93 お化粧直し
ギルに一言物申して少しだけスッキリした後、厨房に戻るとエッダに声をかけられた。
「マリーちゃん、そろそろ休憩に行ってね」
「疲れてないし大丈夫だよ」
「ダメよ。お化粧直しもしないといけないしね」
俺の顔をじっと見ながらエッダが言った。うーむ、休憩は別にいらないけど、化粧直しはやっとかないとマズそうな気がする。女装バレは避けたいところだよ、マジで。
「そういうことなら行っておこうかな」
「行ってらっしゃい。お化粧直しは今控え室にいる子にやってもらってね」
「はーい」
俺はエッダの言われるがままに控え室の方へと向かった。
◇◇◇
控え室に入ると、休憩中の数人だけでほぼガラガラのような状態だった。今は屋上でお姉さん方がフル動員されているからだろう。
ニコラは長椅子に横になりながら、ロングヘアのお姉さんに膝枕をされていた。寝てるのか起きてるのか分からないが、顔がとろけているのだけは確かだ。正直ちょっとうらやましい。
「あのー、休憩とお化粧直しにきたんですけど、誰か僕にお化粧をしてくれませんか」
「はいはーい、私がするね」
丁度自分の化粧が終わったらしく、鏡の前で化粧箱を閉じたばかりのお姉さんが立候補してくれた。顔を見ると夕刻の開店前に応対してくれた、若くて胸が大変ご立派なお姉さんだ。
「ふふ、出会った時からきっと可愛くなる素質があると思ってたんだよねー。私があなたを妹ちゃん以上の女の子にしてあげるわ!」
「いや、お化粧の崩れそうなところを直してくれるだけでいいんですけど」
「そうなの? 残念ねー。それじゃあここに座ってね」
お姉さんが自分の座っている隣の椅子をポンポンと叩いた。
俺が隣にお邪魔するとお姉さんが化粧箱を再び開け、俺に寄り添うように近づくと化粧を施し始めた。
ふいに甘い香水の匂いが鼻をくすぐる。カミラと同じ香水の匂いだ。そして俺の腕には柔らかいなにかが当たっている。つきたてのお餅でも持っていたのかな? とても気持ちいい。
「目の辺りをやっちゃうから、ちょっと目を閉じててねー」
言われた通りに目を閉じると、途端にこれまでの疲れがどっと降りてきたように感じた。どうやら俺もずいぶん疲れていたらしい。
しばらくするとお姉さんは俺の後ろに回ったんだろうか、柔らかいものが首を挟むようにふよんと乗っかった。
首筋を柔らかく温かいものに包まれ、周囲からは甘い匂いが漂う。目を閉じてそれだけを感じていると、どんどん眠気がこみ上げてきた。もう目元は終わったようなので目を開けてもいいんだろうが、開ける気にならなかった。頬をくすぐるメイクブラシも眠気を誘う。
「んー? 眠いなら寝ててもいいよー」
「……ふぁい」
ここで俺の意識は途切れた。
◇◇◇
――目を開くと目の前の視界の半分は天井、半分は山で覆われていた。どうやら俺は仰向けに寝ているようだ。後頭部には何やら柔らかくて温かいものを敷いている。
「……あの、僕どれくらい寝てました?」
「ふふ、おはよー。まだまだ休憩時間内だよ? もう少し寝てていいよ」
や、山がしゃべった! いや山じゃない、お姉さんの胸だ。わかってたけど。
どうやら俺はすっかり寝てしまい、椅子を横並びにしたお姉さんに膝枕をされていたようだ。
「いや、起きます」
名残惜しいが、太ももと胸の間の桃源郷から抜け出し椅子から降りる。
「せっかくお化粧をしてくれていたのに、寝ちゃってごめんなさい」
「ううん、いいんだよ。いやー、実家の妹のことを思い出しちゃったね」
そこは弟であって欲しかった。お姉さんは俺のウィッグをブラシで丁寧に梳くと、顔をじっと見て頷く。
「よし、大丈夫だね。それじゃあお仕事がんばってね!」
お姉さんが俺の背中をポンと叩いて送り出す。俺はお姉さんに礼を言い化粧室を後にした。
『巨乳お姉さんは私が狙っていたのに……』
なにやら邪念波が聞こえたが気のせいだろう。
◇◇◇
仮眠をしたことで、さっきまでより体のキレがよくなった気がする。精力的に仕事を行っているうちに、兵士たちが予定している滞在時間の半分が過ぎた。この辺で隠し玉のポテトサラダを投入する手はずとなっている。
さっそくパメラと手分けしてアイテムボックスから取り出したポテトサラダを盛り付け、屋上へと向かった。
屋上では兵士たちが変わらずお姉さん方とお酒と会話を楽しんでいる様だが、話の種が尽きないとも限らない。ここらでポテトサラダもその手助けになれば嬉しいね。
俺は奥のテーブルから、パメラは手前からポテトサラダを配ることにする。
一番奥のモリソンとカミラがいるテーブルには、カミラを挟んでモリソンの逆側にさっきまでは見なかった男が座っていた。おそらく途中で席を変えたんだろう。
「失礼します」
テーブルにポテトサラダを置くついでに何となく男の方を見ると、他の兵士はつけていた左手首の細い銀色の腕輪が無かった。あれ? 兵士のドッグタグ的なものだと思ったんだけど違うのかな?
思わず顔を上げて男の顔を見る。癖のある金髪を無造作に流したイケメンだ。モリソンよりは若いが三十歳過ぎくらいだろうか。
するとイケメンと目が合った。おっと不躾に見ては失礼だな。目礼してテーブルを去り、周囲のテーブルにポテトサラダを配り終える。そして屋上から引き返そうとすると、イケメンのテーブルから声が聞こえた。
「カミラさん、あの子は席についてはくれないのかな?」
なに言ってるんだコイツ。思わず振り返り、イケメンのいるテーブルを見る。カミラは申し訳なさそうに答える。
「ごめんなさい。まだ見習いなので……」
そうだそうだ。俺がどうして男に同席せねばならんのだ。なによりこんな店に来ておきながら、八歳児と話をしてどうするんだ。
「ははっ、見習いなのはさすがにわかるよ。でも仮に粗相をしても絶対に怒ったりしないからさ、誓うよ。だから少しだけお話させてよ」
「そういうことなら……。マリーちゃん、お願いね」
あっさりとカミラが陥落した。もう少し粘って欲しかった。
かよわい八歳児にこれ以上の無茶振りはやめてほしいところだけれど、店主と客の意向となれば仕方ない。俺は渋々ながらイケメンの隣の席に座った。
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