326 経費でお買い物
マイヤに引っ張られるようにしばらく進むと、食料品店が立ち並ぶ通りが見えてきた。あちこちから客引きの威勢のいい声が聞こえ、ファティアの町の穏やかな雰囲気に比べるとずいぶんと活気にあふれている。
「おっ、そこの子連れのご婦人! どうだい、今日はジャガイモが安いよ!」
すぐ近くの店舗から俺たちに呼び込みの声が届いた。商店通りではよくある出来事だ。しかしこの手の話題が妙齢の女性にダメージを与えるということを、俺はセリーヌで十分に学習している。
ゴクリとつばを飲み込んだ俺は恐る恐るマイヤを見上げた。だがその表情は逆光に遮られ、
「まあっ、本当に安いわね。ねえ坊や、今日はここで買いましょうか?」
ジャガイモのカゴに付いた値札を見ながら感心したように声を上げ、俺に微笑を向けた。
坊やときたか。どうやら変に否定するよりも、話を合わせるつもりのようだ。リアーネがいないからといって、無闇やたらとガラが悪いわけではないんだね。……でもどうせなら、きつく握られている手をもう少し緩めてもらえるとうれしいです。
◇◇◇
「――まいどありっ!」
ホクホク顔の店主に見送られながら店を後にする。あれから何軒か店を回り、ポテトサラダに必要な食材を買い揃えた。
実際のところポテトサラダの食材はシュルトリアでの物々交換で溜め込んでいたこともあり、今日は観光気分で店を見て回るだけで買い出しするつもりはなかった。
しかしマイヤからレシピの指導に使う食材費は伯爵家で受け持つとの申し出があったので、今回はそのお言葉に甘えた形だ。
ちなみにポテトサラダとは関係ない、領都でしか見たことのない野菜もついでにいくつか購入したのだけれど、これにはマイヤの財布の紐は固かったので自腹である。
「それにしてもお前……」
必要な買い出しが終わり、ひとまず周辺をぶらぶらと歩いていると、マイヤが呆れたように眉を下げる。
「なんですか?」
「これだけホイホイと買って鞄に詰め込んでりゃあ、いくら鞄に入れているフリをしていようが、ずっとお前を見ている奴がいればアイテムボックスを持っているって丸わかりだぞ?」
ジャガイモふたカゴ、ニンジンひとカゴ入れようが、鞄がまったく膨らんでいないからね。そりゃそうだろうと思う。だけど――
「バレたらバレた時というか。あまり気にしないことにしてます」
そういう時に自衛するだけの力を手に入れるためにセリーヌに鍛えてもらっているのだ。能力があるなら無理に自重するのはもったいないというセリーヌの教えは、俺の中に少しづつ根付いている。
俺の答えにマイヤは口の端をニッと吊り上げた。
「へえ? 案外度胸が据わっているじゃねえか。昨夜セリーヌがベタ褒めしていただけはあるな」
どうやらセリーヌはマイヤと酒を飲みながら俺自慢をしていたらしい。見えないところで自分を褒めてくれるのは嬉しいもんだね。そんな言葉に、ニコラがマイヤの腕をぐいぐいと引っ張る。
「ねーねーマイヤお姉ちゃん。セリーヌお姉ちゃんはニコラのことは何か言ってた?」
「ああ、お前にも魔法の才能があるんだってな。練習しているところを見たことないし、もったいないとは言っていたが――こらっ、あんまりひっつくな!」
話しかけながら手つなぎから腰抱きつきに流れるように移行しようとしたニコラであったが、寸前でマイヤに肩を掴まれてしまった。するとニコラは悲しげに目を潤ませ、マイヤを見上げる。
「マイヤお姉ちゃん……駄目?」
ニコラの目からは今すぐにも涙がこぼれそうだ。まあウソ泣きなんだけど。しかしそれを知らないマイヤは顔をしかめながらニコラをしばらく見つめた後、肩を掴んだ手をそっと離した。
「……くっ、少しだけだぞ……」
「わーい。マイヤお姉ちゃん大好き!」
「ったく……。セリーヌから抱きつき癖があるとは聞いてはいたがよ……」
ボヤくマイヤを気にも留めず、さっそく腰に抱きつきながら尻に顔をうずめたニコラから、
『ケツ筋解禁! ケツ筋最高! くう~っ! このふとももからのキュッとつり上がったラインッッ! とってもクセになりますねえ!』
との念話が届き、思わず俺の口からもため息が漏れた。
そしてマイヤは腰にニコラを巻きつけたまま歩き出し、せっかくだからと領都暮らしの長いマイヤに観光客がよく行くようなスポットを案内してもらうことになった。
そのためにこの食料品店が立ち並ぶ通りから横道に入り、領都を横断する大通りへと戻ろうとしたのだが――
――周囲に張り巡らした空間感知に違和感を覚えた。
『あれ? つけられてる?』
俺の念話にニコラが尻に顔をうずめたまま答える。
