第93話 イシュトヴァーン王

ナギが瀟洒で広壮な部屋に入ると、一人の男が椅子に座っていた。ナギの顔を一目見ると椅子から立ち上がる。


「よく来てくれたアイヴァー・ナギ殿。私がヘルベティア王国の国王イシュトヴァーンだ」

 

イシュトヴァーン王は四十二歳。金髪碧眼で端正な顔立ちをしており、王者に相応しい風格の持ち主だった。

 

ナギはイシュトヴァーン王に会うのが初めてという訳ではない。

罪劫王バアルとの戦いの際に少しだけ視界に入っていた。


だが、罪劫王バアルという強敵を倒すことに専念していたのでイシュトヴァーン王をしっかりと認識して会うのは初めてである。

 

くわえて王様という存在に対して、どのように接するべきか些か悩んだ。


(どういう感じで挨拶すれば良いのだろうか?)

 

ナギが思い悩むと、ふと祖父・円心の声が響いた。


『ナギよ。どのような相手であろうと礼儀正しく、思いやりと敬意を込めて会話すれば人間関係というものは大概上手くいくものだ。

それで上手くいかないならば、その相手と自分は合わないのだと判断して付き合うのを止めれば良い。それだけの話じゃ』

 

ナギは小さく心中で頷くと、イシュトヴァーン王に対して頭を下げた。


「お初にお目にかかります。相葉ナギと申します。若輩ゆえ王族に対する礼儀を知りませんが、ご容赦頂ければ幸いです」

 

イシュトヴァーン王は驚いた様に眼を瞬かせると、鷹揚な語勢で答えた。


「礼儀など些末なことだ。さあ、座ってくれ。卿とは是非、ゆっくり話したいと思っておってな」

 

イシュトヴァーン王は宰相であるパーマストンにワイングラスを二つ持つように命じた。


内々の話をする時は侍従も侍女も部屋から遠ざけるため、パーマストンが酒を用意する。パーマストンは手慣れた手つきで最高級のワインとワイングラスを二つ用意した。

 

イシュトヴァーン王は黒檀のテーブルに着き、ナギに対面に座るように即した。ナギは一礼して椅子に座る。

 

パーマストンがワイングラスに酒を注いだ。ルビーのような深い輝くような赤い酒がグラスに満ちる。


「さあ、飲んでくれ。これは王家秘蔵の酒だ。予も年に数度しか飲めぬ一品だ」


「ありがとうございます」

 

ナギは嬉しそうに言うとグイッと酒をあおった。


(美味い……)

 


王家秘蔵の酒というのは本当のようだ。これ程の酒は飲んだことがない。深いコクと香り、苦味があるが喉越しが柔らかい。


『《食神の御子》発動。王家秘蔵の酒、『天使の雫』を記憶しました』 メニュー画面がナギの脳裏に浮かぶ。

 

ナギがワインを飲み干すとイシュトヴァーン王がワイングラスを軽く上げた。


「良い飲みっぷりだ」


「恐れ入ります」


「そう畏まる必要はない。そなたは予の命の恩人だからな」

 

イシュトヴァーン王は口角を上げるとナギに碧眼をむけた。


「予は先日の戦いで罪劫王バアルに殺される寸前であった。その時、命を救ってくれたのが卿だ。予は卿に命の借りがある。心から礼を言う。予の命を救ってくれた恩義は生涯忘れぬ。感謝する」

 

イシュトヴァーン王はそう言うとナギに対して頭を下げた。


「頭をあげて下さい。俺は当然のことをしたまでです!」


「いや、王とは言えど節義は護らねばならぬ。信義なき者が国を統べることは叶わぬ」

 

金髪碧眼の王は頭を上げるとワイングラスを傾けた。


「美味い……。この酒が飲めるのも卿のおかげだ」


「こんな美味しい酒を頂けて申し訳ない思いです」


「気にするな。卿のためならばいくらでも秘蔵の酒を渡そう。なんなら酒蔵から好きなだけ持って行くがいい」


「いえ、俺のような十七歳の小僧には過ぎた酒です。この一本だけで十分です。ご厚意に感謝申し上げます」


ナギが微笑すると、パーマストンがナギのワイングラスに慣れた手つきで酒を注いだ。


「……卿は良い男だな……」

 

イシュトヴァーン王は感嘆の表情を浮かべた。


「そんなことはありません」

 

ナギは照れて頬をかくとイシュトヴァーン王に尋ねた。


「それよりも、陛下。お話というのは何でしょうか?」


「うむ。実は折り入って頼みがあってな。卿に我がヘルベティア王国の伯爵の位階を受け取って欲

しいのだ」


「伯爵の位階?」

 

ナギは驚いた声をあげた。俺が伯爵?


「うむ。これは是非とも受け取って貰いたいのだがどうであろうか?」


ナギ端正な顔に戸惑いの波動がゆれた。


「しかし、俺が伯爵なんて……。政治的なことなんて何も分からない小僧ですし、そもそも政治に興味も関心も有りませんし……」


「いや、政治的な権力を持てとも、政治に関われとも言わぬ。だが、卿の功績は本来、伯爵程度の褒美では過小過ぎるほどなのだ。これは予からの頼みだ。我が祖国を救ってもらった救国の英雄にたいして何ら報償を与えぬとあらば鼎の軽重を問われ、国家の信義が揺らぐこととなる」


「それは理解できます」

 

ナギはワイングラスを黒檀のテーブルに置きながら言った。その程度は俺みたいな小僧でも分かる。


「どうだ。受け取って貰えぬか?」

 

イシュトヴァーン王の語勢にやや哀願の響きがこもる。

 

ナギは腕を組んで黙考した。祖父の記憶を思い出して対策を練る。


『自分に釣り合わぬ地位や権力は不幸の種にしかならん。もし、薦められる機会があれば、正直に答えて丁重にお断りせよ。自分の才幹と器量にあまるものは受け取るな』

 

ナギは祖父の言葉を脳裏で反芻し、やがて口を開いた。


「政治的なことは分からないので、政治に関わらずにすむこと。そして領土を下賜されても困るので名誉職的なものでよければお受けしたいと思います」

「権力も領土も要らぬと申すか?」

 

イシュトヴァーン王の双眸に軽い驚きが揺れた。


「はい。俺は政治的な見識を持っていません。それに領土を下賜されても領地経営をする才幹もありません。領民に迷惑がかかるだけです。

 領民を不幸にする可能性がある以上、領地を頂くわけにはいきません」

 

ナギは静かに本音を語った。イシュトヴァーン王の双眸がナギにたいする賞賛と敬意の光に満たされた。


「そうか。分かった。卿には名誉職としての伯爵位を授与する。三日後の戦勝式典の場において宣言する故、受け取って貰えるか?」

 

イシュトヴァーン王の言葉にナギは頷いた。


(なるほど夜中に呼び出された理由はこれか)

 

と納得した。戦勝式典の場でナギが拒絶すればイシュトヴァーン王の立つ瀬がなくなる。事前に受け取るかどうかの打診が必要だったのだ。


「だが、伯爵の位階だけでは救国の英雄たる卿には過小過ぎる。何か欲しいものはないか?」

「欲しいものですか?」

 

ナギが軽く小首を傾げる。


「そうだ。予が与えられるものならばどのようなものでも与えよう」

 

イシュトヴァーン王が鷹揚に説くと、ナギは五秒ほど考えた後に欲しいものを口にした。

 

それはイシュトヴァーン王とパーマストン宰相を心から驚かせるものだった。


    








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