第15話 パンケーキ

 静かな寝息をたてるユアンをリザが見守っていると、扉が叩かれる。

「リザさん、入っても大丈夫か?」

「ええ、どうぞ」

 リザが返答すると、ゲオルクが部屋に入ってきた。

「とりあえず、あらかた片付けた。明日、明るくなってからまた掃除しておこう」

「ありがとうございます。それから、お手伝いしなくてごめんなさい」

「いや、ユアンを一人にするわけにはいかないからな。気にしなくでくれ。それより、ユアンの様子はどうだ?」

「大丈夫です。気持ちよさそうに眠っています」

「そうか、よかった……」

 二人はしばし、ユアンの寝顔を見つめる。

 あどけないその表情には先程までの苦悶は見当たらず、心が洗われるようだった。

 やがてリザが口を開く。

「ユアン君と出会ったのは、私が新しい仕事先に向かった日のことです」

 彼女は静かにユアンとの出会いとあの森で出会うまでの経緯を話した。

 ゲオルクはそれを相づちを交えながら、聞いていく。

「だから、どうしてユアン君が泥を吐いてしまうのか、どうして閉じ込められていたのか……私にはわからないんです」

「そうだったのか……」

 話し終えて、リザはゲオルクから何を言われるのか怖かった。

 出て行って欲しいといわれるか、騎士に通報されるかもしれない。

 そんな不安を抱える彼女に、ゲオルクははっきりと言った。

「大丈夫だ。さっきも言っただろ。あんたたちを追い出すような真似はしないって」

「……本当、ですか?」

「ああ、約束する。あんたにもユアンにも、危害は加えないし、加えさせない」

「ありがとうございます、ゲオルクさん」

 目尻に涙を浮かべながら微笑むリザに、ゲオルクは目をそらす。

 その顔は僅かに赤い。

「だけど、あんたもすごいな。生活を捨て、国に追われる覚悟をしてまで誰かを助けようとするなんて、誰にでもできることじゃない」

 それは気恥ずかしさを誤魔化す為に口から出た言葉だったが、嘘偽りない本心だった。

 ゲオルクの目にはリザにたいする敬意が浮かんでいる。

 けれど、リザは小さく首を振って彼の言葉を否定した。

「私はそんな大した人間じゃありません……あの子を助けるかどうか、迷いましたし……もしかしたら見捨てていたかもしれない」

 あそこには多くの人がいた。けれど、ユアンを助けようと積極的に動く者はいなかった。

 誰もが見て見ぬ振りをして、関わらないようにしていたように思う。

 だが、リザは彼らを責めることはできないし、そんな資格は自分にないと思っている。

 自分がユアンを連れ出すために行動を起こせたのは、偶然が重なったに過ぎない。少なくともリザはそう考えているのだ。

「そんな卑下することじゃない。誰だって、そんな状況になれば迷ってしまうさ。けど、それでも実際にあの子を助けようと動いたじゃないか」

「ええ……でも、それは単に、失いものがほとんどなかったからなんです」

「どういうことだ?」

「……私はもともと孤児で、私がいなくなっても困る人はいないんです」

 ユアンと一緒に暮らせている今は後悔なんてないが、もし自分に守りたい家族や大切にしている誰かがいたら同じことができただろうか。

「孤児?」

「ええ。赤ん坊の時、道端に捨てられていたそうです。だから、親の顔とか全然知らなくて……」


 それからリザはゲオルクに自分の昔話をした。

 孤児院で育ったこと。優しい院長と同じ孤児たちがいたから寂しさはなかったこと。恩返しがしたくて一生懸命勉強に励んだこと。その努力の甲斐もあり、有名な学校に進学できそうだったこと。けれど、入学する前に強盗が孤児院にやってきて院長を殺してしまったこと。

「その強盗は捕まったんですけどね、院長が亡くなったから孤児院が立ち行かなくなってしまったんです。私にとってあそこは生まれ育った家でしたから、どうしても失いたくなくて、学校には進学せず、働くことにしたんです」

