90 夜のアイリス

 ニコラと共にアイリスに着いた頃には、日もすっかり沈んでいた。


「ごめんくださーい……」


 まだ閉店中の吊り下げ看板が掛かったままの扉をそっと開けると、何度か訪れた時とはまた違い、薄っすらと照明が灯された雰囲気のある店内。


 テーブルを拭いていた、まだ十五歳前後のきわどいドレスを着たお姉さんがこちらに気づく。拭き掃除のためにかかんだ胸元は、胸がこぼれそうでこぼれない絶妙なバランスを保っていた。まだお若いのに大変立派なものをお持ちですね。


「すいませーん、まだ開店前で~……って、……ああ、あんたたちがカミラママの言っていたマルク君とニコラちゃんかな?」


「うん、ニコラだよ!」


 高ぶるテンションを隠し切れないニコラが、珍しく俺を差し置いて挨拶をした。


「やだ、すっごいかわいいんですけど。カミラママー、マルク君たちがきたよー」


 お姉さんがカウンターに向けて声を上げると、カウンターの奥からカミラが姿を見せた。


 こちらも昼に会ったときとはまるで印象が違った。化粧もバッチリとして胸元を強調したドレスで着飾ったカミラは圧倒的な存在感を放っている。ギルがのぼせあがるのも納得の美女だね。


「二人とも今夜はよろしくね。それからパメラが昼食をごちそうになったって聞いたわ。本当に母娘ともにお世話になってばかりで申し訳ないわね」


「ううん、気にしないで。パメラは友達だから。それにお手伝いはニコラも楽しみにしていたしね」


「あら、そうなの? ニコラちゃん」


「お姫様みたいなお姉ちゃんがいっぱいいて楽しい!」


「ふふ、それなら今夜はお店の子みんな呼んでるから、きっと一番楽しい日になるわよ? それじゃあ営業時間まで、あっちの部屋で待っててくれるかしら。パメラを呼んでくるわ」


 カミラはそう言うとカウンターの向こう側にある部屋に俺たちを案内した。どうやら控え室になっているようだ。


 ひときわ照明の明るいその部屋の壁にはいくつもの鏡が備え付けられており、それとセットになるように長机と椅子が並べられていた。


 そして部屋の中ではたくさんのお姉さん方が鏡の前で化粧をしたり、話し込んだりしている。カミラの言った通り店員さん全員集合のようで、人口密度もかなり高い。


「おじゃましまーす……」


 そう言いながら控え室の中に足を踏み入れると、香水やら女の人の体臭やらが入り混じった、なんとも複雑な匂いが漂ってきた。これが俗に言う女子更衣室の匂いってやつなんだろうか。もちろん嗅いだことはないけど。


 っていうか、俺の前で平然と着替えとかしてるんだけど、俺ここにいていいのかな……。さすがに下着を脱いだりまではしてないけどさ。


 ニコラがうっとりとした顔で部屋中を眺め、


『……お兄ちゃん、ここは天国ですか?』


『いやお前は天国を知ってるよね!? ここは違うよ?』


 向こうは俺が子供だからか特になんとも思ってないみたいだけれど、俺としてもウッホホーイ! ラッキースケベだ! という気分にはならず、ただただ罪悪感の方が大きい。


 今からでも厨房に避難しようかと考えていると、普段よりも着飾ったパメラがやってきた。軽く化粧もしているようだ。皿を下げたりとかでお客さんの前に出ることもあるので、しっかり着飾る必要があるんだとか、この間言っていたな。


「マルク君、ニコラちゃん、今夜はよろしくね」


『ほら、お兄ちゃん。こういう時のマナーくらいは分かりますよね?』


「あ、うん。パメラ、服似合ってるね。かわいいよ」


「へひゃう!? あ、ありがと……」


 パメラはいつものように真っ赤になって俯き、それを聞いた周囲のお姉さん方もヒューヒューと囃し立てる。おいニコラ、なに一緒になってヒューヒュー言ってんだ。


「ええーっと。……それで、僕らはこれからどこに行けばいいのかな?」


「……あっ、えっと、厨房でお料理を出してくれればいいって。それでね、あとね、その……」


 パメラが何やら言いにくそうにもじもじとする。


「もしかしたらお料理を運ぶ手が回らなくて、そっちも手伝ってもらうかもしれないの」


「ああ、そんなの普段も家でやってるし構わないよ」


「えっと、それで、それでね……」


 パメラが更に言いにくそうに目を伏せる。


「ここは女の子のお店だから、男の店員さんがいたらいけないの。それで、その……、マルク君に女の子になってもらう必要があって……」


「え?」


 そこまで言うと、いつの間にやらパメラの背後からお姉さん方が現れた。彼女たちの手にはパメラの物と思われる衣装と、ウィッグや化粧箱がある。ええと、これってもしかして……。お姉さん方の一人が俺をじっと見つめる。


「ふんふん、こっちの妹ちゃんはちょっと別格だけど、お兄ちゃんもかわいい顔してるじゃない? これなら十分女の子でごまかせそうね!」


「うんうん」

「いけるね!」


 お姉さん方が顔を合わせて話し合っている。


「あ、いや、そういうことなら、ニコラが僕の分も働くだろうし、僕は厨房で――」


 するとニコラが俺の腕をしっかりと掴んで、


「ニコラもお兄ちゃんと一緒じゃなきゃやだもん!」


 いやお前、口元ニヤついてますけど?


 お姉さん方がにじり寄る。


「そういうことみたいだから、マルク君? 観念しようっか」


 パメラが頭を下げる。


「マルク君、ごめんなさい……。それと、きっと似合うと思うから大丈夫だよ?」


 ニコラが俺にしがみつく。頼む離してくれ。


「お兄ちゃん、一緒にがんばろうね!」


 せめてニヤつくのをやめろ。


 じりじりとお姉さん方が詰め寄り、俺は部屋の隅に追いやられた。


「えっ、ウソ。マジでやるの? ウソだと言ってよおおおおおおおおおおお!」


 俺の絶叫が控え室に響き渡る。――そして、ここには俺の味方は誰もいないことを知った。



 ◇◇◇



 こうして俺は服を剥かれて下着姿となり、たまにお姉さん方のおもちゃになりながら女装させられたのだった。


 もうおよめにいけない。

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