第150話 霧の都

ナギ、セドナ、大精霊レイヴィア、勇者エヴァンゼリン、槍聖クラウディア、大魔導師アンリエッタは、ゲートを抜けて次の空間に移動した。


 新しい空間に移動したナギたちの視界に、巨大な都市の町並みが映り込む。

 そこは、夜の闇に覆われた十九世紀のロンドンだった。


「ここはなんだ?」 


 勇者エヴァンゼリンが驚きの声をあげた。セドナ、大精霊レイヴィア、槍聖クラウディア、大魔導師アンリエッタも驚きの表情を浮かべる。


 彼女達が初めて目にする地球の巨大都市だった。

 石畳の道路、夜の闇を照らす街灯、巨大な石の建造物。


 建築様式も文明も明らかに、セドナ達がいる文明体系と異なる地球の街並み。

 夜の霧が薄く漂い、空には満天の星々が輝いている。


「ロンドンだな」


 ナギが指摘すると、全員の視線がナギに集まる。


「ロンドンとは?」


槍聖クラウディアが問う。


「俺のいた地球という惑星の都市の名前だ」


 ナギが答える。


「……ナギの故郷」


 大魔導師アンリエッタが、警戒しながら周囲を視認する。

 人影は全くない。そこには恐ろしい程の静寂があった。   


「ナギ様の故郷の惑星の街……」


 セドナが、若干嬉しそうな表情を滲ませる。


「少し様子を見てくる。セドナ以外はここにいてくれ」


 ナギが、命じると全員が首肯する。

 ナギは、セドナをともなって飛翔した。

 ナギとセドナが、夜のロンドンの街を空高く飛翔する。


 やがて、高度500メートル程に到達し、空中からロンドンの街を見下ろして観察した。


「信じられない程、巨大な都市ですね」


 セドナが、美麗な顔に感歎の表情を浮かべる。


「いや、幾ら何でも巨大すぎる。地平線まで続く程、ロンドンの街は大きくない」


 ナギが、黒瞳を四方に向けた。

 ナギの指摘通り、このロンドンの街はあまりに大きすぎた。

 地平線の果てまで、巨大な建造物で埋め尽くされている。


 ロンドン塔、テムズ川、セントポール大聖堂、バッキンガム宮殿、どれもロンドンに実在する建造物だった。


 だが、よく目をこらすと、ロンドン塔に似た塔が、各処に見える。

 実際のロンドンの街にない建造物がアチコチにある。


「……現代のロンドンではないな」


 ナギが独語した。 

 現代のロンドンなら、近代的な建築物がいくつもある筈だ。


 だが、このロンドンの街には、ミレニアム ブリッジも無ければ、近代ビルも一つも存在していない。


「古風なロンドンの街……。まるでシャーロック=ホームズの世界だな」


 ナギが、黒髪を片手でかきあげた。


「セドナ、何か聞こえるか? 敵の気配などがあったら教えてくれ」


ナギが問う。


「少々、お待ちください」


 セドナは、黄金の瞳を閉じて、細長い耳をピンと立てた。

 聴力に最大限の意識を傾けて集中する。


 シルヴァン・エルフであるセドナは、人間の数十倍の聴力がある。しかも、魔力でその聴力を引き上げることが出来るため、メンバーの中で聴覚による索敵では最も有能である。 


 セドナは二十秒ほど聴覚で索敵したが、何も発見できなかった。

 人間の気配どころか、犬、猫、ネズミ、虫の羽音さえも聞こえない。


(静かすぎます……)


