大好きだから

甲斐瞳子

大好きだから

「待て!早まるな!」


 そんなこと言われても、私はもう決めたの。

 大好きだったあなただから。だから、ちゃんとお別れをしなくちゃって決めたから。


「どうして?!」


 そんなの、あなたが一番よく知ってる。

 あなたの気持ちは、もう私のところにはなくて。

 あんなに大好きだよって言ってくれたけど。あんなに優しく抱きしめてくれたけど。でももう、あなたの低い声も、長いその腕も、私のものじゃないから。

 それが、さよならの理由。


「やめろ!落ちる!」


 今まで一緒にいてくれてありがと。

 さよなら、大好きだった人。もう会えなくなるけれど、また生まれ変わったらそばにいてね。

 私は、最後に彼に向かって手を伸ばした。



 どん。



 そんな鈍い音が聞こえた気がした。



 ◇



 私は、握りしめていた手をゆっくりと開いた。

 からん、と乾いた音がして、まるで作り物のような輝きを放つナイフがコンクリートに落ちる。

 強く握っていたせいか、つけ爪が手のひらに食い込んで跡になっていた。ついてない。

 ため息を一つついてナイフを拾うと、辺りを見回して何も残していないか確認した。

 結構な音がした割には人が騒いでいる気配がしないから、どうやら彼の身体はまだ見つかっていないようだ。

 もう一度頭の中で逃走経路を反芻する。非常階段に防犯カメラはないし、駅方向に行く道も全部確認したし。

 大丈夫、ミスはしない。今までだって上手くやってきたのだから。

 私は、彼の部屋にあるパソコンでこっそり作っておいた遺書を、脅して脱がせた彼の靴の上に置いた。


 どうして、そんな言葉を残した馬鹿な男。

 私の元から去ろうとして、そのまま逃がしてやるわけなんてないのに。


 当然の報い。

 それが、さよならの理由。


〈了〉

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大好きだから 甲斐瞳子 @KAI_Toko

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