295 禁酒

「それじゃあ今夜も外で泊まってくるわね。また明日よろしく~」


「ああ、遅れないようにな」


 ひらひらと手を振るセリーヌを先頭に俺たちは馬車を離れ、それをギャレットが見送る。ルモンは俺たちを見向きもせずに黙々と野営の準備を始めていた。なんだか不気味な様子ではあるけれど、二泊三日の旅なので明日までの付き合いだ。無理に馴れ合う必要もないだろう。


 今夜は昨日とは逆にニコラとティオから順番で風呂に入ることになった。そして最後に風呂から上がったセリーヌとエステルを、俺が夕食の準備が整いつつあるテーブルで出迎える。


「おかえりー。セリーヌ、お酒は何にする?」


「ただいま、いいお湯だったわ~。お酒は~……んー、今日は止めとくわ~」


「えっ……」


 俺は絶句してしまった。どうしよう、病気は回復魔法じゃ治らないはずだ。ポーションはD級までしかないけれど、果たしてそれが効くのだろうか。急いでトルフェの町を越え、領都まで行って良い医者を見つけないと――


 混乱の極みにあった俺に、セリーヌの不機嫌そうな声が届く。


「もうっ! 私だってお酒を飲まない日くらいあるわよ。野宿の最初の頃だって飲まなかったでしょ?」


「そりゃそうだけど……。でもあの時にゴネて野宿でも飲むようになったのに、どうして今日は飲まないの?」


 セリーヌが髪を指に絡ませワシワシとかきながら、もどかしそうに眉間にシワを寄せた。


「んー……。今夜なにかありそうな? 予感がするのよねえ……」


「どういうこと? 魔物や野盗が襲って来るってことなの?」


「それはわからないけど、たまーにこういう風にイライラムカムカすることがあるの。こんな時ってだいたい良くないことが起こるのよね」


『それってせい――』『お前は黙ってて』


「セ、セリーヌ、ボクらはどうしたらいい?」


 エステルが緊張に声を硬くしながら問いかけた。セリーヌはそんなエステルを落ち着かせるように軽く息を吐く。


「そうね、普段通りにしてなさい。空間感知もしているし、なにも慌てる必要はないわよ」


「う、うん……」


『ニコラ、お前の感知になにか引っかかったりしてる?』


『……今のところはなにもありませんけど。私たちなんかよりよっぽどこの手のことに慣れているセリーヌが言うんですから、気にかけておいたほうがいいでしょうね』


 セリーヌの言葉に全員がシーンと静まり返る中、沈黙を破ったのもセリーヌだ。彼女はパンと手を叩くと明るい声を上げた。


「まっ、外れることもあるし、今から気にしても仕方ないわ。だから――とりあえず夕食を食べましょ? マルク、今日のメニューはなにかしら?」


 たしかに不確かな情報にいつまでもピリピリしていたら、あっという間に疲れ果ててしまう。セリーヌを信じてこの場の空気を変えたほうがよさそうだ。俺もセリーヌの問いかけに普段と同じように答える。


「今日はニコラのリクエストでお好み焼きだよ」


 昨日少し疑ってしまったので、お詫びの意味を込めてニコラにリクエストを尋ねたのだ。そしてセリーヌもお好み焼きは大好物だったはずなんだけど……彼女は悲しそうに眉尻を下げた。


「ダメ、ダメよニコラちゃん。アレを食べるとお酒を飲みたくなってくるもの……。 ねえ、今夜は他のメニューにしない?」


「しゅーん」


 セリーヌの言葉にニコラが悲しげに俯き、そして念話を飛ばしてきた。


『こっちはもうお好み焼きの口になってるんです。いまさら食べられないなんて考えられません。ここは妥協しないでくださいよ、お兄ちゃん……!』


「うん。ニコラ、セリーヌお姉ちゃんのために我慢する。お好み焼きは明日にしようね、お兄ちゃん……」


 ニコラが顔を上げて健気に弱々しく微笑む。念話と言ってることが違うんだが――その声と仕草に胸を打たれてしまったのか、セリーヌが意を決したように拳を握りしめた。


「マルク、ありったけのお好み焼きを用意して! お酒の誘惑くらい、私の鉄の意志で断ち切ってみせるわ!」


「わあっ、セリーヌお姉ちゃんありがとう!」


 ニコラは椅子から立ち上がり、セリーヌの腰に抱きついた。どうやらニコラはセリーヌの同情を買うことに成功したらしい。抱きつくついでに風呂上がりの匂いをスピスピと嗅いでいるニコラを横目に見ながら、俺はセリーヌに念を押す。


「セリーヌ、本当にいいの?」


「いいのっ! 私の意思が変わらないうちに早くっ!」


 鉄の意志、もう変わりそうになってるじゃないか。酒に合う食事を酒抜きで食べるのは生殺しみたいなもんだし、元酒好きとしては同情してしまうのだけれど、セリーヌがそれでいいなら構わないのかな。


 そういうことならと、俺はテーブルにお好み焼きを取り出した。セカード村で買ったテンタクルスとシュルトリアの畑で採れた魔法キャベツを提供し、エステルパパのミゲルに調理してもらったものだ。


 それから間もなく夕食が始まった。セリーヌはとにかく水をお腹いっぱい飲んで、気を紛らわせる作戦のようだ。


 今になって思い出すと、初めてセリーヌと一緒に野宿したときも、食事時には水をたくさん飲んでいたような気がする。俺は当時の隠れた努力に気付き、ホロリと涙した。



 ◇◇◇



 俺はベッドに横たわり、照明の魔道具を消した。念のため明り取りの窓は土魔法でその殆どを覆い隠してしまったので月明りも入ってこない。ほぼ真っ暗な状態だ。


 目を瞑って寝ようとするが、なかなか心が落ち着かない。そりゃあそうだ。セリーヌのような手練れから、もしかしたら何かあるかも? なんて言われてグッスリ眠れるほど、俺の神経は図太くないのだ。


 しかしそれでも一時間ほど経ち、ようやくウトウトとした頃――


 ――空間感知に反応があった。


 馬車のあった方角から、結構な人数がこちらに向かってゆっくりと近づきつつあるようだ。


 俺はベッドから飛び起きた。隣のベッドのニコラも既に体を起こしている。急に布団が剥がされたことで、ぐっすりと寝入っていたティオも目が覚めたようだ。俺と違って肝っ玉が据わってるようでなにより。ティオがあくび混じりに口を開く。


「ふぁ~。ニコラちゃん……とマルクも。どうしたんだい?」


「来たみたいだよ」


「えっ?」


 俺はそれだけを言うと、すぐさま外着に着替えて靴を履く。既に絨毯は撤去済なのでなんの問題もない。後から掃除するのが面倒くさいので、出来れば家の中で靴を履く事態には遭遇したくはなかったんだけどな。


 準備を終えて部屋を飛び出す。既にテーブルの前にはセリーヌが立っており、小さな光球を浮かび上がらせながら俺たちを待っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る