第17話 泥が止まらない
リザたちが連れてこられたのは、大きな城塞だった。
ユアンとは引き離され、リザとゲオルクはそこにある窓のない一室に連れて行かれてしまう。
「ゲオルクさん!」
拘束が解かれたリザは真っ先に床に寝かせられたゲオルクに駆け寄る。
「ゲオルクさん、しっかりして下さい! ゲオルクさん!」
「……んっ」
必死に呼びかけると、ゲオルクが小さく呻いて目を開けた。
「ゲオルクさん……」
ほっと安堵の表情を浮かべるリザだが、立ち去ろうとするログウェルに気づいて振り向く。
「待って下さい! ユアン君はどこですか? あの子に何をするつもりなんです!?」
「それは話す必要がないことだ。君たちの処遇についてはまた明日連絡をするので、今夜はここで大人しくしてもらう」
「待てよ」
部屋から出ようとするログウェルを引き止めたのは、苦しげに起き上がるゲオルクだった。
「リザさんが言うには、ユアンは劣悪な環境に置かれていたそうじゃないか。それを見て彼女がどうにかしたいと思うのは、人として間違っているか?」
「……ほう?」
「しかも、お前たちはユアンを始末するなんて物騒な話もしていたんだろう? そんな話を聞いてしまったリザがユアンを連れ出そうとするのは罪か? 子どもを助けただけで罪人のように追いかけ回されるのは、どう考えてもおかしくないか? 俺だってそんな人たちがいれば、手を貸すのは人として間違っていないだろう? それなのに、こんなにボコボコにされた」
「何が言いたいんだ?」
「俺たちは納得したいんだよ。あの子や自分たちがどうしてこんな目に遭っているのか。それぐらいの説明はあっていいだろう」
「そうです。教えて下さい。どうしてユアン君を苦しめるようなことをするんですか?」
ゲオルクが立ち上がろうとしたので、リザはそれを支え、同じようにログウェルに問い詰める。
ログウェルはリザに視線を向けた。
「君は、エギヒデム教団の一員ではないのか?」
「……なんの話ですか?」
ログウェルの口から出た単語は、リザには全く心当たりのないものだ。
そんな彼女の反応を見て、ログウェルも自分たちの勘違いに気づく。
少し考えてから、彼は言った。
「言いだろう。まず、事の始まりは、我々がエギヒデム教団の掃討任務を遂行した時ことだ」
エギヒデム教団とは、以前から人身売買や非人道的な行為をしているのではないかと調査されていた団体らしい。
ある時、彼らはエギヒデム復活を目的に、様々な危険な実験を行い、多くの人間を死なせていることが発覚したらしく、騎士団はエギヒデム教団に乗り込んだそうなのだ。
教団の信者の大半は騎士たちに抵抗、あるいは逃亡をしようとして殺され、一部のメンバーを拘束し、無事収束することができた。
そして、そこで発見されたのがユアンである。
泥を吐くという異常性を持つ彼にはなんらかの儀式が行われた痕跡もあり、なんらかの危険性を有している可能性も考えて、隔離されることになったらしい。
「そうしてあの少年を隔離していた場所こそあの小屋であり、君はそんな彼を連れ去ったんだ」
「そんな……あの子がどれだけ苦しんだと思って……」
初めて会った時のユアンの様子を思い出し、リザは憤りを覚える。
けれども、それにログウェルは動揺を見せず冷静に言葉を返した。
「それに関しては私も失敗だったと思っている。彼の正体を知っていたら、もっと慎重に扱うべきだった」
「……どういうことですか?」
ログウェルの言い方では、ユアンはまるで人間ではないとみたいではないか。
「生き残ったエギヒデム教団の幹部から、彼の情報を吐かせた。あの子どもは、もう普通の人間ではない……あの子は『エギヒデムの門』だ」
「エギヒデムの、門……?」
「ああ。エギヒデム教団がエギヒデムをこの世界に降臨させる為に作り出した媒体、それが彼なんだ」
「……っ!」
ログウェルの言葉に、リザは言葉を失いゲオルクは目を見開く。
「あの子の吐き出す泥はエギヒデムの住む泥の海に通じていて、やがてそこからエギヒデムがやってくると教団幹部は話している」
「でも……それはただの妄想でしょう? ユアン君はただの被害者です」
「残念ながらそれは違う。調べたところ、あの子の吐き出した泥は強い神性を帯びていた。あの泥を媒介にエギヒデムが降臨する可能性は十分にある」
「おい待てよ。それじゃあお前たちは、ユアンをどうするつもりなんだ?」
エギヒデムといえば、世界を滅ぼした後に新しい世界を築くと言われている神だ。
その神を降臨させてしまうかもしれないユアンを彼らはどうするつもりなのか。
リザもゲオルクも、聞きたくなかった。けれど、聞かずにはいられなかった。
「……エギヒデムが降臨する危険性は、あの子が生きている限りなくならない。故に始末する」
「待ってください! ユアン君は何も悪くない。何の罪のない子どもを殺すの?」
「これは我々だけの問題ではない。世界存亡の危険が孕んでいることを考えれば、それが最善の手だ」
