第55話 貴方の側に



広い湯船だった。

5人くらいは入れる浴槽に俺とセドナがつかる。

俺もセドナも、「ほお~」と声を出した。なぜか、男女問わずお風呂に入ると出る正体不明の声。異世界でも同じでした。


「気持ちいいですね~」


セドナが、とろけそうな表情でいう。


「うん。このまま湯船で暮らしたい……」


 俺は心から言った。ああ、お風呂は最高です……。

 

 しかし、エヴァンゼリンという女の子、すげぇな。手合わせの最中に、俺から即座に技を吸収してしまった。多分、五つくらいは技を盗まれただろう。あれは天賦の才だな。希にいるんだよ。俺みたいな凡人が一年かけて会得する技を数瞬で会得してしまう天才が。


「さすが『勇者』といった所か……」


魔神を倒すべく宿命づけられた者。それが『勇者』。


あのエヴァンゼリンなら、魔神を倒せるかもしれない。


あれ? もし、エヴァンゼリンが魔神を倒したら、俺が地球に帰還できなくなるのでは?


俺は掌で頬をなでた。


マズイな……。


俺は数秒、黙考した。


良い試案が全く浮かばない。


円心爺ちゃんの声が脳裏に蘇った。


『いいかナギ。問題が発生し、もし、解決の糸口が見当たらない時は、取り敢えず横においておいて、今、自分に出来ることだけに集中しろ。それがよりよい結果を得ることに繋がる』


そうだな。その通りだ。今は、先の心配よりも〈幻妖の迷宮〉侵攻作戦に傾注しよう。〈幻妖の迷宮〉で生き残らないと。


〈幻妖の迷宮〉には、十二罪劫王の1人・ダンタリオンがいる。


グシオン公爵よりも上の階級である『王号』の保持者。つまり、グシオン公爵よりも強いという。


〈幻妖の迷宮〉での攻防は、想像を絶する死闘になる可能性が高い……。


俺はセドナに視線を移した。


シルヴァン・エルフの少女はみずみずしい裸身を湯船にうめて、幸福そうに鼻歌を唄っている。


「セドナ」


「はい。なんでしょうか、ナギ様」


俺の問いにセドナが背筋を伸ばす。


「セドナ。〈幻妖の迷宮〉は危険すぎる。セドナは古都ベルンで待機したらどうだろう?」


俺は心底、セドナを心配して言った。


「ナギ様……」


セドナは首をふった。10歳の少女の優麗な銀髪が湯船の中で純銀の輝きを発した。


「私は、ナギ様とともにいます。何時、如何なる時も、たとえ死すともナギ様の隣にいます」


セドナの銀鈴の声が凜乎として響いた。


「……嬉しいよ。……しかし……」


俺が口ごもると、セドナが湯船の中を泳ぐように移動して俺の前に来て膝をあわせた。銀髪の少女のみずみずしい裸身が湯の中で光り輝く。


「ナギ様、よくお考え下さい」


セドナが俺の手を握り、その彫刻のような美しい顔を近づける。甘い匂いが俺の鼻孔をくすぐる。


「私の安全を願って下さるならば、尚更、私をナギ様とともに行かせて下さい。そもそも、古都ベルンがグシオン公爵によって襲撃されたことをお忘れですか?」


「あっ……」


セドナに指摘されて、俺は羞恥で頬をそめた。


「私の安全を考えて私を古都ベルンに置き去りになさっても、私は安全ではありません。古都ベルンに魔神軍の襲撃があったのです。二度目がないなどと、どうして言い切れるのです?」


