第2話 死刑囚の街
看守棟前の草むらで、看守長と副看守長は獣欲を露わにしていた。
「天国の旦那が見ているぜえ! 未亡人ちゃんよぉ!」
「高校生女優の初めての瞬間です! キミたち、ちゃんと撮影しておきなさい!」
看守長の体の下には祈里の豊麗な女体が、副看守長の下には姫麟の若い肢体が組み敷かれている。
他にも完全武装した看守たちが彼女たちの体を欲望のままにまさぐり、またはスマホのカメラで撮影していた。
「見ないで! 義月くん! 玄太!」
「兄さん、助けて! 兄さん!」
義月と玄太も武装看守たちに関節を極められて動きを封じられた上に、顎に銃を突きつけられている。
回天座一行に反撃の術はない。
だが、義月の目には映っていた。
黒き獄炎の如く髪を靡かせ、怒り滾らせて近づいてくるその男が。
「記念すべき瞬間ですよ! お前たち、撮影よろしく!」
副看守長がついに、姫麟の純潔を奪おうとたその時だった。
ヘルメットが飛んだ。
その中身ごと副看守長の胴から離れる。
跳ね飛ばされた頭は宙を数メートル飛び、看守長の頭に当った。
「がっ!? 邪魔すんな! そんなんだからお前は出世できねえんだ!」
看守長が𠮟りつけつつ自分の足元に見たのは、部下の生首。
「どうしたんだお前? 大丈夫か!?」
白目を剥き、傷口から血を滴らせる元部下に話しかけている。
気が動転している様子の看守長の前に、彼は現れた。
「てめぇら、俺が嫌いなものを知っているよな?」
憤怒に満ちた声で尋ねる――。この男――。
「荒丸龍登――!」
看守長の声は恐怖に震えている。
龍登と呼ばれた男は、看守長の後ろ首を片手で鷲掴むと、畑からニンジンでも引っこ抜くかのように軽々と持ち上げた。
この屈強な腕が、副看守長の頭部を一撃で吹き飛ばした瞬間を義月は見ている。
鍛え上げられた拳はまさに肉と骨で為した砲弾であった。
「放せ! 放してくれ!」
看守長が力士並みの巨体をじたばたさせても、龍登は片掌で掴んで持ち上げたままこゆるぎもしない。
横幅なら看守長だが、龍登は身長でそれを上回っている。何よりも体幹の仕上がりが、頑強さが違うのだ。
「お前たち撃て! ワシに当らないようにこいつを撃ち殺すんだ!」
看守長は部下に銃撃を命じた。龍登に委縮していた看守たちは怯えつつも、サブマシンガンの安全装置を外している。
その隙に龍登は、看守長をひょいと肩に担ぎ上げた。
肥満体の背中を右肩の上に乗せ、右掌で喉元を、左脇で相手の右腕をクラッチする。
形はプロレスで言うカナディアン・バックブリーカー、怪力で背骨を逸して苦痛を与える技に近い。
「ぎえぇぇ!」
看守長は苦痛の叫びをあげながら、その体はタスキのように龍登の肩から胴に渡ってかけられていた。
「どうした、撃ってみろよ! 命令なんだろ?」
この状態で銃を放てば、囚人よりも上司が先にハチの巣となる。それが明白だから、看守たちは戸惑うばかりだった。
「撃つなあ! 撃たないでくれえ!」
たまらないのは防具にされた看守長だ。涙を流し、命乞いをしている。
部下たちは後ずさり、どうしていいのか分からない様子で右往左往した。
龍登は両腕にさらに力が籠めながら、信念に満ちた顔で宣言した。
「人殺しはオレの趣味だ! 強盗も強奪も許そう!」
その顔は冗談を言っていなかった。
「だが、弱いものイジメだけは許せねえ!」
クラッチが強まり、看守長の背骨が、分厚い脂肪ごしにメキメキと音を響かせ始める。
「許してくれぇぇぇぇ!!」
「許さねえ……絶対にな!」
龍登が憤怒した次の瞬間、生命が折れる音がした。
腱が断たれ、背骨の砕かれる音。
看守長の断末魔は、それとともに永遠に止まる。
玄太が呆然と呟く。
「まさか、死んだのか……?」
数秒を過ぎても看守長は目、鼻、口からそれぞれ血を流したまま返事をしない。