「ふざけるなよ、何が最善だ。それが騎士のすることかっ!」
冷徹に言い切るログウェルにゲオルクが噛み付く。リザもそれに続いた。
「ユアン君が泥を吐かなくなればそれで十分でしょう。殺すことはないじゃないですか」
「連中は『エギヒデムの門』を作り出す方法は知っていたが、それの解消方法は知らない。そもそも、そんな方法があるのかもわからないのだ。時間がかかればそれだけエギヒデムが降臨する可能性が高くなってしまう」
「だからユアンには死んでもらうって? なあ、ログウェル。昔、話してたよな? この国や民を守るために騎士になったんだって。あの言葉は嘘だったのか? ユアンだって守るべき民だろう?」
「……」
ゲオルクが必死に訴えかける。
その言葉にログウェルも何か感じるものがあったのだろう。一瞬、押し黙った。
「……いいや、ゲオルク。あの頃の意思は私の中で変わってない。国を守るため、民を守るため、私は私の職務を全うするだけだ。あの子どもを殺すことが、この国に、いやこの世界にとって一番いいのであれば私はそれを実行する」
だが、それでもログウェルの意思を覆すには足りない。
かつて、お互いにまだ訓練生で夢を語り合った時と同じような、清廉で硬質な眼差しに説得するのは不可能だと理解して、ゲオルクは小さな声で「馬鹿野郎」と罵った。
「明日には団長がここにいらっしゃる。君たちの処遇についてもその時に決定されるだろう。それまではここにいてもらう」
「待って、待ってください! まだ話は終わってない!」
リザが引き止めるのも聞かず、ログウェルは部屋から出ていく。
残されたリザとゲオルクは、互いに支え合うように身を寄せた。
「ん……」
ユアンはゆっくりと目を開けた。
なんとなく肌寒くて周囲を見渡すと、薄暗いがなんとか状況を把握することができた。
そこは広々とした一室で、壁側にはいくつもの本棚や剣が立て掛けてあり、窓からは月が見える。
そしてその部屋の中心に、ユアンは寝かせられていた。どうやら、何らかの祭壇の上にいるらしい。
ユアンからは見えないが、床には彼を囲むように魔法陣が描かれている。
もっと周囲を確認しようと起き上がろうとしたところ、体がうまく動かないことに気づく。首にも何かが取り付けられている感触がする。
(あれ? どうして……そうだ、リザお姉ちゃんとゲオルクさんは?)
眠る直前の記憶を思い出して、二人の姿を探すが二人はどこにも見当たらなかった。
(ここ……どこだろう?)
見知らぬ場所で信頼を寄せる二人が周囲にはおらず身動きもほとんど取れない状況に、ユアンは不安と恐怖を覚える。
誰かいないだろうかと耳を澄ませていると、コツコツと誰かの足音が聞こえてきた。
ユアンはもしかしたらリザとゲオルクかもしれないと僅かな期待を込めてその相手を待っていると、そこに現れた人物を見て息を呑んだ。
「よお、ガキ」
その人物はユアンがリザに連れられて逃げ出した際に追いかけてきて、リザを蹴ったり刺したりした男ではないか。
「あ……」
ユアンは顔を青ざめ小刻みに震えるが、それをみてエレウスはニヤリを笑う。
「はは、どうした? 俺が怖いか? ん?」
自分に近づいていくるエレウスから距離を取ろうとしたが、体が動かず失敗する。
そんなユアンが滑稽だったのか、エレウスは楽しげに笑みを深めた。
「はっ、『エギヒデムの門』だろうが、封印されてしまえばただのガキだな」
エレウスは剣を抜くと、それをユアンの顔のすぐ横に突き立てた。
「ひっ!」
突然目の前に現れた鋭い刃に、ユアンは恐怖で体を震わせる。
それを笑いながら、けれども瞳には怒りを宿してエレウスは口を開く。
「お前らのせいで、俺はとんでもない恥をかかされたんだ。あいつに見下されただけじゃなく、手柄まで奪われて……覚悟はできてるんだろうな?」
エレウスの言っている言葉に、ユアンには全く心当たりがない。
だが、彼が自分に恐ろしいことをしようとしていることは理解して、体がすくむ。
「助けて、リザお姉ちゃん……ゲオルクさん……」
恐怖から思わずここにはいない二人に助けを求めたが、それを聞いてエレウスは「ははは!」と声を上げた。
「あの二人は来ねぇよ! もう死んでるんだらかな!」
「……え?」
何を言われたのか、ユアンは理解できなかった。否、理解したくなかった。
「だから死んだんだよ! 可哀想になあ、お前なんかと関わったせいで殺されちまった!」
「う、嘘だ……そんなの……」
「嘘じゃねぇよ! なんなら二人の死体を見せてやろうか?」
死んだ。リザとゲオルクが。
そんな言葉信じたくなかったが、信じないと断じることができるほどの材料をユアンは持っていない。
「二人とも必死に命乞いしてたぞ? お前を差し出すから自分たちは見逃してくれってな。でも、そんなことしても処分は変わらない。最期は、お前なんて助けなければよかったって言ってたさ!」
(……二人が、殺された? ……僕のせいで?)