「……ごめん。迂闊だった……」


そうだ。古都ベルンが安全だという保証がないじゃないか。馬鹿か、俺は……。


「この世界に安全な場所などございません。……戦争をしているのですから……」


俺は心底自分の不明を恥じた。


「ですから、ナギ様の近くにいた方が安全なのです。ご理解いただけましたか?」


「うん……」


この娘(こ)は本当に頭が良い。


「どうか、私をお側において下さい。ご迷惑は決してかけません。ナギ様にご迷惑をかけると判断した場合は、このセドナ。即座に自害いたしますので……」


「馬鹿。何を言ってるんだ」


俺はセドナの額を軽く指でついた。


「二度とそんなことを言うな。死を前提にするな。もし、ピンチになったら二人で生き残る道を探すんだ」


「あ、……はい!」


セドナが、強く頷いた。


「頼りにしてるよ。セドナは俺より頭が良いし、世知に長けてるんだから」


「任せて下さい。ご期待に添えるように尽くします!」


うん。溌剌としている。セドナを頼りにしてるのは本心だ。俺一人では、この異世界フォルセンティアで生き延びる自信は無い。


セドナがいないと生きる意味さえも失いそうだ……。









朝、目覚めると、俺とセドナは、明日の〈幻妖の迷宮〉侵攻作戦にむけて武器防具の手入れと、準備をして過ごした。


そして翌朝。古都ベルンから〈幻妖の迷宮〉にむけて軍団が進発した。俺とセドナも馬を借りて、陣列に加わる。


ヘルベティア王国軍 正規兵8362名


冒険者(志願制) 187名。


それに加えて、輜重部隊3500余名が加わり、一万2000余名という大軍団となった。


軍団の名称は、『迷宮討伐軍』とされた。


軍団の末端にいたるまで十二罪劫王の1人・ダンタリオンの姿が描かれた絵が配布された。

俺とセドナは馬車に揺られながらそれを見た。


「これがダンタリオンか……」


十二罪劫王の1人・ダンタリオンは、全身を赤黒い鎧兜で包んでいた。


身長は二メートル前後。


人間と似た形状だが、決定的に違うのは頭部が2つあることだ。


赤黒い兜をつけた首が2つある。


双頭の怪物だ。


そしてその手には深紅の刃の大剣が握られていた。


「〈剣鬼〉ダンタリオン……か……」


俺はダンタリオンの絵を見ながら独語した。


異名の由来は単純で、ダンタリオンは剣術使いだからだそうだ。


だが、並の使い手ではない。過去、ダンタリオンはアランドールという


城塞都市をたった一体で陥落させたという。


その際、衛兵三千人を一体で斬殺したという。


言語を絶する使い手だ。


「どうだい、ナギ君。君なら勝てそうかい?」


エヴァンゼリンが馬を寄せてきた。


「いや、無理だと思います」


俺は正直に答えた。グシオン公爵相手ですら苦戦した。ましてや、ダンタリオンは『王』だ。グシオン公爵より強い相手に勝てるとは思えない。


「そこは嘘でもいいから、『俺が倒す』、くらい言って欲しいね」


「遊びなら言いますが、これは実戦ですからね」


殺し合いで禁忌なのは過信だ。それは爺ちゃんにキツく戒められている。

力量差と分際を知らない奴は戦場では真っ先に死ぬ。


「でも、君はグシオン公爵を倒したじゃないか」


エヴァンゼリンが、灰色の瞳を俺にむけた。


「……まあ、ギリギリ倒せましたけどね……」


だが、あれは女神ケレス様にもらった《冥王(ケレスニアン)の使者(マギス)》を使用したからだ。そして、《冥王(ケレスニアン)の使者(マギス)》は発動後に、戦闘不能になってしまう。


まあ、レベルが上がってきたので段々筋肉痛やら、副作用は減少してきたけど……。


「そんなに卑下しないで自信をもっておくれよ。そして、か弱い乙女たる僕を助けてくれ給え」


エヴァンゼリンが胸に手を当てた。


「か弱い乙女? どこにいるんです?」


俺の目の前にいるのは、化け物のような少女だ。


「ここだよ。ここ、僕が、か弱く美しいの乙女さ」


エヴァンゼリンが俺の頬をつねった。


「痛い! 頬が、千切れるゥううううううう!」


マジで、頬が千切れちまう! なんていう握力!


「まったく、少しは女性にたいする口のきき方も勉強したまえ」


エヴァンゼリンがムスっとして馬腹を蹴ると、俺から離れた。


もしかしたら、激励のつもりかな? 体育会系はスキンシップがきついね。


俺は頬をさすりながら、自分が参陣している軍団を見た。


壮観だ。規律正しく、足並みが乱れることがない。兵士達の所作と雰囲気だけで、この軍団が、精鋭部隊であることが分かる。


だが、何人が生きて帰れるか……。


俺は自分が戦争の渦中にいることを実感した。







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