銃を構えた看守たちに小気味よさげな笑みを向けた。
「どうした? お前らのボスは死んだぜ? 撃っても構わねえよ。こいつはもう何したって死なねえからな」
看守長の死体をこれ見よがしに見せつける。
人数においても、武装においても圧倒している看守たちだが、龍登に威圧されて引き金を引けない様子だった。
義月が項羽の気迫を放ったときと同じ現象。
だが、龍登の気迫は正真正銘、実力より生ずるものだ。
「上司の死体が邪魔か? ならこうしてやるよ」
龍登は、盾にしていた看守長の死体を雑に投げ捨てた。
続いてマントも脱ぎ、生身の肉体を空気に晒す。
屈強さの極限にまで鍛え上げた肉体は、刀傷や銃創に満ちていた。
「どうした鉛玉ぶちこんでみろ! 死ぬ前にてめえらの五人や六人道連れにしてやらぁ!」
古傷だらけの肉体を晒しつつ、銃を構えた看守たちに歩み寄ってゆく龍登。
「何だ? あいつ頭がおかしいのか!?」
玄太はパニックになっているが、義月はあるものを見ていた。
「あれは……刺青か?」
筋肉に満ちた龍登の体、その右上腕部に何かが描かれている。
黒い動物の顔を意匠しているようにも見えた。
看守たちは龍登の暴挙が理解できず当惑していたが、やがて一人が肝を据えたかのように銃を構えなおした。
「調子に乗るな……よ!?」
その指がトリガーを引こうとする刹那、龍登の右足が飛んだ。
熊の力強さと、ヤマネコのしなやかさを兼ね備えた三日月蹴りが、サブマシンガンを看守の手から跳ね飛ばし、地面に叩き落とした。
「遅い……!」
右脚を高くあげたまま、愚弄の笑みを浮かべる龍登。
だが、そこに隙が生じた。
「みんな、息を止めろ!」
別の看守が金属の筒を、龍登の足元に投げ落とす。
「お、何だ?」
龍登の全身が煙に包み込まれた。
発煙筒! 視界を奪った上で狙い撃ちにしようというのだ。
「今なら!」
発煙筒を投げた男がホルダーから拳銃を抜く。
だが、時すでに手首はより強大な掌に捕まれ、捻り上げられていた。
「見えてんだよ! 見えなくてもな!」
手は拳銃を握ったまま、人体としてありえぬ方向へと曲がった。間髪置かずにもう片方の手が看守の首を掴む。
「やめ……」
「やめねえ!」
看守が発せたのは命乞いの声ではなく、致命の音色。
龍登が首の骨をへし折ったのだ、片手の握力だけで……。
他の看守たちも反撃を試みようとしたが、龍登はすべて先回りをし、攻撃の出鼻を潰してしまう。
さながら複数いる敵の意志を読んでいるかのようだった。
攻め手を失いおたおたする看守たちに向け、龍登は右上腕に描かれたそれを見せつけた。
「どんどん来いよ! てめえらのチンケな殺気でも、この狼にとっちゃあ大好物だからな!」
黒い狼の横顔を思わせる紋様。
だが、ただの刺青ではない。人の手で描いたのとは明らかに異なる雰囲気。ある種の病に現れる斑点にも似た、不気味で毒々しいものを義月は感じていた。
その紋様に脅えたかのように、看守の一人が声を震わせた。
「ギルティタトゥー……」
看守棟前に、硬質な女性の声が響く。
「双方とも静まれ」
常闇色のロングドレスを纏う女刑務所長。
彼女が現れたとたん、これまで看守たちを睥睨していた龍登の顔が一変した。
「ヨミか」
龍登の顔に、さながら対等の敵を前にしたかのような鋭い眼光が生じていた。
「所長殿! 看守長殿と副看守長殿が……!」
看守の一人が泡を食った様子でヨミに報告をした。
ヨミは彼らの死体をすでに目に映している。
看守たちは、すがるようにヨミの足元へ跪いて嘆願をした。
「今こそあの無法者に! 荒丸龍登に国家処刑命令を!」
「もう我らの仲間が三十人以上も殺されているんです! カタキのために発令を!」
ヨミは看守たちのあげる激情に、情の入らない返事をくだした。
「この島の掟は知っておろう、荒丸龍登はそれを手伝ったに過ぎない。国家処刑命令を出す理由はない」
