追憶のジレンマ
@ya0614ka
第一章 A.M.6:32
窓から差し込む光が瞼の裏を照らしている。くぐもった鳥の鳴き声も聞こえる。---まただ。いつもと違う目覚め。今日で3日目になる。唐突に、強引に。現実に引き戻される感覚。まるでずっと起きていたんじゃないかと錯覚する。普段ならデジタル時計のけたたましいアラーム音でさえ心地よいBGMにとってかわるというのに、これは異例の事態だ。デジタル時計が点滅しながら示す時間は『AM 6:32』。---やっぱり。なんとなくそんな気がしていた。この不自然を知らせる時刻は決まってこの時刻だ。最初は何の手違いかと思い二度寝を試みたが、あまりの快適な起床でできずじまい。普段、寝たらただでは起きないあの私がだ。思い当たる節もなく、特別な数字というわけでもない。摩訶不思議と言ってもいいこの出来事だが、当の本人は思いの外満足気であった。早起きは三文の得というし、なによりなにより寝坊しない、ということがすばらしい。マイの怒鳴り声を聞かないで済むというのも利点の一つだ。まぁ、基本はその怒鳴り声のおかげで起きられるのだが---、ともかく摩訶不思議バンザイなのだ。加えてマイの驚いた顔は3文以上の得になりうる。作戦はこうだ。一階のリビングへ向かい、ホットココアを飲みながら悠々自適にマイを待つ。昨日は眠そうなマイの目が丸く見開かれるのを見たが、あれは素晴らしいものだ。もう一度見てしっかりと記憶しておきたい。そうと決まれば、布団から身を出す、と急激に体温が奪われていく。もうすっかり冬だ。身震いしながらカーテンを引く。窓の外は曇ってあまり見えないが、晴れのようだ。鏡の前にはもこもこのパジャマに、至る所ににはねた黒髪、色白の肌、しかしその目は寝起きとは思えないくらいしっかりと開かれた状態のアスカの姿があった。さて、早起きの得一つ目、身だしなみの時間が有意義に使える。寝ぐせは直せるし、服を選ぶのにも十分な時間がある。後はホットココアを作って、あの顔を拝むだけ。そう思っていたのだが---
「あら?早いのね。」
階段を降りた先には、スーツに、髪はきっちりと後ろ縛り。右手にはコーヒー、左手にはおそらく私のためのホットココア、と完璧な状態で座すマイの姿があった。
時刻は7時半、普段なら私が起きるくらいの時間だろうか。朝食(もちろんマイが準備した)が終わったアスカは、そそくさと玄関へ向かう。
「行くにしては早すぎるんじゃない?1限ないでしょう」
マイの声が背中ごしに聞こえる。いやちょうどいい時間だ。
「今日はハルキが1限あるみたいで早く行くの」
ただ、アスカになにか予定があるわけではない。今日の講義は2限からで、大学についたところで知っている人間はいないだろう。
「ふーん・・・お熱いこと。」
やれやれ、といった顔のマイはいつもその言葉を口にする。
「もっちろん。それじゃあいってきまーす。」
そう言うと玄関を出る。ドアを開けた瞬間、寒さが顔を通して体中に広がるのを感じる。やはり今日もことごとく寒いけれど、なおさら早く彼に会いたくなった。
「なにか言うことは?」
時刻は8時を5分過ぎたところだが、集合時間は8時だったはずだ。いや、多少は予測していたことではあったのだが。
「んー・・・今日も可愛いとか、そんなん?」
「その言葉は今じゃないかなー。」
彼の遅刻はデフォルト化しつつある、というよりはしている。遅刻グセがつくようになったのは大学に入学してからだ。その都度5分前後なのが唯一の救いではある。しかしこの寒空のもと5分待つだけでもなかなかのものなのだ。
「あー悪かったよ。でもこなくてもいいって言ったじゃんか。」
「・・・ふーん?」
「わかったよ。俺が全面的に悪いなこれは、すまん。」
「・・・ふん、よろしい。」
これが私たちのいつもどおりだ。いわばおはようの挨拶みたいなものなのである。とはいえ高校時代とはまた異なるいつもである。昔ならむしろ5分前行動かそれ以上、アスカがどんなに早く待ち合わせ場所についてもその場所には必ず彼がいた。これがいわば“大学生のいつも”なのだろう。
「それで?なんでこんなに遅れたのか言い訳してみてよ。」
「んー、・・・髪のセットとか?」
そう言うと彼はさっと自分の髪を撫でる。風になびかない髪はいつ見ても違和感だ。もっとこう・・・
「それわざわざ固める必要ある?」
「もちろん!これしなきゃ一日が始まらんしな。」
これもまた“大学生のいつも”。毎回のように髪について触れているのだが、彼は一向に変える気配はないようだ。とはいえそこまで気にしているわけでもないから、これもあいさつ。
「それだけ時間のかかる髪ならもっと早く起きなよ。」「いやいや早く起きた方だけどもなー」
「じゃあ勝負しようか」「・・・乗った」
「お先にどうぞ?」「レディーファーストでどうぞ?」「じゃあわたしからね」
「今朝はなんと6時32分に起床!なんでかはわからないけどとにかく!昔の私とは---ってあれ?」
気づくと隣ではなく後ろのほうに彼が止まっていた。下を向いているせいでその表情はわからない。
「どうかした?」
「・・・ん?あぁこっちの話。でなんだっけ?」
「こっちって何の話よ?気になるでしょー。」
実はこれも二人の間でよく起こる“大学生のいつも”である。高校時代の彼は嘘の“う”の字もつけないし、隠し事をしていた記憶はなかった。ただアスカにとってはそういう彼は新鮮で気に入っていた。というのもその隠し事の大半はアスカにとって良いものばかりだからだ。そしてその後の展開もおなじみ、じっと彼の顔を覗きこむ。疑問があれば最期まで追求する、とこの性格から今までアスカの前で秘密を守った人間はあまりいない。大抵はアスカのしぶとさに根負けするのだ。
「あれだよあれ、その・・・わぁーったよ!!・・・誕プレどうしようかなって思ってさ。」
「!・・・そうだねー良い物期待してるよっ。」
最後には絞りだすように彼が言うのを聞いて満足。今日はまだまだ早起きの得が続くに違いない、とニヤケが収まらないアスカだった。
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