第9話


「ふぅ……」


 自室に戻るや否や、一時間ほど前と同じようにベッドに腰を掛けて一息ついた。

 ご飯を食べてお風呂に癒されに行ったはずなのに、なぜか余計に疲れた気がする。気疲れというやつだろうか。

 もちろんご飯はおいしかったし、お風呂もとても広いものを独り占めできてやりたい放題にしていた。思いっきり水を被ってみたり、湯船の中を泳いでみたり。

 ……思い返してみると、確実にお風呂で泳ぎ回っていたのが原因だった。


「まあいいや。寝よーっと」


 自分の無邪気さをごまかすように、わざと声に出してベッドに潜り込む。

 田舎から出てきた小娘のような自分の言動が、今になって恥ずかしくなってきた。

 ……いや、実際のところも概ねその通りなのだが。

 そのことを忘れるように、無理矢理目を瞑る。やはり疲れていたのか、目を瞑ってからまもなくすると、静かに眠りに落ちたのだった。




「リリ。いるか?」


 それからしばらく経ち、扉を叩く音と私の名前を呼ぶ声に呼び覚まされるように私の意識が現実へと帰ってきた。


「はぁい……」


 寝ぼけながら、音のする方へと歩いていく。

 扉を開けると、そこには大人の女性が立っていた。


「……おかあさん?」

「ふむ。私は君の母親ではないはずだが」


 聞き慣れていない声。

 よく見ると自分の家じゃないような……


「……」

「目が覚めたかな?」


 視界が確かになっていく。

 私の前に立つ女の人は、決して私の母親なんかではなく、白衣を着た凛々しい女性だった。

 ベッドで眠るのなんて家にいた時以来だったので、うっかりしてしまったのだ。


「その……」

「目が覚めたかい?私はラディーナ。君の上司に値する者だ」


 そうではないかと思っていたが、やはりこの人がラディーナ・ローズマリア───ラディーナさんだった。

 私は憧れの人と、最悪の初対面を遂げてしまったらしい。


「えっと……リリです」


 慌てて挨拶を返すと、ラディーナさんはニコニコしながら頷いた。


「知っているとも。手紙は読んでくれたかな?」

「はい……」

「よろしい。では私の研究室に案内しよう」


 私の失言を全く気にしていない様子のラディーナさんは、そそくさと歩き出してしまった。

 爆発しそうなほどに帯びた熱を少し冷ましてから、慌ててラディーナさんの後を追う。ラピスの外に出ると、すでに日は落ち始めているようだった。

 ラディーナさんはそのまますぐ王城に入り、入口付近の部屋に入っていった。


「ここが私の研究室だ。入口に近くて便利だろう?……まあ、あまり王族の部外者を奥まで入らせないためだろうがね」


 ラディーナさんは、淡々とした顔でそう言った。


「まあ、とにかく座ってくれ」


 ラディーナさんは、向かい合わせになっている机の片方に座って、もう片方を指し示した。どうやら、そこが私の席らしい。

 机の上にはまだ何もなく、本や紙が積み上げられたラディーナさんの机とは対照的だった。

 私が席に着いたことを確認すると、ラディーナさんは改まって口を開いた。


「さて、助手に任命してから初めて対面するとはなんとも不思議な制度だが……まあいい。先程の様子だと、まだまだ穢れを知らない田舎娘のようだしね」


 ラディーナさんが、私をからかうような顔で見つめてくる。


「あの、その話は勘弁してください……」


 私は再び恥ずかしくなってきて、ラディーナさんの方を向けなくなってしまった。


「ふふ。褒めているのだよ?人は素直なほど良いものだ。……腹の内を探り合う時間など、私にとっては時間の無駄でしかないからね。そのちんちくりんな体の内に黒いものを潜ませていたらと、今日までひやひやしていたものだよ」


 ラディーナさんのその言葉で、私は威勢を取り戻した。


「ちんちくりんじゃないです!」


 いつの間にか近づいてきていたラディーナさんが、嫌がる私の頭をぐりぐりと撫でてきた。


「やめてくださいよぅ」


 この人は、人をからかわないと気が済まないのだろうか?私だってもう少しで140cmの大台に乗れるのだ。決してちんちくりんなんかじゃない。……多分。


「おっと……これは失礼。でも、君が合格したのはそのちんちくりんな体型のおかげなのだよ?」


 私がラディーナさんの手から逃れるように頭を振っていると、ラディーナさんが聞き捨てならないことを言い出した。


「……どういうことですか?」


 私が怪訝な顔を向けると、ラディーナさんは一つ咳払いをした。


「うむ。それを説明するには魔法が何たるかから説明する必要があるな。まずは、魔法の発現方法からだが───」

 真面目な話を始めたラディーナさんに対して、慌てて私も頭を切り替えて話に耳を傾けた。




「───つまり、魔法を発現させるには、骨格となるデバイスとエネルギー源となる魔核が必要だということだ。どういう原理かはさっぱりわからない。まあ、今はとにかく魔法の存在の証明の方が先決というわけだ。そして、私が今解明できているのが……このデバイスになる」