「し、しかし! これは我々が忠誠の気持ちから……」
「看守長と副看守長の行為は強姦罪だ。看守特権を得た模範囚であろうと罪を為せば相応の罰が下る。お前たちもそれをほう助した。自室で謹慎し、処罰を待て」
看守たちは空気の抜けたビニール人形のように肩をしぼませた。
「そんな……おれたちが処罰……」
「命令に従っただけなのに……」
表情の絶望感から察するに軽い罰ではないのだろう。
彼らが看守棟に戻ってゆくのを確認すると、ヨミは連れてきていた側近らしき女性看守に合図をする。
「あれを」
女性看守たちはこんな説明とともに、回天座の四人へ何かを手渡してきた。
「ここでの生活に必要と判断したものを返却する。他のものは返却申請書類を提出の上で可否を判断を待て。ただし通信機器の返却は原則として認めん、代わりに囚人用のスマートフォンを貸与しておく」
義月が渡された袋の中身を確かめる。
自分たちの持ち込んだ財布、衣服、小物、見覚えのないスマートフォンが入っていた。
「刑務所長さん、私たちはここで暮らすつもりはありません」
祈里はまっすぐな目でヨミに向かい合い、自らの潔白を訴え続けた。
「取り調べをやりなおしてください、あれは弟の作った芝居用の小道具、本物の銃ではないのです」
姫麟も目を潤ませて懇願した。
「死刑だなんて! 何で間違った裁判をするんですか! お母さんにも、私たちにも!」
ヨミは慈悲のない顔で返答をする。
「再審の必要を認めない」
「おれちゃ何も悪いことしてねえっての! 家に帰してくれよぉ!」
玄太が泣きわめくと、ヨミは怜悧な瞳で返事をした。
「釈放を求めるのか?」
「そうだよ!」
「ならば、三度の善行を為せ」
「善行って何だよ?」
「先ほど、あの男がしたようなことだ」
ヨミの視線を向けると、龍登はそれを強い目力で受け止めた。
「まさか……善行とは?」
義月は釈放の条件を理解した。だが、脳は理解を拒んでいる。
受け入れてしまえば、自分たちが育んできた倫理観が崩れる――!
「伏見谷姫麟」
突如ヨミに名を呼ばれ、姫麟は震える声で返事をする。
「な、何ですか?」
「罪なきものは、この島では長く生きられぬ。生きたければお前は犯すしかない、その胸に望んでいる罪を」
刑務所長は宵闇色のロングドレスをひるがえした。看守棟に向かって歩き出す。
「どういう意味ですか? 罪を犯せって!?」
ヨミの背中にすがりつこうとする姫麟に、女性看守たちは銃を向けた。
「お前たちは死刑囚だ、立場をわきまえろ」
闇の女王が看守棟の中へ消えてゆく。その様子を回天座の面々は黙って見ているしかなかった。
「何なんだよ、どうしろってんだよ!?」
玄太は何度目かの無意味な問いかけを、看守棟の壁にぶつけている。
その声を耳にしつつ義月の中でも、大小様々な疑問がぐるぐると回っていた。
相対して感じた冷静さと知性から見て、ヨミが芝居用の銃を実銃と誤認したとは考えにくい。おそらくは意図的に自分たちを銃火器密輸犯に仕立てあげ、投獄したのだ。
たかが地方の小劇団員を捕える、その真意を知りたかった。
だが、それに優先して知る必要があるのは、自分たちを包む環境についてだ。
「この街は何なのかしら?」
祈里が辺りを見回している。
刑務所のはずだが看守棟以外、それを連想させる建物は見当たらない。
見えるのはビルや商店。交差点を行き交う自動車と市民たち。
二十一世紀社会における、日常の光景だ。
「罪紋島市、死刑囚の街だ」
野太い声とともに、屈強な囚人が歩み寄ってきた。
「あなたは一体?」
「荒丸龍登、この街の住人さ」
龍登の自己紹介は簡潔を極めた。
「危ないところを助けていただき、ありがとうございます。私は劇団回天座の……」
お礼に続き、祈里が自己紹介を返そうとする。
