第86話 シチリア島発祥のお菓子 『カンノーロ』



 ナギとセドナは些か照れながら厨房に戻った。


「最初からデザートも作れば良かったなぁ」

 

 とナギは苦笑し、セドナも頬を少し赤くして微苦笑した。


デザートで作るのは『カンノーロ』というお菓子である。とある有名なマフィア映画に登場し、一躍世界的に有名になったシチリア島発祥のお菓子だ。


 カンノーロはバナナのような円筒状の外見をしている。


 小麦粉を揚げた皮に、甘味をつけたリコッタ・チーズ。バニラ、チョコレート、ピスタチオ、果実酒、ローズウォーターを混ぜたクリームを詰める。


 カンノーロは手軽に出来るので、小腹が空いた時に作るのに適している。ナギがせっせとカンノーロを作り、ナギから説明も受けたセドナも手伝って調理していく。


 二十個作ると、


「これで良し」

 

 とナギが満面の笑みを浮かべる。


「ナギ様、何か飲み物を持って行きませんか?」


「良いね。水じゃあ味気ないし」

 

 ナギは倉庫でジュースと覚しきものを3本ほど選んだ。

 


部屋に戻るとテーブルにカンノーロを更に置き、ジュースをワイングラスに注いだ。皿もワイングラスも瀟洒で、デザートのカンノーロが殊更美味しそうに見える。


「「頂きます」」

 

 ナギとセドナはワイングラスを掲げた。


 まずジュースを一口飲むと、カンノーロにかぶり付く。


((美味しい))

 

 二人は同時に思った。


 揚げた小麦粉の皮と中身のクリームが口内でとろける。揚げただけの小麦粉の皮の味は素朴だ。だが、甘いクリームと混ざると味がぐっと引き立つ。


 少しづつ食べ進めるとクリームの味が変化した。中身のクリームは、リコッタ・チーズ、バニラ、チョコレート、ピスタチオ、果実酒、ローズウォーターが混ぜてある。一口ごとに味が微細に変化し、舌に彩り豊かな味覚が広がっていく。


 上品な甘さなのでくどくなく、ドンドン食べられる。あっと言う間に一つ食べ終わる。


「美味いな……」


 ナギが満足の笑みをもらす。


「たまりません……」

 

 セドナの美貌がとろけて表情がふにゃりとする。セドナはワイングラスを傾けた。濃厚な林檎ジュースがセドナの喉を癒やす。


「この林檎ジュースも美味しいです」

「うん。確かに甘いジュースとカンノーロはあうな」

 

 カンノーロは甘さを控えたお菓子なので、甘いジュースがよくあう。ナギは飲んでいる白葡萄ジュースを嗅いだ。ナギは《食神の御子》の影響で、ソムリエを超える味覚と嗅覚をそなえている。


 白葡萄ジュースに使われている白葡萄は最高品質で、当然地球のような化学合成農薬などは使われないため、白葡萄本来の旨味が味わえる。


(無農薬のジュースって本当に美味しいな)


 とナギは感心した。地球で飲んでいた果実ジュースとは比べ物にならない。果物、野菜などが本来持っている味がどれだけ素晴らしいかをナギは再確認して感心した。


 その時、ふと酒精を感じた。ナギは黒瞳をセドナに投じる。セドナが飲んでいる林檎ジュースに酒精が含まれていた。


「セドナ、それ酒が入ってるぞ!」

 

 ナギが慌てて注意するが、セドナは目をパチクリして酒入りの林檎ジュースを飲み干した。


「そ、そうだったのですか? 気付きませんでした」


 セドナは空になったワイングラスを見る。


「まあ、酒精は僅かだしな、気付かないのも無理はない」

 

 ナギはセドナの顔に視線を向けて観察する。セドナはまだ子供だ。酒で身体を悪くしたら大変だ。だが、セドナの様子におかしい所はない。


(……心配しすぎだな……。少しくらい良いか)

 

 ナギは心中で微苦笑した。地球の子供でも甘酒くらいは飲む。それにカンノーロにも僅かだが酒が入っているし、あまり厳しくするのも野暮というものだろう。ナギはカンノーロを噛んだ。皮とクリームが口内でとろける。ドンドン、食が進む。


「カンノーロは止まらないな」

「はい。食べやすいので、ついドンドン食べちゃいます」

 

 ナギとセドナはカンノーロを食べつつジュースを口に運んだ。


「……最高です。精神的な疲れがドンドン取れていく感じです」

「俺もそう思う」

 

 セドナの言葉にナギは同意した。5人の罪劫王と戦った疲労は主に肉体ではなく精神にきていた。特に人間の心を読む罪劫王バアルとの戦いは神経が著しく摩耗した。


 人の心を読んで攻撃を無効化するなど反則も良いところだ。

 

