267 パァン

「んっ、んんっ……はあっ、あっ、ああっ……!」


 森の中、ポータルクリスタルに片手をつき膝立ちになったセリーヌが悩ましげな声を漏らしている。辺りは肌寒く白い息を吐き出してはいるが、その体は汗でべっとりだ。……少しマナに乱れを感じるな。俺は落ち着かせるようにその背中を撫でた。


「ダメだよセリーヌ。焦らないで」


「んくっ、わ、わかってるわよ……」


 俺たちが見上げるポータルクリスタルの枝の先には、親指大の大きさにまで育ったセリーヌのポータルストーンがゆらゆらと揺らめいている。もう少しで念願が叶うというところで気が焦っているのだろう。


「セリーヌ。いつもならそろそろ帰る時間だし、今日はもう……」


「はあっ、はぁっ、お、お願い、もう少しだけ……」


「……わかった。もう少しだけだよ」


 俺は軽く息を吐くと、つないだ手に火属性のマナを送り込み続けた。



 ――それからさらに十分ほど魔力を供給しただろうか。


 さすがにセリーヌはもう限界だ。先程から短く荒い息を吐きながら、痙攣けいれんするかのように腰をビクンビクンと跳ねさせている。……もう止めさせよう。そう思った矢先だった。


 ポトッ


 柔らかい地面の上に水晶の塊がぽとりと落ちた。日差しを跳ね返しながら薄っすらと赤色に輝く水晶。セリーヌのポータルストーンだ。


「やった!」


 俺は喜びのあまり、思わずセリーヌの尻をパァンと叩く。


「はうんっ!」


 するとその瞬間、セリーヌは高い声を上げてドサリと地面に突っ伏した。どうやら今のショックで気絶してしまったらしい。アカン、やってしもた……。


『あーあー、お兄ちゃん。セリーヌに変な性癖がついたら責任を取って面倒を見てあげてくださいよ?』


 なるべくセリーヌの視界に入らないように離れていたニコラが、こちらに近づきながら念話を届ける。


『なんだか叩きやすいところにあったから、つい……』


『前にもセリーヌをいじめてましたし、お兄ちゃんってわりとSっぽいところありますよね。でもそのくらいなら私の趣味としても許容範囲内ですので、これからも精進していってくださいね~』


 ニコラはセリーヌに近づくと、しゃがみ込んでセリーヌのほっぺたをつんつんと突いた。いつもなら倒れたセリーヌを前にいやらしい顔を浮かべるニコラだが、今日は夏休み最終日の子供のような、つまらなさそうな顔を見せている。


『……それにしてもこれでエッロいエッロいセリーヌも見納めですか……。虚無感半端ないですねえ。はぁ~……』


 そういうことか。ニコラの趣味からすると、この三ヶ月はそりゃあ楽しかっただろうな。俺も魔法の練習になると知ってからは、結構楽しませてもらったけどね。その分セリーヌは恥ずかしい思いをしただろうから、承諾しているとはいえ少し申し訳ない。


『……とりあえずこのままだと風邪を引いちゃうから、早く起こそう』


 俺はセリーヌを抱えて仰向きに寝かせると、ぺちぺちと頬を叩いた。


『どうせ叩くならお尻にしたらどうですか? もうこの際やるところまでやっちゃいましょうよフヒヒ』


『やるわけないだろ。……あっ』


 セリーヌが目覚めたようだ。彼女はむくりと体を起こすと不思議そうに首を傾げる。


「……あ、あら、私また気絶しちゃったのね……。ポータルストーンが落ちてきたと思った瞬間、意識が飛んじゃったんだけど、なんだったのかしらん?」


 どうやら俺が尻を叩いたのは記憶にないらしい。よかった、どうかこのまま忘れてくれ。


「それは、ほら、ホッとして気が抜けちゃったんじゃないかな? そんなことよりもはいコレ」


 俺は話を逸らすようにポータルストーンを拾い上げてセリーヌに手渡す。セリーヌはそれを受け取ると、頭上に掲げ角度を変えながらつぶさに観察を始めた。


 俺が見る限りでは以前鉱山から脱出する時にちらっと見えた物と変わらないように見えるが、どうなのだろうか? ほんの少し手伝っただけのエステルの物はともかく、セリーヌの物には若干の不安もある。


「ふんふん……。想定外の方法で作ったけれど、どうやら質に問題はないようね。ポータルクリスタルとストーンの繋がりも感じる……。大丈夫よ、確かに完成しているわ」


 そして胸の谷間にポータルストーンを収めると、俺たち二人に向き直り笑みを浮かべた。


「マルク、本当にありがとね。お陰で三年間村に引きこもらないで済んだわ。ニコラちゃんも付き添いありがとね~」


 そう言って、俺たちの頭をぽんぽんと撫でた。


「そっか、問題なしか。ホッとしたよ。セリーヌの方こそお疲れさま。……あの、色々と恥ずかしい思いもしたと思うけど、それは僕の胸にしまっておくから……」


「バッ、バカ! こ、子供はそんなの気にしないでいいのよ! そ、そんなことより、もう用も済んだし帰りましょ? ずっとこんなところにいたら体が冷えちゃうわよ!」


 セリーヌが顔を赤くしながらすっくと立ち上がると、近くの木にかけていた防寒具を肩にかける。魔力供給中は暑くなるので脱いでいたのだが、今の季節、いつもの黒いドレスだけでは体が冷えてしまう。


 ――そう、季節は既に冬に突入した。最初の見立て通りほぼ三ヶ月はかかったけれど、それでも本格的に雪が降ってくる前にポータルストーンが完成したのである。出発の日は近い。

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