「本城祈里だろ? 名前は知っているさ。さっきは良い芝居見せてもらったぜ」
“虞美人草”の終幕時にした挨拶を龍登は覚えているようだ。そちら側の自己紹介は不要だと軽いジェスチャーで示してくる。
外見も振る舞いも野蛮だが、言葉の通じない相手ではない。義月はそう判断し、一つの問いかけをしてみた。
「ここは刑務所ではないのか?」
「刑務所さ、罪紋島刑務所」
義月の中にあった刑務所のイメージとはかけ離れている。あまりに開放的で日常的過ぎた。
「人権党のスローガンは自由と秩序だからな。囚人にもそれを与えてくれるって、はからいらしい」
言われてみれば、党の思想とは合致するように義月には思えた。しかし、それでもなおこの刑務所について、疑問が残る。
「しかし、刑務所には反省を促す目的もあったはず。あんたのように振舞うものがいて、役割を果たしていると言えるのか?」
「別に問題はないだろ、囚人が脱走して本土に帰る心配はねえ。唯一の連絡口である地下港はがっちりガードされている。海を泳いで渡るって手もあるが、オレでも無理だった」
「試したのか?」
「ま、若気の至りでな」
百八十センチの義月が見上げなければ会話できない高みに龍登の頭はある。稀に見る長身かつ屈強な肉体だが、よく見ると意外に人のよさそうな目をしていた。
「最初はオレも面食らったが、掟さえ頭に入れときゃあ悪くはねえ、住めば都だ」
龍登は、街を満足げに見渡す。
「住むところ、働くところ、買い物をするところ、学ぶところ、遊ぶところ、この街には何でもある……ないのは」
龍頭は一瞬、息を止めてから、その言葉を吐きだした。
「生きる権利だけだ」
義月の推測は確信に変わりつつあった。この街からの恐るべき釈放条件が――。
回天座の四人が押し黙る中、間抜けな音が響いた。
「おっと、一暴れしたら腹が減っちまった」
龍登が腹を撫で、愛嬌のある笑みを浮かべている。彼の空腹を示す音だったようだ。
「せっかくだ、みんなでメシ食いに行こうぜ!」
龍登が誘いをかけてきた。
「遠慮すんな、いい芝居見せてくれたお礼だ。何が食いたい? お前らで話し合って決めてくれ」
回天座一行も、食事に誘ってもらうことはよくあった。片田舎の小劇団ではあるが、熱心なファンも付いている。
他人と食事をすること自体に抵抗はない。だが、今回はそういう問題ではない。
「兄さん……あの人怖い」
小声で囁く姫麟。妹の肩を抱いて義月は囁く。
「おそらくこの街ではあれが普通なんだ」
龍登はご機嫌な顔でこちらを見ている。何を食べたいかを相談していると思っているらしい。
「大抵の店はあるぜ! 焼肉か? ステーキか? しゃぶしゃぶか? いや、バーベキューもいいな!」
「肉料理ばっかじゃねえか? 人を殺しておいて、よく食べる気になるな」
玄太は本人に聞こえないように毒づいている。
「でも、どうして……? ありえません、人殺しをしても捕まらないなんて」
姫麟は現状を受け入れきれないらしい。
殺人を犯した龍登を、ヨミは逮捕する気配さえ見せなかった。
その理由に対し義月は一つの推論を立てている。
女性に暴行を働こうとした看守たちを罰するとヨミは宣告した。すべての罪が許される街ではない。許されているものはおそらく――。
「俺は奴について行く」
「マジかよ!?」
義月の決断に玄太が目を点にする。
「じっくり話をしたい、俺の考えが事実か確認するためにも……」
「考えって何だよ?」
躊躇なく人を殺める人間との食事。それが危険だとは分かっている。だがこのまま放置されていては埒が明かない。この島から脱出する糸口――自分の推察が正しいのかを確かめねばと、義月は考えていた。
「そうね、ご馳走になりましょう」
「姉貴!?」
祈里は昔からおおらかだが、ここでそれが発揮されるとは弟も予想していなかったようだ。
「龍登さんは私たちを助けてくれた恩人だもの、お断りしたら失礼よ」