「……それは」

「……私一人の働きではどうにもなりませんでした。結局、孤児院は閉鎖し、そこにいた孤児は別の施設に移されて行ったんです」

 リザの脳裏に、家族のように育った仲間たちの顔が浮かぶ。

 彼らは今どこで何をしているだろう。

「それで……なんていうんですかね。無力感に苛まれたというか、何もかも嫌になって、その時やってた仕事を全部止めちゃって……でも働かないと生きていけないから新しい働き口を見つけたんです。それがユアン君がいたところでした」

(あの時は、まさかこんなことになるなんて夢にも思わなかったな……)

 生まれ育った家を失ったことは悲しいし、あの頃の無力感も忘れたわけではないが、もしあのまま孤児院が存続していたら、自分はユアンと出会うことすらなかったのだろう。

 そう思うと、嘆いてばかりいてはユアンに悪いような気がした。

 だから、自分のしたことは無駄ではなかったのだと、今は少し前向きな気持で捉えている。


 リザの話を聞いたゲオルクは、おもむろに口を開いた。

「……リザさん、俺の話もしていいかな」

「ゲオルクさんの?」

「ああ……俺の家族の話なんだが」

「それは、ぜひ聞かせてください」

 ゲオルクの家族。

 これはきっと大事な話だと思い、リザはゲオルクをしっかりと見つめる。

 そしてゲオルクは語り出した。

「俺は子供の頃、父と母、そして弟の四人で暮らしていたんだ」

「弟さん?」

「ああ、名前はイザーク。我が儘で甘えん坊で泣き虫な奴だった」

 弟のことを喋っているゲオルクの表情は柔らかく穏やかで、彼がどれだけ弟のことを大事に思っているかリザにも伝わってくるようだ。

「俺とイザークは年が離れていて、喧嘩らしいこともしたことがなくて、両親の代わりに面倒をみていたからか、随分と俺に懐いてくれた」

「仲が良かったんですね」

「……ああ、そうだな。たまにうっとうしく感じてしまうこともあったけれど、それでもやっぱりイザークは可愛い弟だった」

 ゲオルクの表現が全て過去形であることに気づいていながら、リザは何も言わずにただ耳を傾ける。

「俺は昔から騎士を目指していて、思い切って家を出る時も大泣きして引き留めたんだ。あの時は本当に、後ろ髪を引かれる思いだった……その後、無事に騎士団に入団した俺は、どうやら才能がそこそこあったようで、なんとかやっていけた。そりゃ仕事はきつかったが親友も出来て、順風満帆だった。それで金がだいぶ貯まったんで、家族と一緒に暮らそうと家を建てたんだ」