『スーッ。ですね。スーッ。なにか心当たりは? スーッ』
念話だから呼吸音はしないはずなんだが……。いまさら気にしても仕方ないけど。
『心当たりか……。アイテムボックスがバレたとか? 子連れの親子にしか見えないような俺たちを、わざわざ観察しているような人はいないと思ったんだけどなあ』
『それについては同感です。とにかく一度マイヤに報告したほうがいいのでは? スーッ。スーッ』
『……そうだね』
俺は気が抜けそうな念話を打ち切り、歩いたまま小声でマイヤに話しかける。
「マイヤさん。僕らの後を誰かにつけられてます」
「ほう、気づいたか?」
マイヤが表情を変えることなく前を向いたまま答えた。
「マイヤさんも知っていたんですね。魔法で感知できるんですか?」
「いや、そういう気配を感じただけだが……ふん、やっぱり間違いねえようだな」
鼻をぴくぴくさせながらマイヤが言った。エステルと同じで気配がどうのこうのという野性的なタイプのようだ。やっぱり同じタイプだから人見知りのエステルも打ち解けたのだろうか。
「それで心当たりは?」
「アイテムボックス以外は特にないです」
「お前、昨日はダルカン商会に行っただろう? セリーヌは詳しく語らなかったが、そこで何かなかったか? お前らにつけていた監視によると、すぐに店から出てきたみたいだけどよ」
ああ、やっぱりマイヤとは別に監視をつけていたんだな。すごく離れていたのか、気配を絶つのがうまいのか、まったく気づかなかったけど。しかし今つけられている連中は、雑でバレバレの動きなのでよくわかる。
「そのダルカンっておじさんに、セリーヌが言い寄られていました」
「そうか……やけに強引な手段に……これは……」
マイヤは小声で何かを呟くと一人で納得したように頷き、俺に向き直った。
「それでマルク。どうするんだ?」
「どうするって……。マイヤさん護衛じゃないんですか? 守ってくださいよ」
「あん? それは違うぞ。あたしがトライアン様から仰せつかったのは監視役だ。そこまでするつもりはねえなあ~」
そう言って口元をニヤつかせながら俺を見た。どうやら護衛をする気はないようだ。それなら仕方ない。
「わかりました。それじゃあ大通りまで走ります。そうすれば多分、人混みに紛れて撒けると思いますし」
「は? 撒いてどうすんだ。あいつらは明らかにお前を狙ってると思うぞ? 捕まえて目的を吐かせねえと」
「そうですか。それじゃあやっぱりマイヤさん、お願いします」
「バカ、お前がやるんだよ」
「ええ……」
「ええ……じゃねえよ。セリーヌも言ってたじゃねえか。少なくとも人さらいくらいなら、簡単にあしらえるくらいには鍛えてるんだろう?」
九歳の子供に無茶振りするのってセリーヌくらいかと思っていたけど、どうやらマイヤもそうらしい。
そういえば昨日の酒場でセリーヌが、世話になっていた時に色々と無茶を押し付けられたと愚痴っていたし、無茶振りの元祖はマイヤの可能性すらある。
逃げれば済むのに迎撃する必要あるのかとか、背後関係を吐かせたいならマイヤがすればいいのにとか思わなくもないけれど、ここで言い争っても始まらない。
たしかにこういう時のために今までやってきたんだ。俺は覚悟を決めてマイヤに切り出した。
「わかりました。それじゃあ路地に入るんで」
「おうっ」
お手並み拝見といったところだろうか、楽しそうに弾んだ声でマイヤが答える。俺たちはすぐ近くの薄暗い路地へと入り込んだ。
「ニコラ、僕の背中に乗って」
俺の指示にニコラはマイヤの尻から顔を離すと、
「うんっ。お兄ちゃんゴー! パイ◯ダーオーーーンッ!」
謎の掛け声とともに俺の背中に乗っかった。しっかりとしがみついているあたり、俺が何をするかはわかってるようだ。
「ぱ、ぱい?」
ニコラの掛け声に首を傾げるマイヤ。もうすぐこっちに追跡者がやって来る。急がないと。
「マイヤさん。じっとしててね」
俺はそう言い放つとマイヤの背中に回りこみ、背後から腰に手をまわした。鍛え込んでいるみたいだが、腰は思っていたよりも細く感じた。
「なっ……! ぱいってそういう!? こらっ! マセガキ止めろ! あたしの身体はトライアン様に捧げるって、ずっと心に決めてるんだよ!」
これ以上手を上にあげさせないように、俺の腕を押さえるマイヤ。なにやら衝撃発言を聞いた気がするが、追われているんだしデカい声を上げないでいただきたい。
俺はマイヤを無視してそのまま腰をぐっと抱き込むと、
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