玄太は茶髪を掻きむしった。
「クソ、おれも行くよ! けど、どうなっても知らねえぞ!」
やけくそながら姉を守ろうとする気概はあるようだ。
姫麟は義月の手を掴んできた。小さな白い手は儚げに震えている。
「兄さん、私たちどうなっちゃうんですか?」
妹にかける言葉は見つけられない。この先、どうなるかなど分かるはずもない。
義月は姫麟に手を握らせたまま、龍登に向かって頷いた。
「待たせたな、行こう」
「おう、決まったのか? 何が食いたい?」
「何でもいい」
義月の答えに龍登は豪快な笑いを返した。
「何でもいいが一番困るんだよなあ、それじゃあファミレスにすっか?」
笑いながらスタスタ歩いてゆく。
「普通に気のいいお兄さんに見えるわね」
「殺人鬼だぞ!?」
気を許したような笑顔を浮かべる祈里に、玄太がツッコんだ。
皆で龍登に付いて街を歩きだす。
歩道は整備されゴミ一つ落ちていない。回天座の劇場のある稲盛市より、余程清潔だった。
「この街の人、全員が死刑囚だなんて」
姫麟は人を見るたびに義月の体に身を隠している。
車道添いの歩道ですれ違ったのは主婦、サラリーマン、老人……外の世界にいる市民と同じにしか見えない。
囚人服を着ているものはおらず、凶悪な人相も少ない。
「こういうものなのかしら? 確かに実際のニュースだと凶悪事件を起こした人って、見た感じ普通の人と変わりがないわよね」
「インタビューとかでも、あの人がまさか……的なことを言われるよな」
本城姉弟の会話を耳にしつつ歩いていくと、やがて龍登が一件の店の前に立ち止まった。
「この店でどうだ?」
「グランラークだわ、この島にもあるのね」
全国展開しているチェーン店のファミリーレストランである。『罪紋島一号店』と名付けられたこの店も外装、内装ともに全国どこにでもあるグランラークと変わりがなかった。
一行は店員に案内され、ボックス席に座る。
現在の時間は午後五時すぎ。入口から店を見回すと仕事帰りらしきOLや、学生、カップルらしき風体の人々がぼちぼちと席を埋め始めていた。
人権党は刑法から年齢的な不公平を廃している。どんな年齢層の囚人がいてもおかしくはない。
玄太は、ヨミから手提げ袋からスマホを取り出していた。私物ではなく、看守棟から囚人たちに割り当てられたスマホだ。
「全然通じねえ? 不良品か?」
エスエヌエスやメール、電話など様々な方法で外部と連絡を取ろうとしているようだが要領を得ない。祈里も同じ試みをしているが、結果は同じようだった。
「家に繋がらないわ、画面上ではアンテナが立っているのに」
龍登が助け舟を出してきた。
「そのスマホは島内限定で通話ができるよう設定される。ネットも島内限定だから外の世界のサイトには繋がらないぞ」
教えられて義月も試してみたが、メジャーなポータルサイトや、動画サイトにすら繋がらない。代わりに島内独自のサイトが設けられていた。
「完全に外部と連絡を絶たれたわけか」
「まいったわね、パパに連絡して弁護士さんと相談しようと思ったのに」
祈里と玄太には同じ劇団に所属する両親がおり、地元の名士たちと親交が深い。義月と姫麟にも祖父がいるが、いずれにせよ現状を伝えることさえできない。
家族はいずれ、子供たちが死刑判決を受けたという結果だけを国から告げられ、大きな衝撃を受けることだろう。
「せめておじいちゃんに、事情を説明できれば……」
嘆息する姫麟に龍登が尋ねてきた。
「お前さんたち、メシはどうする? もう注文していいか?」
「私は……遠慮します」
姫麟がうつむき加減に応える。龍登と目を合わせて会話するのは怖いらしい。
「おれも、こう胃の辺りがドーンと……」
玄太も腹を抑えている。
「食べたほうがいい」
義月はメニュー表を手に取った。内容を見ると外の世界のグランラークと変わらない料理の写真が並んでいる。