 セドナは不気味に思った。こんな巨大な都市でここまで静寂な状態など有り得る筈がない。


「どうだ?」


 ナギが問う。


「……何も発見できませんでした。それにしても、静かすぎます。これは直感に過ぎませんが、不吉な予感がします」


 十歳の少女は不安そうに言って、自分の身体を両腕で抱いた。

 ナギはセドナの肩に手を乗せた。


「俺も嫌な予感がする。粘り着くような嫌な感覚だ。首の後ろがザワザワとする」


 ナギとセドナは、その後、魔力で索敵を行った。

 だが、半径一キロ圏内には敵の気配も、動物も虫すらもいない。

 ナギは肩を竦めると、


「一度、皆の所に戻ろう」


 と告げた。

 セドナが、頷いた。


 ナギとセドナが、地上に戻ろうと降下し出した時、突如、黒い閃光がロンドンの街を覆った。


 黒い閃光はロンドンの街全体を覆い尽くし、ナギとセドナもその黒い閃光をまともに受けた。


「「?」」


 ナギとセドナの脳裏に警戒警報が鳴り響く。

 黒い閃光が、ふいに消えた。

 次の刹那、ナギとセドナの魔力が、突然低下した。


「魔力が?」


 セドナが自分の手を見る。


「しまった。罠だ!」


 ナギは歯噛みした。

 ナギは自分の身体を観察した。


 肉体に内蔵されている魔力が極度に低下している。

 先程の黒い閃光が原因なのは明らかだ。

 間違いなく敵の攻撃である。


 ナギとセドナは飛翔の魔法を使って、空を飛翔し、地面に降下していたが、突如魔力が激減した事でわずかにバランスを崩した。


「あ、わ、わ、」


 セドナが、空中で降下しながら身体のバランスを保とうと、フラフラと両手両足を動かす。


 ナギは無言でセドナの腰を引き寄せて自分の身体に密着させてバランスを整えてやった。


「セドナ、落ち着け。魔力は減ったが飛翔できない程じゃない。突然、魔力が減ったから、制御が難しくなっただけだ。すぐに慣れる」


 ナギがセドナを安心させるために落ち着いた口調で言う。    


 「は、はい!」


 セドナはナギの顔を見上げた。銀髪金瞳の少女はナギの胸に顔を埋めている状態で、全身をナギに密着させていた。


 セドナは、ナギの背中に両腕をまわし、全身をさらにナギに強く押しつけて、ナギの肉体の感触を堪能する。


 セドナの鼻孔にナギの匂いが入り込む。男らしく、そして、清潔感のある匂い。愛しい人の匂いと感触がセドナの脳を甘く酩酊させる。


「幸せです……」

「何か言ったか?」


 ナギが小首を傾げる。


「な、何でもありません。ナギ様、もう少しゆっくり降りましょう」


 十歳のシルヴァン・エルフの少女がナギに要請する。


「そうだな。警戒しながら降下した方が良いだろうな」


 ナギはそう解釈してあたりを警戒しつつ降下し出した。

 二〇秒後にナギとセドナが地面に降り立ち、勇者エヴァンゼリン達と合流した。


「みんな魔力はどうだ?」


 ナギが尋ねる。


「ダメじゃ、先程の黒い閃光を浴びた瞬間、魔力が激減してしまったわい」


 大精霊レイヴィアが、握りしめた拳を見る。


「僕もだよ。まいったな……」


 灰金色の髪の勇者が、心底困った表情を浮かべる。


「面目ない、私も魔力が大分落ちた。一〇分の一程しかない」


 クラウディアが、聖槍を両手で持ち、自分の魔力を確かめながら言う。


「……不覚」


 大魔導師アンリエッタが、紅い瞳に悔恨の表情を刻む。


「これはどういう魔法ですか?」


 ナギが尋ねる。


「おそらく敵の異能じゃろう。対象者の保有魔力を減少させる異能じゃ。通常の魔法でもこのような魔法術式は存在するが、桁違いじゃ。儂らレベルの人間の魔力を減少させるなどそう易々と出来るものではない」


 大精霊レイヴィアが答える。


「……人間の術者が行えば、絶対に事前察知出来た」


 大魔導師アンリエッタは両手で強く杖を握りしめた。


「敵を倒せば、俺たちの魔力は戻りますか?」

「確実に戻ると思うぞ? この系統の魔法は行使した存在を倒せば解除できる。この空間領域にいる敵を倒せば良い」

「しかし、敵の気配が全くないですね」


 槍聖クラウディアが、不思議そうに周囲を水色の瞳で見渡す。

 全員がそれにならって、周囲を観察するが、誰も敵を発見できない。


「まずは敵の発見からか」


 勇者エヴァンゼリンが聖剣を構えながら灰色の瞳を周囲に走らせた。 刹那、勇者エヴァンゼリンの背中に激痛が走った。同時に勇者エヴァンゼリンの背中から鮮血が迸る。


「エヴァンゼリン!」


 ナギが叫ぶ。

 全員が、驚愕した。

 油断は全くしていなかった。

 むしろ、最大限に警戒していた。


(誰が攻撃した? どこからだ? 攻撃手段は? 敵は何処にいる?)


 ナギが黒瞳を四方に向け、魔力で敵を偵察する。

 だが、全く見つける事が出来ない。


「エヴァンゼリン! 大丈夫か?」


 槍聖クラウディアが叫ぶ。


「心配いらないよ。致命傷じゃない」


 エヴァンゼリンが、苦痛を堪えながら微笑をたたえる。

 すぐさま、大魔導師アンリエッタが勇者エヴァンゼリンの背中の傷を治療する。

 エヴァンゼリンの背中の傷が修復された完全に治癒する。


「……傷は刃物によるもの。非常に鋭利」 


 大魔導師アンリエッタが報告する。


「魔力も気配も感知できなかったぞ?」


 槍聖クラウディアが、水色の瞳に緊張のさざ波をたてる。

 ナギ達は最大限の警戒をした。

 四方に索敵の網を伸ばし、魔力と五感で敵影を探る。

 だが、何の反応もない。

 敵影が見つからない。


(なぜ見つからない?)


 ナギが、心中で疑念する。

 次の刹那、突如、気配がした。

 全員が気配のする方向へ視線をむける。

 巨大な教会の尖塔の上。


 そこに、一人の男が立っていた。

 黒い帽子。黒い背広姿、片手に象牙をしつらえたステッキ。

 白い手袋。磨き上げられた高級な黒い革靴。


 全身を包む衣服はどれも高級感に満ちた一流品だった。

 身長は一八五センチ程。細身で手足が長く、貴族的な雰囲気と所作をしていた。

 帽子が目深にかぶられ、顔は見えない。


「初めまして。ようこそ我が街ロンドンへ」


 教会の尖塔の上で男は、優雅に頭を垂れた。


「私はジャック・ザ・リッパー。私の宴に参列された皆様を心より歓迎いたします」

    

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