208 キュウリ畑

 屋上風呂に入った翌朝。今朝もエステルのノックの音で目が覚めた。できればエステルよりも早く起きたいところだけど、体はなかなか慣れてはくれないらしい。


 俺は隣のベッドで眠るニコラを軽く揺すって起こした後、玄関へと向かい扉を開けた。


「おはよう、マルク!」

「おはよう、エステル」


 外はまだ薄暗いけれど、エステルは相変わらずお日様のような無邪気な笑顔で俺を迎えてくれた。しかも今は上気したように頬を赤く染めており、ずいぶんと汗もかいているみたいだ。


「なんだか汗をかいてるみたいけど、どうしたの?」


「あはは、ちょっと早く来すぎちゃったんで、ぼるだりんで遊んでいたんだ」


 エステルは照れたように頬をかきながら答えた。昨日も俺が畑仕事をしている横でずっと楽しそうにボルダリングをしていたけれど、本当に気に入ってくれたようでなりよりだね。


「そうなんだ。別に早めに起こしてくれてもよかったんだよ?」


「ううん、ボクが待ちきれなくてついつい来ちゃっただけだから。マルクにはゆっくり寝ていて欲しいな」


「そっか。でも体を冷やすのは良くないからね。はい、タオル」


 アイテムボックスからタオルを取り出してエステルに差し出すと、エステルは「ありがと」と受け取って顔と首元をタオルで拭う。


「これは洗って返すね」


「ううん、ついでに洗っちゃうから返してくれて構わないよ」


「そう? それじゃあお願いするね」


 申し訳無さそうに眉を下げながらエステルからタオルが差し出された。そして俺がタオルを受け取ると、いつの間にか背後にいたニコラがそれをサッと奪い取る。


「おはよ、エステルちゃん! これはニコラが洗濯カゴに入れてくるね~」


 そう言いながらニコラは部屋の奥へと消えた。俺にはアイテムボックスがあるので、洗濯カゴなんて家のどこを探しても存在しない。一体どうするつもりだと考えたところで念話が届く。


『……スゥー。しぼりたてを堪能したら返しますから、もうしばらくゆっくりしていてくださいねクンカクンカ』


『ああ、うん……』


「……? マルク、いきなりため息をついてどうしたの?」


「ううん、なんでもない」


 俺が力なく首を振ると、エステルが何かを思い出したように声を上げた。


「あっ、そうだ! さっき畑の前を通ったら、大きな実がなってるのがあったんだけど、あれってもう食べられるの? それともまだ大きくなるの?」


「えっ、もうそんなに大きくなってるの? ……ちょっと見に行こうか」


 俺はエステルに一言告げると返事を待たずに靴を履き、寝間着のまま外に出る。急いで畑まで駆け寄ると、三種の野菜を植えている畑の中でキュウリ畑が青々と生い茂り、たくさんのキュウリが大きく実っているのが見えた。


 普段なら明日くらいに実がなるはずなんだけど……、これはポーション残り湯の効果なのかもしれない。


 とりあえず実食してみよう。俺はキュウリを一つもいで軽く水魔法で洗って二つに折る。パキッっと心地よい音が聞こえた。


「味見してみようか。はい、エステル」


 俺の後を付いてきたエステルにキュウリを手渡す。しかしキュウリを受け取ったエステルの様子がおかしい。キュウリを触って感触を確かめたり、断面を不思議そうな顔で見ている。


「どうしたの?」


「これってマルクの町ではよくある野菜なの? どうやって食べたらいいのかな」


「もしかして、この村では育てて無いのかな?」


「うん。少なくともボクは見たことないね」


 確かにこれまで物々交換を見ている限り、キュウリを見たことは一度もなかった。


 とはいえファティアの町ではキュウリの需要はトマトやキャベツほどは無かったし、この村で見かけなくても特に不思議には思ってなかったんだけど、どうやらキュウリはここでは珍しい野菜のようだ。


「そっか。そういうことならちょっと待ってね。せっかくだから美味しい食べ方をしようか」


 俺はアイテムボックスからまな板と包丁を取り出すと、エステルに返してもらったキュウリを縦に六分割にして再び手渡し、マヨネーズの小瓶を取り出す。


「一本づつこの瓶の中のソースに付けてから食べてみるといいよ」


「う、うん。それじゃあ食べてみるね」


 エステルは小瓶にキュウリを突き刺してゆっくりと取り出す。そしてたっぶりとマヨネーズのかかったキュウリを不思議そうに見つめた後、それをパクリと口に含んだ。


 ポリポリと軽い音を鳴らしながらエステルがキュウリを咀嚼していく。そして一言。


「おいしいね!」


 エステルの顔を見るとお世辞じゃないのはすぐにわかった。続けて二本目を食べ終わったエステルが三本目を小瓶に刺しながら少し興奮気味に語る。


「独特の噛みごたえと、この白いの? が甘くて酸っぱくて、食べたことのない味がする! これなら何本でも食べられそうだよ!」


「喜んでもらえてうれしいな。これって物々交換の品になると思う?」


「十分いけるよ! かなり人気が出そうだね。珍しいし、美味しいんだもん」


 ふむふむ、なるほど。


 ……実はこの村で野菜で生計を立てようと思ったときに一つ問題があった。


 自分で言うのもなんだけど、俺の作った野菜は本当にウマイ。だから村の方々が売り出しているのと同じ野菜を売り出した結果、俺の野菜ばかりが売れるようなことにでもなれば、住民の反感を買うかもしれないと対策を考えていた最中だったのだ。


 エステルの反応を見る限り、これは渡りに船かもしれない。


 よし決めたぞ。この村でキュウリとマヨの伝道師に俺はなる!

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