「そうね、何が起こるか分からないから栄養を付けないと……何か喉を通りそうなものは……」
祈里もメニュー表をめくり始める。身に次々と降り注いだ災いにショックは受けているようだが、年上としての責任感は健在のようだ。
四人の様子を前に龍登が、こんな提案をしてきた。
「ならオレが適当に料理をたくさん注文するから、それぞれ欲しいものを取り皿に取り分けて食うってのはどうだ? 他人が食ってりゃ、食欲も湧くだろう」
皆が顔をあげる。粗野な殺人鬼から出てくる気遣いとは思えなかった。
「たくさんと言っても、私たちはそんなに食べられませんよ」
祈里の牽制に、龍登は無邪気に微笑んだ。
「なあに、その気になればオレが一人で食ってやるから安心しろ、残したりしねえよ」
龍登は店員を呼び、本当に一人で食べきれるのかという品数をオーダーしている。
「ハンバーグステーキと、コンボステーキと、ジャンボハンバーグステーキ、キッズハンバーグステーキだ。 あ、キッズハンバーグステーキに旗は立てなくていいぞ」
注文を終えた龍登に祈里がクスクスと笑う。
「ハンバーグ大好きなんですね」
子どものような振る舞いに小さな癒しを感じているようだ。
だが、義月は癒される気分にはなれなかった。早急に確認すべきことがあるのだ。
罪紋島における恐るべきルールを。
「この島では人を殺してもいいのか?」
義月がストレートに尋ねると、龍登はキョトンとした顔をする、
「面白いことを聞く兄ちゃんだな」
答えを口にしかけた龍登の顔が、ふいに横を向いた。
「すまねえ、ちょっと待ってくれ」
見れば家族連れの客が彼に話しかけてきている。
「団長、お久しぶりでございます!」
真っ先に挨拶をしたのは糊のきいた背広姿の男、体育会系のサラリーマンに見える。
「田中か! 久しぶりだな!」
「こんにちは、だんちょーさん!」
田中と呼ばれた男の足元で、男の子が礼儀正しく挨拶をした。
「タカシも元気そうで何よりだ! どうした家族でメシか?」
龍登が、大きな掌で男の子の頭を撫でつつ尋ねた。
「今日はタカシの誕生日なのでお祝いに」
スレンダー体形の女性が穏やかな笑顔で答える。おそらくこの三人は家族だろう。
「誕生日か! タカシ、プリン好きだったよな? おじちゃんがごちそうしてやろう!」
龍登としばし賑々しく歓談をしてから、田中一家ははす向かいのテーブルに座った。
「子ども、お好きなんですか?」
祈里の顔に、親しみに満ちた笑みが浮かんでいる。
外見年齢二十代半ばの龍登が、一人称を“おじちゃん”に変えたのは、子どもの目線に立ってものを見ている証拠だろう。
祈里も、小さなの子どもの前では一人称を“おばちゃん”に変えるのだ。
「好きだぜ、子ども! 作るのはもっと好きだがな!」
自分のギャグに一人で笑いだす龍登。
「オヤジかよ」
玄太が小声でツッコんだが、笑い声が大きくてかき消されてしまった。
やがて料理が運ばれてきた。
ハンバーグやステーキなどの肉料理を中心に、おおよそ十人前がテーブルの上で湯気を立てている。
「よーし! 食うか!」
龍登はマントを脱いでタンクトップ姿になった。その姿に義月は小さな引っかかりを覚える。
「刺青はどうした?」
さきほど脱いだときは印象的だった二の腕の紋様が見当たらない。看守たちがギルティタトゥーと呼んでいたそれが消えてしまっている。
「あんた、よく食うなあ」
玄太が感心する通り、一週間ぶりに獲物を獲った野獣のようにガツガツと貪り食っている。
「お! 美味いぞこれ! メニュー表で一推ししていただけある! お前らも食ってみろ!」
「刺青は?」
「うめぇ! コショウが効いているぜ!」
義月の問いかけなど耳に入っていない様子だった。
しばらくは会話ができそうにないので、回天座のメンバーも食事を始める。
