59 二日酔い

 翌朝、目が覚めるとニコラが横で寝ていた。なんとなく顔をじっと見つめてみる。目鼻の整った顔立ちに長い睫毛、つややかで美しい金髪。顔だけを見るとまさしく天使といった様相だね――中身の方はともかく。


 なんとはなしにため息をつきながら、ニコラを起こさないようにベッドから抜け出る。隣を見るとデリカの方のベッドはもぬけの殻。どうやら既に起きているようだ。


 部屋を出て厨房に出向くと、サンミナママが朝食を作ってる最中で、デリカもその手伝いをしていた。目玉焼きとハムの匂いが食欲をそそる。俺に気づいた二人がこちらに顔を向けた。


「あら、おはようマルク君」

「おはようマルク!」

「おはようー」


 サンタナと村長はとっくに農作業に出かけ、ゴーシュはまだ寝ているらしい。結構飲んでいたし、もう少し寝かすつもりのようだ。


「それより昨日のお風呂、すごかったわ!」


 一通りの会話を終えると、昨日よりもツヤツヤのテカテカになっていたサンミナママが喜びの声を上げた。


「見て、こんなにお肌がつるつるしてるのよ! 手のカサカサも治ってるし! はぁ~、お風呂ってあんなに良い物だったのね。私も習慣にしようかしら」


 手のひらを俺に見せながらサンミナママが小躍りしている。お風呂信者が増えるのはいいことだけど、誤解は解いておかねばなるまい。


「お湯を浴槽に入れるだけなら魔道具でできると思うけど、昨日のお湯はちょっと特殊なのを使っていたんだ。だから、同じ効果は無理かもしれないよ」


 さすがに金貨十枚分のポーションが入ってたことは内緒にしておこう。


「あら、そうなのね。残念だわ。……うーん、それじゃあ、またウチに泊まりに来たときにでも、ご相伴にあずかるのは構わないかしら?」


 サンミナママがにっこりと、それでいて目だけは有無を言わさぬ雰囲気を纏いながら俺に尋ねる。


「そ、それはもちろん。次に来た時も同じ物を用意するね」


 その迫力に思わず次の訪問を約束してしまった。とはいえきっとテンタクルスを定期的に買いに来る必要があるだろうし、むしろその時に泊めてくれるのならありがたいことなのかもしれない。


「あー私も入りたかったなー。起きて待ってれば良かったわ」


 話を聞いていたデリカが残念そうに呟く。


「親分は自分の家に僕が作ってあげた浴槽があるじゃない」


 いつ頃だったか浴槽のことを話したら、親分命令で浴槽作成をお願いされたのだ。そういやあの頃から少しづつ女の子らしくなってきた気がする。


「だって昨日はお風呂だったんでしょ?」


 ポーション風呂の効能を確かめようとデリカにモニターをしてもらったことはある。俺とサンミナママとの会話ですぐに気づいたのだろう。


「それじゃ今度また体験会でもやろうか。今育てている新しい薬草が量産できたら、そっちも試してみたかったんだ」


 そう言うとデリカが俺の手を握り満面の笑みを浮かべた。


「本当!? ありがとうマルク!」


 よっぽど嬉しかったらしい。その喜びっぷりに苦笑を浮かべていると、サンミナママがこちらを見て微笑んでるのが視界に映った。こっちにもおすそ分けしたほうがいいかな。


「え、ええと、おばさんには入浴剤1セット分あげるね」


「ううん、いいわ。きっと何度も入りたくなっちゃうもの。はしゃいでるデリカちゃんがかわいくてついつい見ていただけ。ウチの末っ子も、もう少し親元に置いておきたかったんだけど、さっさと結婚しちゃったから懐かしくてね」


 それを聞いて照れてしまったらしいデリカは俺の手をパッと離すと、


「と、とりあえず昨日のお風呂そのままにしているみたいだから、帰る前に片付けておかないと駄目だからね!」


 などと急に親分風を吹かせ始めた。こういうときは逆らわないに限る。俺は「はぁい」と返事をすると、そのまま家の外に出ることにした。



 外に出た俺は、まずは朝の空気を思い切り肺の中に吸い込んだ。


 前世に比べると今住んでいるファティアの町の空気は十分心地よく思えたが、ここはさらに別格だ。湖が近いので風の通しがいいのも関係してるんだろうか。


 それから水魔法で作り出した水で顔を洗い、昨日の風呂の場所へと向かう。


 ニコラが後片付けをするはずもなく、風呂小屋は昨日のままの姿でそこにあった。まずは残り湯をアイテムボックスに収納する。そのままにしたら泥だらけになるからね。


 残り湯を収納すると、脳内に残り湯のラベルが浮かんだ。


《幼児と熟女の残り湯》……なんなんだよ、このラベリングは……。


 自分の能力に呆れながら、とりあえず残った浴槽や小屋をすべてを砂に分解する。このマナを含んだ砂を畑に撒けば多少は農作物の育成の助けになると思われるので、あとでサンミナママに伝えておこう。


 風呂の片付けが終わり玄関の方に戻ると、ゴーシュがデリカに付き添われながらフラフラと外に出てきた。


「ううっ……、頭が痛てえ……」


「もうっ! 父さん、今日帰るのにそんなので大丈夫なの!?」


「大声出さないでくれ、頭に響く……」


 やはりというか二日酔いのようだ。俺も前世ではよく飲んでいたので、その辛さはわかる。


「ゴーシュおじさん、これあげるよ」


 瓶入りのE級ポーションをゴーシュに差し出した。


「……ん? ポーションなんて持ってたのか。すまねえなマルク、町に帰ったら返すからな」


 そう言いながらゴーシュが一気にポーションを飲み込むと、呆れ顔でデリカがボヤいた。


「二日酔いでE級ポーションを飲んだなんて、母さんが聞いたら怒るわよ」


「ぶっ……、ゲホッゴホッ! ……E級!? F級じゃないのかコレ」


 あやうく吹き出すのをこらえたゴーシュが、咳き込みながらポーションの瓶を指差す。


「家の庭に生えてる薬草から作ったものだし、たくさんあるから気にしないで」


「薬草って家の庭に生えるようなもんだったか……? ま、まあいいか。それじゃあありがたくもらっておくけど、お前のウチの宿屋で何か壊れでもしたら俺に声かけてくれよ。この時の礼をするからな?」


 魔法の訓練の副産物みたいなもんだから気にしなくていいのに、気を使わせてしまったかもしれないな。簡単に作れるのに金貨1枚もするのが悪いのだ、多分。


 そんなことを考えてる間に効果が出てきたらしい。ゴーシュの顔色がみるみる良くなっていく。


「お、おお……、もう治ってきた! E級ポーションは初めて飲んだけどすごいな!」


 前世の二日酔い対策ドリンクなんかよりずっと良く効くんだろう。これが前世にあったなら、俺は二日酔いで外回り中にゲロを吐くこともなかったんだろうな……。


 俺が悲しき思い出に蓋をして、その場で背伸びや屈伸をやりだしたゴーシュを生暖かく見守っていると、玄関からようやく起きたらしいニコラがやってきた。


「お兄ちゃん。朝食の準備ができたよー!」


 それじゃあ朝食をいただこうか。朝食の後はいよいよテンタクルスの買い出しだ。

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