「あ、う……あ……」
胸が苦しくなり、目の前が真っ暗になっていく。
「う、ぐっ……ぐぅ!」
絶望感に襲われていると、体の奥から泥がせり上がってくる。。
普段ならそのまま口から吐き出されるのに、何かでせき止められた。
「……え、ぐっ! んん!」
しかし、無理やり止めているからからユアンの体は苦痛に苛まれ、体がビクビクと跳ねる。
それをエレウスはニヤニヤを眺めていた。
(痛い、苦しい……助けて、助けてリザお姉ちゃん、ゲオルクさん……助けて、助けて!)
心の中で必死に助けを呼ぶが、二人は現れない。
(……本当に死んじゃったの? ……僕のせいで、殺されてしまったの?)
優しく笑いかけてくれたリザを思い出す。もう二度と笑いかけてもらえない。
力強く抱き上げてくれたゲオルクを思い出す。もう二度と抱きしめてもらえない。
もう、二人に会えない。
(僕と出会ったから殺された……僕と関わらなければ二人とも死なずにすんだ……僕が悪いんだ……僕なんて……)
生まれて、来なければよかった。
その瞬間、何かが壊れた音がした。
「……は?」
エレウスは狼狽し、足を二、三歩後退させた。
「なんで……どういうことだよ?」
混乱する彼の視線の先にはユアンがいて、その口からは大量の泥が吐き出されていく。
「げほっ……ご、ほっ」
こんなことはありえないことだった。
なぜなら彼の首に取り付けられている封印具は最上級のものだ。つけられたら魔法はもちろん、体に力が入らずろくに動けなくなる。
何より、一度つけられたら専用の鍵を使わない限り絶対に外れないものであり、その鍵は不本意ながらログウェルが持っているのだ。
それなのに突然、首輪が壊れてしまった。
(そうか、わかったぞ! 封印具が粗悪品だったか、ログウェルの奴がしっかり装着させてなかったんだな!)
自分が原因だとは微塵も考えず、エレウスは自分にとって都合のいい展開を思い浮かべる。
(だがこいつ、いつまで泥を吐いてるんだ? 報告ではすぐに収まるんじゃなかったのかよ? くそっ適当な報告しやがって!)
そんな悪態をついている間にもユアンの口からどんどんと泥が吐き出されていく。
(だが、まずいぞ。このままだと、俺のせいで首輪が壊れたってことになりかねない。ちくしょう! なんで俺がこんな目に遭わなきゃならねぇんだ! …………そうだ!)
焦るエレウスの思考はとんでもない結論にたどり着いた。
(こいつを始末してしまえばいい! 異常に気づいた俺が様子を見にきた時には首輪が外れて泥を吐いていたってことにすれば、団長もログウェルに愛想を尽かして俺の方が優秀だってことに気づいてくれるだろう。それに、こうなったのはもともとあいつのせいなんだ。これぐらい当然だよな)
もしその思考を誰かが聞いていれば、そんなにうまくいくだろうかと注意を促しただろうが、この場にはそれをしてくれるような人物はいない。
だから、エレウスも自分の考えを改めることはない。
(よし、誰も気づかねぇうちにさっさとやっちまおう)
今なおもどんどんと泥は溢れているのだ。ぼやぼやしている暇はない。
エレウスは剣を握り直すと、ユアンに止めを刺そうと一歩近づく。
しかし、目の前のことに集中していたのだろう、足元がおろそかになり泥に足を取られた。
「う、わ!」
咄嗟に踏ん張ろうとするがが、滑ってしまいそのまま転倒する。
「がっ……」
そして、頭を打って気を失ってしまった。
ユアンが吐き出す泥はまだ止まらない。
床一面覆い尽くしエレウスが埋もれても、止まらない。
ユアンの意識が朦朧となってしまっても、止まらない。
ついにはドアの隙間から部屋の外に漏れ出てもなお、止まらない。
泥が止まらない。
泥が止まらない。
泥が、止まらない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます