第13話 訪れる変化

 ゲオルクは、魔獣狩り組合の施設に足を運んでいた。

 今日、仕留めた獲物を納品するためだ。

「お前さんは相変わらず、いい仕事をするな」

 絶命している鹿の魔獣の死体を検分しながら、魔獣狩り組合の男は言った。

「そうか?」

「ああ。角は欠けてないし毛皮にも傷が見当たらない。これなら好事家に高い値で買い取ってもらえるぞ」

「それは助かるな」

 魔獣の体は魔法具や魔法薬の素材に必要不可欠。

 それだけで生きていく分の収入は得られるといえば得られるが、今のゲオルクは少しでもお金が欲しいのだ。

 金がもらえるならそれに越したことはない。

 そんなゲオルクに男は意味ありげな視線を向ける。

「お前さんも変わったな。前までだったら、ある程度の金さえ貰えればそれでいいって感じだったのに」

「金は誰だって欲しいだろ」

「いや、そうなんだが……他の連中も話してたぞ。最近のお前さんはやけに仕事熱心なのに、遠くの仕事は断るってな」

 以前のゲオルクは仕事の質は高いが頻繁には行わず、また遠出の仕事も嫌がることなく引き受けていた。

 なのに、今はその正反対。

 噂になるのは無理もない。

「所帯でも持つのか?」

「そんなわけあるか」

 男の質問に、ゲオルクははっきりと否定する。

 脳裏に、一人の女性と一人の子どもが浮かんだが、それは気づかぬフリをした。

「ふうん? まあ、いいけどな」

 そんなゲオルクの様子に何を思ったのか、男がニヤリと笑う。

「おっさんからの忠告だが、奥さんとの関係は日々の積み重ねだ。これを怠るとな、気づいた時はとんでもない事態に発展しちまうぞ」

「だから違うって……やけに実感が伴ってるな。実体験か?」

「ははは、ノーコメントだ」

 その時、組合に数人の男が入ってきた。

 彼らはみんな、騎士の制服を身にまとっている。

「……お客さんが来たようだから、俺はもう行く。金は次、来た時に渡してくれ」

「ん? おお。またな」

 ゲオルクは素知らぬ顔で彼らとすれ違い、外に出ていく。

 周囲を見れば、彼ら以外にも騎士の姿が複数確認することができた。

 後ろめたいことなど何もないという表情を崩さず、ゲオルクは歩いていく。

 道中、数人の子どもたちがゲオルクの前を楽しげに走りながら横切る。

 その中には、ユアンと同い年ぐらいの子も混ざっていた。

(結局……この間のピクニック以来、ユアンをどこにも遊びに行かせてられてないな……)

 また連れて行くと約束したのに、なかなか時間が取れずその約束を果たせていない。

 それでもユアンはそのことを一度も責めることはなかった。

 あの子は本当に聞き分けがよく、わがままを言わないのだ。

(そういうところは……イザークとは大違いだな)

 なにせ、やんちゃでわがままで泣き虫で甘えん坊な、弟だったから。

 両親が共働きで、年の離れた弟の面倒は兄であるゲオルクの仕事だった。

 だからとても懐いて、何をするにも「あんちゃん、あんちゃん」と呼んで後ろをついて回ったものだ。

 そんなものだから、ゲオルクが家を出る時は大泣きしてしまった。

『行かないで、あんちゃん! 行っちゃダメ! やだやだ!!』

 いつまで経っても泣き止まないので仕方なく弟のことは両親に任せ、後ろ髪を引かれる思いで新しい生活を始めた。

 それからも年に数回実家に戻れば、いつもいつも嬉しそうに自分を出迎えて、そして帰る時はいつも泣いて引き止める。

 やがてお金が貯まり、両親も歳で体が弱ってきたのを気に一緒に暮らそうという話になったのだ。

 このことを話したときの弟の喜びようはすごかった。

『本当に!? ずっとあんちゃんと暮らせるの? やったぁ!!』

 興奮してはしゃぎ回り、落ち着かせるのに苦労した。

『たくさん遊ぼうね! いろんなところにも行こうね! 約束だよ!』

 帰り際、何度もせがむ弟に自分はなんと返しただろう。

(……確か、わかったわかったって……適当に返事をしていたな……)

 それでも、その約束を破る気なんてなかった。

 いつか弟も兄離れする日が来るだろうから、それまでは面倒をみてやろうと思っていたのだ。

 そう、思っていたのに……。




「ただいま」

 家に帰ると、奥からパタパタと軽い足音がやってきた。

「おかえりなさい、ゲオルクさん」

 現れたのはユアン。その手には紙飛行機が掴まれている。

「ああ、ただいま。今日も紙飛行機で遊んでたのか?」

「うん。リザお姉ちゃんと飛ばし合いっこしてたの。僕の方が長く飛んだんだよ」

「へえ、そりゃすごいな」

 最近のユアンは、紙飛行機をいかに長く遠くに飛ばせるかに夢中になっていて、試行錯誤を続けているのだ。

 ゲオルクはユアンをひょいっと抱きあげて、おいしそうな匂いの元に向かう。

「リザさん、ただいま」

「おかえりなさい。今、ご飯を用意しますね」

「ああ、ありがとう」

 椅子に腰掛けるゲオルクだが、ユアンは彼にしがみついて離れない。

「ユアン? 重いんだが」

「……降りなきゃだめ?」

 少し悲しげな顔でそう言われてしまうと、ダメだとは言えない。

「しょうがないな。ご飯が来るまでだぞ」

「うん」

 了承を得られたユアンは、ぎゅっとゲオルクにしがみつく力を強くした。

 今日は甘えたい気分だったのだろう。

 軽く体を揺らしてやれば、ユアンの顔が笑顔になる。

「もっと、もっとやって!」

「よし、任せろ」

 ユアンを太ももに乗せたまま、上げたり下げたりすればユアンは声を上げて喜んだ。

「きゃはは!」

 ユアンが笑えばゲオルクも嬉しくなる。

(状況が落ち着いたら、必ずどこかに連れて行こう)