祈里はレタスサラダをよく噛んで一生懸命に飲み込んだ。
姫麟と玄太はジュースやスープを遠慮がちに口を付けている。
肉料理やライスに手をだしたのは義月だけだった。
「お前、あんなの見た後でよく食えるな、本当にアンドロイドみたいだぜ」
生の殺人シーンを見た後で、肉を食べる気になれないのは義月も同じだった。
だがあえて心を殺し、体だけで物を食べている。未知の環境から仲間を守るためのエネルギーを補給するという使命感に没入したのだ。
はす向かいの席で、騒ぎが起きたのはそんな折だった。
「この髪の毛は、あんたのだろう!?」
田中一家の父親が、コック帽を被った男を呼びつけクレームを付けている。
「せっかく団長に御馳走してもらったプリンなのに、しっかりしてくれよ」
コックは軽薄そうな若い男。サファイア色にメッシュを入れた自分の前髪を指でいじりながら、にやにやと笑みを浮かべている。
「え~? それおれの髪っすかね~?」
「こんな髪の色、この店にお兄さん以外いないだろ?」
「まあ気を付けときます~っ! と、忙しいんでこれでいいっすか~?」
謝罪はむしろ怒りを煽るものだった。
どこにでもありそうなトラブル。だが、その先が外の世界とは違っていた。
コックが立ち去ろうとしたとき、田中母が声をあげたのだ。
「あなた、そいつを抑えて!」
田中父は妻に相槌を打つ。
「ああ、こいつならいいな」
彼はコックに背中から飛びつき羽交い絞めにした。
「え、何するんすか!?」
コックはじたばたともがいている。
その間に田中母はテーブルに置いてあった食事用のフォークを手で握った。穏やかだった主婦の目が今は、凶悪な色を帯びて血走っている。
「やめろ、放せって!」
二十数年生きたであろうコックの最期の言葉は、そんなつまらないものだった。
「誠意がないでしょ!」
一喝する田中母。
声と同時に喉仏を刺した銀色のフォークは、三又の櫛を紅に染め、血を滴らせながらズブズブと深く埋め込まれてゆく。
コックは声も出せないまま白目を剥いた。
田中母は喉に突き刺したフォークをグリグリと捻る。
「タカシちゃん! ごめんなさいって言えない子はこうなるのよ! 分かったわね?」
教育を施すとタカシは明るく素直に頷いた。
「うん! 悪いときは、ごめんなさい!」
田中母は抉り出し、フォークの先に刺さったそれを目で確認すると、大仕事をやり遂げたような晴れやかな声で店内に叫んだ。
「善行積みましたー!」
掲げたフォークの先に突き刺さっているのは、おそらくコックの喉仏だろう。
それに気づいた他の客たちは食事をしていた手を止め、一斉に立ち上がった。
紛うことなき殺人事件――パニックが起きるかと義月は身構える。
だが、起きたのは拍手だった。
「善行おめでとう!」
「執行ご苦労様!」
喝采が鳴りやまない拍手とともに店中に響く。
客の顔はどれも朗らかで、純粋な賞賛に満ちていた。
「善行おめでとう! 善行おめでとう!」
誕生日の客に対してこのような演出をする店はあるが、祝福する理由がまるで違う。
龍登も拍手をしながら、笑顔を浮かべている。
「何だ、何なんだよ……」
玄太はおろおろしながら辺りを見回していた。
「……これがこの島の掟」
義月が確認をとるように呟く
「殺人は合法。許されるどころか、善行として賛美される」
龍登は拍手の手を止めぬまま義月に頷いた。
「そう、島民全員が死刑執行を待つ囚人であると同時に処刑人。この島ではいつ誰が誰を殺してもいいんだ」
「三度の善行を為せって、まさか!?」
青ざめる姫麟に龍登は、回天座が今後すべきことを明文化して突きつけた。
「この島から出たいのなら三人殺せ、そうすりゃ釈放されるぜ」
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