可能なのだろうかと感嘆しつつ、歌の持つ魔性の智慧――記憶に利する天使の献身とも呼ぶべき力が、確かに備わっているように感じたんだ。
以上の事から、歌は現代科学では解明しきれていない未知の領域――ともすると、神の領分とも言うべき世界の存在なのではないかと、内心思っている。
前章で肉体と魂の二元論を見たように、そこに付随するようにして歌や音楽を内包する神的世界があるかもしれない。
うん、あった方が面白いよね!
だから、私は三言論の立場を今日からとろう。滑稽であっても、私が笑えるならそれでいい。
どうせ人間、最後の最後は神頼みするしかないのだから、斜に構えて神様の存在を否定するよりも、霊験あらたかのご利益に、少しでも預かる小人の心境で日頃信仰心を養った方が、あの世における神様の心象も良くなろうというものだ。だから、私は神様も信じよう!
……って、何の話だっけ?そうそう、歌ね。ほら、私は明らかに会話経験が乏しいから、よく脱線しちゃうのよね、愛嬌と思って我慢してね。
という訳で私は神の内なる声、自身の心奥底に響く幻聴のようなものにしっかり耳を傾けて、その韻律を曲にのせて歌にしよう。
そう誓ってはやくも一週間が経過。芳しくない、とだけ言っておこう。
閃いた時には、それこそ神の啓示が降ったが如くインスピレーションに満ち満ちていたのだが、実際にパソコンに向かい曲を打ち込んでいこうとすると、さぁこれが大変。実に難しい。
私はロックが好きだから、ギターのカッコいい感じを出したくて作曲したんだよね。
でも、出来上がった曲はロックとは程遠い……というか、もはやスーパーの生鮮コーナーで流れている曲調みたいになってしまった。
「……おかしいな。どこで間違ったかな」
おそらく全て間違ったのだろう。あぁ、嫌だ嫌だ。どうしてこう、人のやる気を削ぐような真似をするかなぁ。
新卒で入ったばかりの新入社員に、出会いがしらのカウンターパンチで嫌味を宣う職場の先輩ってのも、今の私にケチつけるこの状況と酷似しているのかなぁ(たぶん違う)。
なんだよ、これ。
ギターのカッコよさが限界突破して、もう三味線みたいになっているけれど、大丈夫か?
うん、全然大丈夫じゃないんだけれど、自問自答もしたくなる。
イメージと現実のギャップが凄すぎて、神頼み虚しくただただ茫然とする無力な観客、それが私。
一周まわって、これは和のテイストを取り入れた新進気鋭の意欲作、という方向で誤魔化せないだろうか、無理か(即答)。
なんだかなー、やる気も失せちゃったなぁ。生きるのも死ぬのも面倒になってきたなぁ。
まさか、生涯最後の意欲を燃やした結果が自暴自棄の不完全燃焼に終わるなんて、誰が予想出来たであろう。
それこそ、内なる声の神様には解っていたのかなぁ。
だとすると、神様性悪過ぎないか?あぁ、やめやめ。ご都合主義の信仰心なんて、神も私も迷惑だろうよ。
結局、神様は私の不始末に対して責任なんか取らないんだから、変に依存して期待を裏切られ落胆するよりも、はなから期待せずに自分の実力に依拠した方が良かろう。
なんだか、神様も会社の上司も似たようなものな気がしてきたぞ。私、社会人経験ないから憶測だけれども。
目下の三味線曲、どうしようかな。
神様の奇蹟に期待出来ない以上、私の自助努力に頼るしか術がないのは再三に渡って語っているところだが、それにしても途方ない始末である。
と、あれこれ悩んだ挙句、ギターをわざと歪ませるテクニックで何とか窮地を脱したように思う。
うん、私の辞書に後退の文字はない。
果たしてこの仕上がりで、私は自身に納得いく作曲を完成し、人生のピリオドを綺麗に打つという目的を達成出来るのかという問いには甚だ疑問だが、まぁ良い。
先ずは曲を作成したという結果が重要である。私は何も間違っていない。
仮に、この処女作『人形少女』の再生数が壊滅的に伸びなかったとしても、それは私の責任ではない。
私は最大限の努力をした。
聞いている奴らの感性が古すぎて、私のレベルにまで到達していない方に対して責を求めるべきであろう。
よって、私は何も間違っていないし、何ら責任を負う必要もない!
……これを世では自己暗示と言う。反省。
案の定というべきか、再生数は伸びなかった。
くそう、何が悪かったのかな。
サイトの閲覧方法か?それは間違いなく悪いな。
投稿してもすぐに埋もれていく。なにこれ、底なし沼か何かなの?
ここは作曲のゴミ捨て場じゃねーんだよ。
私は処女作を不法投棄しに、この電子の砂漠に旅してきた訳じゃねーのよ。
リアル処女が作った処女作が、華聯な純潔を散らした瞬間にゴミ箱行きってか?はは、オモロ(棒読み)。
しかし我ながら、今の言い回しは面白い。処女が作った処女作、このキャッチコピーは強くないか?
そうでもない?
錯乱している?
そうですか。はいはい、良いですよ、錯乱していますよ。
処女の淫乱売女が格安バーゲンセールで作曲の無双乱舞したろうかね。うん、売り文句って大事だからね。
確かに、そこら辺は抜かったかもしれない。
宣伝が弱かったのかな?この反省は次回に活かさなければならない。
私は、死ぬその間際まで成長する女だから!
他日。私が一曲入魂の熱意でもって作曲した渾身の作品は、映像担当との熾烈な攻防戦の果てに敗れ、終には非公開となりお蔵入りとなった。
もはやキャッチコピーがどうとかの問題ではなかった。
私より先に作品が死ぬという貴重な瞬間を目撃したのは、まるで私の今後を占う暗示ともとれる不吉さを醸していた。
くわばらくわばら。
私の辞書に後退はないと前述したばかりだが、今回の非公開騒動は、いうなれば転進である。逃げではない!
……私はいったい、誰に対して言い訳をしているのだろうか。
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