 十分ほどかけて軽く一通り魔法について解説したラディーナさんは、研究室の奥から拳より一回りほど小さい球状の物体を持ってきた。


「このデバイスは、損傷した部位を元通りに再生させることができる魔法のものだ。あくまで私の解析結果では、だがね」


 ラディーナさんがそのデバイスに力を籠めると、空気が抜けるような音と共にそのデバイスが上下に分かれた。


「ここだ。ここに魔核を埋め込めば、魔法を発現させることができる」


 デバイスの中心部には空洞になっている場所があり、その空洞部の表面は青白く光っていた。


「魔核には数種類あるらしいが、光っている色で見分けがつく。このデバイスを動かすには、青白く光った魔核が必要だということだ」

「……なるほど」


 ラディーナさんの説明はとても丁寧でわかりやすかったが、それと私がちんちく───私の身体的特徴との間に何が関係しているというのか。

 それを問うと、ラディーナさんはついに本題だと言わんばかりにトーンを上げて答えた。


「要は今の私の目標は魔核を見つけることだ。そして、その目途もついている。だが、私が通るには小さすぎるのだよ」

「……小さすぎる?」

「ああ。通り道がね」

「……」


 なんとも腰が抜ける話だった。

 つまり、私はその魔核を取るためだけに採用されたのだろうか。


「壁を壊せるのなら話は早いのだが、遺跡の壁はどんな物を使って削ろうとしてもびくともしないからね。それに、あの島に子供を連れていくわけにもいかないし、魔核を採集するのにもかなりの知識が必要になる」

「……なんか、ショックです」

「おいおい、リリのことを認めているのは本当だよ?リリの書いた小論文は、私を満足させるに足るものだった……それに、私はどこぞの馬の骨に研究を手伝わせられるほどプライドのない人間じゃない。むしろ、プライドにまみれたような人間だ。リリの体が目当てじゃないといえば嘘になるが、そんなものは儲けもの程度の話だよ」

「だといいですけど」


 私が拗ねたようにそう言うと、ラディーナさんは一旦間をおいてから再び真剣な表情に変わった。


「───それに、リリには覚悟があるのだろう?あの島を探索するということの意味を知ってもなお、この道を選んだのだからね」


 ラディーナさんの紅い瞳が、私の心を射抜く。まるで私のことを見定めているような、鋭い視線だ。

 ラディーナさんが放つ緊張感の前に、私は口を開くことができなかった。

 あの島を探索するということの意味。

 そのことは、もちろん知っている。

 人が、死ぬということだ。

 研究者を守るために、護衛たちはその身を盾にする。

 一回の探索で護衛が半分生き残れば大成功だといわれるほどに、簡単に人が死ぬ。

 私のために、知らない人が何百何千と死ぬということだ。

 黙り込む私を見て、ラディーナさんはふっとその張り詰めてくるような視線をほどいた。


「その様子なら、問題はなさそうだね」

「……」


 手汗を握ることしかできなかった私のどこが問題なさそうだというのだろうか。

 確かに私は、それを知ってもなおこの道を選んだ。

 だが、それは覚悟ができたからではない。むしろ積極的に考えないようにしてきたことだ。

 当たり前だろう。自分のために人が死ぬなんて、想像もできないことだ。覚悟なんて、しようもない。

 そんな風に自分に言い聞かせていた私に、突然ラディーナさんが今後の予定を発表した。


「というわけで、一週間後には探索に行くことになる」

「……え?」

「リリ次第では考え直す必要があったが、そうならなくて安心したよ。今日から一週間はみっちり知識をつけてもらうから、覚悟しておくように。では今日は解散としよう。……ああ、これは研究室の合鍵だ。自由に使ってくれ」


 呆けた私を置き去りにして、ラディーナさんが研究室を出て行った。

 ……一週間後に探索に出かける?

 まだ研究者になったという実感すらないのに、そんな簡単に決めてしまったいいものなのだろうか。

 しかし、ラディーナさんが行くといった以上、私にはそれを断ることなどできない。

 私は机の上にぽつんと置かれた合鍵を眺めながら、ただただ茫然とすることしかできなかった。

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