「それって……」

「ああ、ここだ」

 一人で暮らすには広すぎるし、明らかにサイズが合わない家具を置いてあったのは、誰かと暮らす予定だったからだ。

 けれど、家を建てて家具も用意してあるにもかかわらず、ここにはゲオルク以外にいない。

「家も完成して三人があともう少しでこっちに来る、という時だった……故郷の村で病が流行ったのは」

「!」

 リザははっと息を呑む。

 村で病が流行った場合、感染が広がるのを防ぐために隔離状態にされることを知っていたからだ。

「もともと周囲の村から離れた場所にあったから、他に広がることはなかったが……村は、全滅してしまった……俺が知らせを聞いた時には、もう手遅れだった」

「それは……」

 悔しそうに顔をゆがめるゲオルクに、リザはなんと声を掛ければいいのかわからなかった。

 愛する者との突然の別れ。

 それをゲオルクと同じように味わったリザには彼の気持ちが痛いほどよくわかる。

「それからどうにも仕事に身が入らなくなってな……これ以上仲間に迷惑をかけられないと思って、騎士を辞めた。それから今に至るというわけだ」

「ゲオルクさん……話してくれて、ありがとうござます」

 過去のことを話すには、その時のことを思い出さなくてはいけない。当然、それには苦痛が伴う。

 そして、話す相手だって相応の好意や信頼を寄せていなくては駄目だ。

 だからリザは嬉しかった。ゲオルクが自分のことを『過去を話してもいい相手』と思ってくれたことが。

 だが、ゲオルクはリザの言葉に首を横に振る。

「……いや、俺は謝らなければいけない」

「え?」

 ゲオルクが謝るようなことなどあっただろうかとリザは疑問を抱きながら彼の話を聞いた。

「ユアンといるとな、弟がもう一人出来たような気持ちになるんだ。あの子と接していると、まるでイザークや両親と一緒に暮らしていた頃に戻ったような、そんな感覚になる……そんなわけないのにな」

 寂しげでありながらも、呆れ気味な笑みは、今までゲオルクが見せたことがないものだった。

「もしかしたら俺は、家族を失った悲しみを埋める為に、あんた達を利用していたのかもしれない」

「……そんなことありません」

 ゲオルクの言葉をリザは否定する。

 だって知っているからだ。彼が自分たちの為にどれだけ力を尽くしてくれているか。

 明らかに訳ありである自分たちを受け入れてくれたのは、偽善などではない。

「私とユアン君を助けてくれたのは、あなたが優しい人だからだと思います。もし仮に、あなたが本当に自分のために私達を助けたのだとしても、あなたが私達を助けてくれことに変わりはありません。だから、そんなに自分を卑下しないでください」

 リザの言葉に、ゲオルクは先程までとは違う笑みを浮かべる。

「……ありがとう、リザさん」

 その眼差しに、先程までの卑屈さは見当たらずリザは安堵した。

「もう夜も遅いし、俺たちも寝ようか」

「そうですね」

「リザさんは、ここでいいか?」

「ええ。今日はユアン君と一緒に寝ます」

「そうか。それじゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」

 ゲオルクを見送り、眠っているユアンに寄り添うように横になる。

「おやすみ、ユアン君」

 囁きかけるように告げて、リザもまた眠りについた。




 コンコンとノックされる音がして、ユアンは目を覚ます。

 目を開けるとすでに外は明るい。

「ユアン君。おはよう、起きてる?」

「起きてるよ、リザお姉ちゃん」

 ユアンが返事をすると、リザが部屋の中に入ってくる。

「気分はどう? 悪くない?」

「うん、平気」

「よかった。ゲオルクさんが朝食を作ってくれたから、一緒に食べようね」

「ゲオルクさんが……」

 ユアンはちょっとだけ、ゲオルクと会うのが怖く感じた。

「……ゲオルクさん、なんか言ってた?」

 そんなユアンの中にある不安に気づき、リザが微笑む。

「ユアン君がちゃんと眠れていたか気にしていたよ。早く元気な姿を見せに行きましょうね」

「うん……」

 ユアンはリザと手をつないで部屋を出た。

 階段を降りていくと、美味しそうな匂いがしてお腹に響く。

「起きてきたな。おはよう、ユアン」

「お、おはよう、ゲオルクさん」

 ユアンがテーブルにつくと、ゲオルクが一枚のお皿をユアンの前に置いた。

 その上にはふわふわと膨らんだパンケーキが乗っている。

「わあ、おいしそう」

「あ、待ってくれ。蜂蜜もあるぞ」

「かけていいの?」

 目をキラキラさせるユアンに、ゲオルクは「少しだけな」と言葉を添えて薄く色づいた液体が入った小瓶を渡す。

 ユアンはそれをパカッと開けてスプーンですくうと、パンケーキに塗っていった。

「ほら、リザさんも」

「ありがとうございます」

 ユアンの隣に座ったリザにもパンケーキを渡して、ゲオルクも席につく。

 そして三人一緒に「いただきます」と声を合わせて、食事を始める。

「とってもおいしい!」

「そうか、よかった。足りなかったらまた焼くからな」

「うん!」

 もぐもぐとパンケーキを食べていくユアンと、それを嬉しそうに見つめるゲオルク。

 そんな二人を見つめながら、リザは幸せを感じた。

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