 どこがいいだろうか。

 先日の草原とは別の場所にしたい。けれど、人目につかない場所。

(川とかどうだ? 水遊びしたり、バーベキューしたり……今度リザさんに相談してみるか)

 だって約束したのだ。また遊びに行こう、と。

(もう約束が守れなくなるなんて、なんてごめんだ……)

 そうしていると、リザが食事を持ってきてくれたので、ゲオルクはユアンを降ろした。




「二人とも、おやすみなさい」

「はい、おやすみなさい」

「おやすみ、ユアン」

 食事を終え、ユアンはあくびをしながら階段を登っていく。

 それを見送ると、ゲオルクはワインの蓋を開け、リザはチーズとナッツを皿に乗せてテーブルに並べた。

「今日もお疲れ様です」

「ああ、リザさんもお疲れ様」

 二人だけの晩酌。

 お互いを労り合い、酒を飲む。ユアンにも内緒の大人だけの時間だ。

最初のきっかけは、仕事に疲れたゲオルクを気遣ってリザが酒をおつまみを用意し、それをゲオルクがリザも一緒にと誘ったことだった。

 それ以来、いつの間にか習慣になっているのだ。

「今日はユアンくんが洗濯物を干すの手伝ってくれたんです。たたむのもやってくれて」

「へえ、気が利くなあ。俺も見たかった」

 二人の会話は主にユアンに関することである。

 リザにとってもゲオルクにとってもあの子の存在は大きく、また今の生活もユアンが中心だと言っても過言ではないからだ。

 だが、酒を重ねてほろ酔いになれば、口は軽くなり自分たちの話をするようになる。

「……それで今度、まとまった金が手に入るからそれで何かおいしいものでも食べよう」

「いいですね。ユアンくんも喜びます……それにしても、魔獣を倒すなんて本当にすごいです。どうやっているんですか?」

「そうだな……種類にもよるが基本的にいくつも罠を仕掛けて弱らせたところで、自分に強化魔法をして仕留めるというやり方だな」

「直接戦うなんて、怖そうですね……危なかったことは無いんですか?」

「そりゃあ、危機一髪だったことは何度かあるが、自分には合ってると思ってる」

「へえ……すごいですね」

 リザが感心したように呟くと、ゲオルクは「あんたの方がすごいだろ」と返した。

「属性魔法が使える奴なんて滅多にいないぞ。誰かに習ったのか?」

「いえ、本を読んで自分で覚えました」

「独学で? ますますすごいな。それなら、都市部の学校に行けたんじゃないか?」

「え、そうですね。一度入学が決まったんですが、いろいろあって行けなくて……」

「……へえ」

 リザの言葉に、ゲオルクは言葉が続かない。

 なんとも言えない沈黙が二人に流れる。それを互いに、ワインやつまみを口に入れて誤魔化す。

 たまにこういう事があるのだ。

 内面に踏み込んだ時、踏み込まれた時、どうにもうまく反応が出来ず見て見ぬ振りをする。

 リザは自分たちの事情をゲオルクに話せていないしこれ以上は巻き込みたくないという今更ながらの遠慮を持ち、ゲオルクは彼女たちが隠し事をしているのを気づきながらそこに自分が踏み込んでいいのかわからず結局は待つという気遣いとも怠惰ともとれる選択肢を選んだからだ。

 つまるところ、二人とも今の関係が崩れることを恐れていた。

 そもそも今の生活すら、いつまで続けられるかもわからない儚いものだ。

 今後のことを思えば、このままでいいのだろう。

 いつ別れの時が来ても良いように、適当に距離を保ち相手の事情など知らないままでいるほうが楽に違いない。

 けれど、ゲオルクはその現状を変えたいと思いつつあった。

 それは何もリザのことだけではなく、ユアンのことも関係している。

 二人の抱えているものを知りたかったし、もっとちゃんと力になりたかった。二人が背負っているものを自分も背負いたかった。

(だが、それは俺の独りよがりじゃないか?)

 リザは自分の理解など求めておらず、これ以上踏み込まれたくないと思っているかもしれない。

 そう思うとどうにも二の足を踏んでしまい、行動に移せないでいた。

 けれど、それではいつまで経っても状況は変わらない。

 ゲオルクがリザに目を向けると、リザもまた同じように彼を見て、二人の視線が交わる。

 お互い、何を言うでもないのに目を離せずにいると、ゲオルクはふと思った。

 今だ、と。

 どうしてそう思ったのかは、本人にもわからないが、今は聞くのに絶好の機会であると感じたのだ。

 もし、これでリザが嫌がるようならとりあえず引こう。

 それだけは決めて、ゲオルクは口を開いた。

「なあ、リザさん」

「……どうしましたか」

 ゲオルクの纏う空気が変わったことに気づいて、リザも姿勢を正す。

「あんたとユアンは、どうして追われているんだ?」

「……それ、は……」

 その言葉にリザは動揺を隠せず、視線をさまよわせる。

「嫌なら言わなくて良いんだ。言わなかったとしても、あんたたちを追い出すような真似はしない」

「…………」

 何も答えないリザにそれ以上言葉を重ねることはせず、ゲオルクは彼女の返事を待った。

 やがて気持ちを決めたのか、リザはゲオルクの目をしっかりと見て、口を開く。

「あの……実は」

 その時、上の階から誰かが咳き込む声が聞こえた。


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