 魔神の腹心と名乗るだけはあるが、敵対するこっちとしてはたまったものではない。


 これで一二罪劫王の内、6体を倒した。だがまだ6体もいるのだ。正直、少し憂鬱になる。


「あと六体も罪劫王がいる。残りは一体どんな奴らなのかな……」

 

 ナギが心持ち顔を暗くするとセドナが優麗な顔に笑みを浮かべた。


「心配要りません。ナギ様ならどんな敵であろうと必ず倒せます」

「随分と俺を過大評価してくれるね」

 

 ナギは照れながらジュースを飲む。


「過大評価ではありません! ナギ様はお強いですから!」

 

 セドナが少し興奮して言う。


「まあ、多少は強くなったかも知れないけどね」

「いいえ、多少ではありません! ナギ様は心身ともに強くおなりです。出会った頃とは別人です!」

 

 セドナがバンバンとテーブルを叩いた。ふとナギは訝しげセドナを見た。いつものセドナとどこか雰囲気が違う。セドナはおっとりしており、常に穏やかな性格なのに、テーブルをバンバンと叩くのは珍しい。


 そんなナギの想いをよそに銀髪の美少女は興奮気味に身体をわずかに前のめりにした。セドナの銀糸の髪が鮮やかに揺れる。


「ナギ様は鬼神のように強くなられましたが、精神面においても凄く強くなられました!」


「そうかな?」

 

 ナギは軽く小首を傾げた。


「はい! 今のナギさまは揺るぎない大木のような感じです。人の上に立つ人がもつ特有のカリスマ性があるのです!」

 

 セドナはそう断言すると、ジュースをぐいっと飲み干し、すぐにワイングラスにジュースを注いだ。


「カリスマ性? そんなこと初めて言われたな」

「ナギ様がご自分でお気づきになられていないだけです! 今のナギさまならば、数万の兵士を束ねる将軍どころか、一国の国王とて務まる器です!」

 

 セドナは銀鈴の声で断言するとまたジュースを一気に飲み干した。


「いや、将軍だの国王だのは俺には無理だよ。セドナは俺を買い被りすぎてる」


「そんなことはありません! 私はナギ様のことなら、ナギさまよりもよく分かるのです!」

 

 セドナは頬を赤くして言う。


「それは嬉しいな」

 

 ナギは照れて視線を横に逸らし、またセドナに戻した。そこでふとセドナの美貌が耳までほんのりと赤くなっていることに気付いた。


 心なしかセドナの黄金の瞳がとろんとしている気がする。


「……セドナ? 酔ってないか?」

「酔ってまへんよ?」

 

 セドナは酔っ払いが言う定番のセリフを唇から漏らし、ワイングラスにジュースを注いで一気に飲み干した。セドナの顔がますます赤みを帯び完全に酔いだした。


「……セドナ、そのジュースを飲むのを止めなさい」

 

 ナギが命令するとセドナは、


「はい。分かりました」

 

 と従順にその命令に従った。だが、既にセドナの黄金の瞳は酒精で溶けそうな光を宿している。


(失敗した。セドナはここまで酒に弱かったのか……)

 

 ナギは心中で舌打ちしつつ、セドナの飲んでいたジュースの瓶を手に取って、自分のワイングラスに入れた。そして、一口飲む。


(甘酒以下のアルコール成分だ)

 

 ナギは即座に分析した。《食神の御子》の恩寵でソムリエ以上の成分分析が瞬時に出来る。まさかこんな程度で酔うとは……。


これは俺の失敗だな。


「セドナ、少し横になりなさい」

 

 俺は努めて穏やかに言った。万が一ということがある。安静にさせといた方が良い。一眠りすれば落ち着くだろう。


「分かりまひた! ナギ様、抱っこしてベッドまで運んで下さい!」

 

 セドナが瞳を閉じて両腕を俺にむかって突き出した。あかん、幼児化してる!


 いや、幼児化しているとしても元々セドナは十歳だ。少しくらい甘えたくなるのも仕方ないか。俺は肩を竦めると椅子から立ち上がりセドナに歩み寄った。そして、セドナの両脇に手を添えて立ち上がらせると、お姫様抱っこした。


「うふふ~。ナギ様の抱っこですぅ」

 

 セドナが夢幻的な美貌に満面の笑みを零した。俺は苦笑しつつ天蓋つきのベッドにセドナを横たえる。


「少し寝てなさい」


 俺がそう言うと、セドナは優美な動作で身体を起こしてベッドの上に正座した。


「ダメです! 眠る前にお話があるのです!」

「話?」

「そうです! ナギ様も座って下さい!」

 

 セドナがポンポンとベッドの上を叩く。


「大事な話なのか?」

「世界の滅亡よりも大事な話です!」

 

 なんだそれは? 俺はベッドの上に登り、セドナの対面に座った。




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