第82話 一目惚れ

【ヘルベティア王国の王城:イシュトヴァーン王の執務室】


◆◇◆◇◆◇◆◇


青い髪と碧い瞳をした10歳ほどの少女が回廊を歩いていた。

 ヘルベティア王国の王女パンドラである。

 彼女がイシュトヴァーン王に呼び出されたのは朝食の後だった。

パンドラ王女は執務室に入ると、椅子に座る父親にスカートの裾を摘まんで一礼した。


「お呼びでございますか、父上」


「ああ、よく来た」

 

 イシュトヴァーン王は愛娘を見て笑みを浮かべる。

 我が娘ながら良い子だと思った。 

 パンドラは、産まれながらにして秀でた魔力を保持していた。王家に時折現れる『先祖返り』と呼ばれる存在である。王家の始祖の力を強く顕現して圧倒的な力を産まれながらに持つ存在が、パンドラ王女のような『先祖返り』だ。

 パンドラ王女は、頭脳も明晰で十歳とは思えぬ識見の持ち主としても知られている。

 イシュトヴァーン王は青髪の娘に紅茶を勧め、軽い雑談を交わした後、本題に入った。


「パンドラよ。相葉ナギと戦って勝てるか?」

「はい?」

 

 パンドラ王女は頓狂な声を出して、目を可愛らしくパチクリとさせた。


「何を言ってるんかよう分からんよ?」

 

 パンドラ王女は心からそう言った。余談だが、彼女は田舎育ちの乳母に育てられ、その乳母の方言が染みついて、話し方がこうなった。

 ヘルベティア王国の南部の訛りで父親に問い返す。


「戦って勝つって、あの相葉ナギ様に戦って勝てるかいう意味?」

「ああ、そうだ」

「無理やわ、お父様」

 

 パンドラ王女は即答した。


「そうなのか? しかし、お前は相葉ナギ達ですら手こずった罪劫王バアルを倒したそうではないか」

「それは相性の問題やわ」

 

 パンドラ王女は父に説明した。「次元斬」という固有魔法がたまたま適応しただけ。罪劫王バアルは相葉ナギ達の奮戦によって既に追い詰められていた。いわば猟師に止めを刺される寸前の手負いの熊に止めを刺しただけ。自分が罪劫王バアルと戦えば五秒で殺されていただろう。


「それ程か……」

「ええ、ナギ様はお強いんよぉ」

 

 パンドラ王女が頬を染めた。碧眼には相葉ナギに対する尊敬の念が浮かんでいる。


「相葉ナギと戦って勝ち目は無しか?」

「戦えというなら戦いますえ? でも、二秒で殺されます」

「そこまでか?」

「ええ、ウチの戦闘力を100としたら、相葉ナギ様は、3000くらいやわ」

「3000か……」

 

 イシュトヴァーン王は絶句した。


「そもそも、なんで相葉ナギ様と戦えなんて言いますのん?」

「それは……」


  イシュトヴァーン王が目を伏せて、事の次第を説明した。


「それやったら、もう考えるだけ無駄やわ、お父様」

 

 パンドラ王女がコロコロと無邪気に笑った。


「無駄か?」

「ええ、相葉ナギ様達を国家に帰属させるのは良いとウチも思う。だが、どの王子や姫君を選ぶかは相葉ナギ様達の自由意志でしょう?」

「うむ」

「出来る限りの条件を提示して、それを受け入れるしかないわ」

「そうだな。それは余も重々承知してはいたが……」

「もし、相葉ナギ様なり、勇者エヴァンゼリン様が爵位や領土では満足せずにヘルベティア王国を乗っ取りを企んだらどうするかが心配なんやろ?」

 

 心配の根底を見透かされてイシュトヴァーン王は軽い衝撃を受けた。


「ああ、その通りだ……」

「いらん心配やわ。相葉ナギ様は野心とは無縁な御方やと思います。一目見ただけで感じましたわ」

「随分と相葉ナギを買っているのだな」

 

 イシュトヴァーン王は軽い妬心を覚えた。


「ええ、出来ることならお嫁さんにしてもらいたいわ~」

 

 パンドラ王女は両手を頬にあててモジモジとした。


「そうか……」


「それとお父様。もし万が一、相葉ナギ様がヘルベティア王国を乗っ取ると決意したら……」


「決意したら?」

 

 イシュトヴァーン王は身を乗り出した。


「勝ち目がないので、即座に逃げましょう。そして王位を譲り渡せばええわ」

「……つまり、対抗策がないから考えるだけ無駄だという訳か?」

「はい」


 青髪の王女は真剣な表情で言った。


「なるほどな……。助かったぞ、パンドラ。憂悶が晴れたわ」


 イシュトヴァーン王は苦笑して愛娘の見解に理があることを認めた。 


「お褒め頂き光栄にて。それと相葉ナギ様にはウチの方からもお話をしておきます」


 パンドラ王女は正式な一礼を優雅にすると部屋を辞した。


(ナギ様を服属させるために、グランディア帝国の皇帝陛下はご息女さえもあてがう御積もりやなんてな~)

 

 回廊を歩きながら青髪の王女は思う。


(なら、ウチもナギ様と結婚できる可能性があるということやな……)

 

 パンドラ王女は人形のように美しい顔をニヤけさせた。相葉ナギの顔が脳裏に浮かぶ。美しい黒髪。黒瑪瑙の瞳。剣をもつ凜々しき姿。

 パンドラ王女は一目でナギに惚れてしまった。

 王女という自分の身分を問題にしていたが、各国の王たちがこぞって囲い込むつもりならばこちらも遠慮はいらない。

 自分はまだ十歳だが、あと五年もすれば絶世の美女になる自信がある。

 ナギ様の正妻が無理なら、側室でも愛人でも良い。ナギ様と結ばれたい。幸い三日後には祝勝会があり、大々的にパーティーが催される。


「アタックするなら、そこやな」

 

 パンドラ王女の碧眼に楽しげな光がよぎった。



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