197 出汁

 とりあえずニコラと話しながら俺の家へと歩いた。夜空を見上げると眩しいくらいの明るい月が浮かんでいるが、その月明かりは森の木々に遮られ足元は薄暗い。俺は光球を作り出し、けもの道を照らしながら進む。


「……俺はてっきり向こうに泊まるもんだと思っていたけど。セリーヌたちとベタベタしたかったんじゃないの?」


 するとニコラは息を吐きながら、欧米人並に肩をすくめてみせた。……なんだかイラっとするな。


「やれやれ、お兄ちゃんは本当にわかっていませんね。某悪魔超人も言ってたでしょう? カツだけじゃなくて間、間にキャベツを挟めって」


「はあ。俺がキャベツってことですか」


「ええ、そんなところです。このままずっとセリーヌとエクレインママを堪能し続けると贅沢に慣れてしまいますからね。この辺でワンクッション挟むことで、いつまでも新鮮な気持ちで楽しむことができるのです」


 得意げに胸を張りながらニコラが続ける。


「それにですね、お兄ちゃんが一人暮らしに慣れるのもよくありません。私としては、私が常に家に居る状態をデフォにして慣らした上で、将来は『お前が家にいないとしっくりこないんだ。働かなくてもいいからどうか一緒に住んでくれないか?』と要望されて、王者の貫禄をまといながら正々堂々と寄生するのがベストなのです」


「いや、そんなの絶対言わないからね?」


「更に! まだありますよ! エステルとも仲良くなったんでしょう? これからは度々お家に遊びに来てくれそうじゃないですか。今後はお兄ちゃんのお家が私のホットスポットになるヨカンがします」


「お前のホットスポットになるかはともかく、明日は朝にウチに寄ってもらってからお前を迎えにいくつもりだったし、部屋に飾る花も持ってきてくれるよ」


「フヒヒ、仲が良さそうでなによりです。彼女は勘が鋭そうでお触りは厳しいと思っていたんですけど、どうやら懐に入り込むと甘いみたいですし、私も友達になって、いっぱいしたいですねえ……」


 そう言ってニチャアと笑ったニコラに、俺は冷たい現実を突きつけることにする。


「俺もニコラと友達になるように勧めてみたんだけど、友達は俺とセリーヌ二人で十分と言われたぞ」


「えっ、マジですか……」


 ニコラが絶望に顔を暗くしながら呟いた。


「マジだよ。……まぁ、それはともかく、ポツンと一軒家に一人で住むより連れがいたほうが俺も退屈しないし、泊まりたいなら好きにしたらいいよ」


 俺だってセリーヌに気を遣った結果こうなっただけで、どうしても一人で住みたいだけではない。


 退屈は魔法の練習でもしていれば紛れるけれど、四六時中やってるわけにもいかないし、この世界には暇を潰すテレビもネットもない。それにニコラの空間感知は俺より優秀なので、何かあった時には知らせてくれることだろう。


「わぁい。ありがとうございまーす」


 コロっと顔色を元に戻したニコラが喜びを表現しているのか、俺の周りをくるくると回り始めたところで俺の土地に到着した。


 俺は周囲を囲う杭を一本消し、俺とニコラが中に入ってから再び作り直す。その時にふと疑問が芽生えた。


「あれ? 俺を迎えに来た時って、どうやって入ってきたの?」


「出て行ったエステルと一緒ですよ。私を担いでセリーヌがポーンと上に飛び上がりましたよ」


「へえー。冒険者ってほんと半端ない運動神経だなあ」


「セリーヌの場合は風魔法の力も借りてるようでしたけどね」


 なるほど、風魔法の力か。俺も風魔法を練習すれば軽く飛び跳ねたり、もしかすると浮かんだりも出来るようになるんだろうか。力加減が難しそうだから、ヘタに自分の体で試すと風縛ウィンドバインドを使った時のように、空中でグルグル高速回転するハメになりそうだけど。


 俺は家よりも先に畑へ向かうと、アイテムボックスからジョウロを取り出した。


「先に畑に水を撒くから少し待ってて」


「そういえば、なんで足湯なんかやってたんです?」


「ポーション入りの残り湯を畑に撒いて再利用しようと思ってね、お湯を冷やしてたんだよ。足湯はそのついで。旅に出る前に畑で使う水にポーションを入れることを思いついたんだけど、結局効果があるのか分からないまま出発したし、こっちでも試そうと思うんだ」


「フーン。ちなみに誰の残り湯です?」


「セリーヌだよ」


「ほほう、セリーヌの全身とエステルのおみ足の出汁が溶け込んだ水ですか」


 ニコラが浴槽に入った水を興味深げにじっと見つめる。


「変な言い方は止めなよ。まさか飲んだりしないだろうな……」


「なに考えてるんですか、さすがに飲んだりしませんよ。ただ、これから育つ野菜はセリーヌとエステルの出汁を目一杯吸い込んでスクスクと成長するんだなあと思うと、既に味が三割増しくらいに感じませんか?」


「いや、別に。あと俺も入ってるからね」


「そっちはノーカンなんで」


「ああ、そう……。それじゃ水撒くからねー」


 俺は変態との会話を打ち切ると、アイテムボックスにすっかり冷えた残り湯を収納する。ニコラの話を聞いたからなのか、ラベリングは《セリーヌ エステル マルクの出汁 E級ポーション入り》になっていた。やめてくれよ……。


 残り湯を収納した後は、それを少しづつジョウロに注ぎながら畑に水を撒く。今はまだ土しか見えない畑だが、しばらくすればにょきにょきと芽を伸ばし、いずれ美味しい野菜をたくさん育んでくれることだろう。一面が緑に覆われた畑を想像するだけでも何だか楽しい気分になってくる。


 今までの経験上トマトとキャベツが一週間、キュウリは三日、セジリア草+1は半月ほどで収穫できると思う。まずはキュウリから物々交換デビューすることになりそうだ。



 水撒きが終わりジョウロを片付けると、手伝いますの一言もなくしゃがみ込んだまま俺の水撒きをぼへーっと眺めていたニコラに声をかけた。


「おまたせ。それじゃあ家に案内するよ」


「はーい。それにしてもお兄ちゃん、畑に水をやりながらニヤニヤするのは止めたほうがいいですよ」


 未来の畑を想像しながら浮かれていたのが顔に出ていたらしい。畑に水を撒きながらニヤニヤする八歳児……。うん、気持ち悪いな。


 俺はニコラの忠告を胸に刻むと、四角い建物に一箇所だけある玄関の扉を開いてニコラを招き入れた。


 窓もなく、テーブルと椅子、ベッドのみの灰色の空間を見たニコラからは一言。


「え? ここって牢屋ですか?」


 との感想をいただいた。

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